脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『二・二六事件~「昭和維新」の思想と行動』

【悲報】環境省「土用のうなぎは予約しよう」→大炎上、ツイート削除 : ガハろぐNewsヽ(・ω・)/ズコー
ウナギとマグロに関しては日本人は真面目に一度シーシェパードに襲われるべき


 7月も後半なのにいまだに長袖ワイシャツで通勤中。去年は確か5月後半には半袖クールビズスタイルに切り替えてたはずなんですが。夏の灼熱の太陽が恋しいです。


SRWT進捗

二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 (中公新書)

二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 (中公新書)

のびた人陰を舗道にならべ

2・26事件
 昭和十一(1936)年2月26日におきた陸軍部隊の反乱事件。
 第1師団の歩兵第1・第3連隊を主力とした将校・下士官・兵1485人が、岡田啓介*1首相(生存)、斎藤実*2内大臣(即死)、高橋是清*3蔵相(即死)、鈴木貫太郎*4侍従長(重傷)、渡辺錠太郎*5教育総監(即死)、牧野伸顕*6内大臣(生存)を襲撃し、永田町・三宅坂一帯と日本の政治・軍事の中枢部を4日間占拠した。1936.2.26早朝、反乱軍の将校が川島義之*7陸相に読みあげた「蹶起趣意書」「陸軍大臣要望事項」で首相以下の襲撃の理由、軍政への具体的要求がのべられた。陸軍最高首脳の将軍たちは'36.2.26午後宮中で「大臣告示」を作成して反乱軍に伝えるとともに、'36.2.27東京に戒厳令を公布して反乱軍への説得を試みたが失敗、地方の連隊を上京させて反乱軍を包囲した。'36.2.29午後反乱軍は帰順し、特設軍法会議で裁かれた。'36.7.5判決が下り、死刑17人、無期禁錮5人。下士官も15人が有期刑となり、民間人の北一輝*8西田税*9も死刑となったほか、地方連隊の将校からも有期刑が出た。(『山川日本史小辞典 改訂新版』より引用)


 ネタにしやすいのか、題材にされやすい二・二六事件。あまりに類書が多すぎるせいで、詳しすぎたり、アプローチが奇を衒っていたりと、逆に概説書に恵まれない感のある事件ですが、本巻はかなり読みやすくまとまった良著だと思います。まとまりすぎてて感想書きづらいのが欠点と言えば欠点か。どこまでが既知の知識なのか、どこまでが今回の下調べにwikipedia仕入れた知識なのか、って具合で、肝心の本作の記載はどうだったかが全くもってさっぱり。教科書的によくまとまった良著ってのは感想文書きづらいんですねと今更。なので、これから、大日本帝国の終わりの始まりである二・二六事件を学ぼうって人には諸手を挙げておススメできる一冊でなかろうかと。正直松本清張の『昭和史発掘』の前に読んどくべきだったと後悔中です。

夕闇のなかを君と歩いてる

 しかし、何度読んでも実行部隊と皇道派の能天気ぶりには苦笑を禁じえません。昭和天皇は、第一報を聞いた瞬間にぶちぎれて「君臨すれども統治せず」の大原則忘れて「叛乱軍を速やかに鎮圧せよ」の命令まで出してるのに、当人たちは後継内閣の大命降下を誰にしてもらうかできゃっきゃしてたんだから、頭を抱えるしかありません。サヨクのみなさん、今現在の主権者たる国民はこの時の主権者だった天皇陛下と同じ心境ですよ。いつまでも韓国かばってたらどうなっても知りませんからね。

雪の華

雪の華


雪の華 - 中島美嘉(フル)

帰ってきた今日の一行知識

陸上自衛隊は公安の監視対象

よく考えたら近現代日本で唯一のクーデター未遂やらかした団体の後身か。そらそうなりますわな

*1:第31代内閣総理大臣。海軍大将。父喜藤太、母はる。ロンドン海軍軍縮条約締結における海軍内部紛争の調停や五・一五事件の処理などで元老西園寺の信任を得て首相就任。天皇機関説問題や海軍軍縮条約破棄などで困難な政権運営を余儀なくされ、二・二六事件により退陣。

*2:第30代内閣総理大臣。海軍大将。子爵。父高庸。軍政畑で累進し海軍大臣を5度に亘り勤める。朝鮮総督や枢密顧問官などとしても力量を発揮し、五・一五事件後の困難な政局を託された。挙国一致内閣として日満議定書の締結や高橋財政の推進などを行うも帝人事件により退陣。その後は内大臣として天皇を輔弼するも二・二六事件で横死。

*3:第20代内閣総理大臣。子爵。父川村庄右衛門、母きん、養父高橋覚治。艱難辛苦の迷走の果て、日銀にて頭角を顕す。日露戦争での外債募集に功有り、西園寺ら元老の知遇を得る。原敬暗殺後首相と政友会総裁を襲名するも党内の人心収攬に失敗し閣内不統一により退陣。金融恐慌後の混乱を収拾するために蔵相に就任し高橋財政を展開するも二・二六事件により横死。

*4:第42代内閣総理大臣。海軍大将。男爵。父由哲、母きよ。その実直な性格を天皇一家に愛され侍従長就任。二・二六事件で遭難するも辛くも生存し、枢密院議長に転身。太平洋戦争の戦局が行き詰まると、天皇の信任厚いことから終戦工作と首相職を託された。御前会議などの飛び道具を駆使し、ポツダム宣言受諾にこぎつけた後、玉音放送とともに勇退

*5:第16代教育総監。陸軍大将。父和田武右衛門、母(渡辺)きの、養父渡辺庄兵衛。統帥派の巨魁として皇道派と角逐。真崎を逐って教育総監に就任するも、二・二六事件にて横死。

*6:第1次山本内閣外務大臣。伯爵。父大久保利通、母(早崎)満寿子、養父牧野吉之丞。旧名:是利。大久保利通の実子という良血を西園寺に愛され累進。内大臣として昭和天皇の信任厚く、宮中の実権を掌握し財閥・政党・官僚・軍部・重臣らの利害調整につとめた。

*7:岡田内閣陸軍大臣。陸軍大将。陸軍の中間派として要職を歴任。激化する統制派と皇道派の対立の仲介を期待され陸相に就任するも果たせず二・二六事件を招き失脚引退

*8:輝次郎。父慶太郎、母リク。旧名:輝次。国家改造を叫び、宮中某重大事件や朴烈事件などで右翼の巨魁として存在感を増す。三月・十月両事件を通じて青年将校らに接近するも、二・二六事件連座し処刑。代表作:『国体論及び純正社会主義』・『日本改造法案大綱』・『支那革命外史』他。

*9:士林社主宰。陸軍少尉。父久米造、母つね。頭山満大川周明に感化され右翼運動に参入。『日本改造法案大綱』に感化されて以降は北一輝の傘下で青年将校らとの連絡役として活躍するも二・二六事件連座し処刑。