脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『明治・大正の宰相 第4巻〜桂太郎と日露戦争の将軍たち』

2ch 芸スポ速報+ ダイジェスト: 【野球】不況が「銭闘」を直撃 大幅ダウンの選手続出 青天井ともいわれたプロ野球マネーもいよいよ頭打ち
どいつもこいつもカープを見習えばいいんだ。


 思い出した。京都は寒いんだ。ああ朝が起きれない。


SRWZ進捗

  • スペシャルモード第50話「ヒトの心、テンシの夢」オーバーヒート!トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン。

どんな場面も投げ出さないぜ

桂太郎
 弘化四(1848)〜大正二(1913)年。明治大正期の陸軍々人、政治家。長州藩士桂与一郎衛門信繁*1と喜代子*2の子。長門国阿武郡萩町出身。
 戊辰戦争では奥州各地を転戦し、1870ドイツに留学。帰国後、陸軍大尉に任官し、'75再びドイツ公使館付武官となりドイツの軍制を学び'78帰国。陸軍卿山県有朋*3の下で'75.12参謀本部設置など軍制の改革に貢献した。'85-'91陸軍次官。以後累進し、日清戦争では第3師団長として出征。台湾総督などを歴任し、'98第三次伊藤内閣で陸軍大臣に就任。'98大将に進む。軍備拡張政策を推進、藩閥の一員として政党勢力と対立した。1901首相となり日露戦争を指導した。その際、原敬*4と5度会談、戦後の西園寺公望*5への権限委譲を条件に立憲政友会の支持を得た。しかし、ポーツマス講和条約に対する不満が日比谷焼き打ち事件という形で顕在化する中で退陣、西園寺と交代した。これにより、桂・西園寺・山本権兵衛*6など維新第2世代による「桂園時代」が始まる。'08成立の第二次桂内閣では、日露戦争後の困難な財政再建を図ると共に、満州での勢力範囲を第二次日露協約により確定し、'10韓国を併合した。また、社会政策である工場法を制定する一方、大逆事件に代表される社会主義者への弾圧を行った。この第二次内閣の後半以降、山県有朋からの自立を図り首相退陣後元老となるも、明治天皇*7の死後、内大臣として宮中に封じられた。'12二個師団増設問題で第二次西園寺内閣が崩壊したのち、詔勅によって、三度内閣を組織したが、詔勅を乱発した為非立憲との批判が高まった(第一次護憲運動)。自らも政党を作るべく立憲同志会創設を宣言したが、護憲運動が民衆暴動化し、'13.2僅か53日で総辞職した。のち新政党の勢力拡大を図る中病死。国立国会図書館憲政資料『桂太郎関係文書』がある。(『朝日日本歴史人物事典』より引用)

 近代政治史入門から華麗なる戦記文学へ。戸川猪佐武氏の死去により、作者が豊田穣に替わった為、同じシリーズとは思えぬほど毛色の違った一冊になっています。物語としては格段に読みやすい血沸き肉躍る戦記ものとなっているのですが、前巻までのどろどろした政治の暗闘の描写がその分薄くなっていますので、その辺はちょっと残念かも。しかしながら、戦記物語の名手たる豊田氏の手になる日露戦争の肉厚な描写は一読の価値あり。前半は小村寿太郎の半生が英雄の青春譚として語られているのですが、実に小村の性格の悪さの滲み出た後味の悪い伝記となっているので正直詰まんないですが、そこを乗り越えれば近代日本最高の勝ち戦の高揚を追体験できます。第二次世界大恐慌で日本人が自信を失くしきっている今だからこそ読むべき本ではないでしょうか。

Let's and Go ! 記憶の中のアイツが今蘇り

 細川をあっさりぶっちぎって村山に肉薄するほどになった鳩山の駄目首相度。日本はこのまま亡国の道をひた走ってしまう気がします。百余年前の我らがご先祖様が大国ロシアの圧力という絶望的な危難に立ち向かった如く、小沢ジャパンは世界同時不況という悪夢を打ち破ることができるのでしょうか。ただ、その夢見ようにも与野党共に人材が絶対的に不足してるんですよね。前科には目をつぶって安倍前原の復活を望むか、それとも駄目元で舛添や東国原みたいなイロモノにかけるか。どっちにしてもオッズ高そうだなあ。


Get over the Border!~JAM Project BEST COLLECTION VI~

Get over the Border!~JAM Project BEST COLLECTION VI~

  • アーティスト:JAM Project
  • 発売日: 2008/08/06
  • メディア: CD

帰ってきた今日の一行知識

日露戦争後帰国が決まった日にロシア人捕虜全員が自殺した収容所がある
ロシアにもサムライがいた。まあ、帰国後の地獄を恐れてあの世にトンズラって可能性も高そうですが。

*1:馬廻役。125石。

*2:中谷家出身。子に太郎・次郎。

*3:第3・9代内閣総理大臣。公爵。父有稔、母岡治助女。幕末に高杉晋作の部下として頭角を現し、維新後は大村益次郎の後継として陸軍制確立に尽力。明治十四年政変後は内務卿として官僚制度の整備も担当。20世紀初頭の大日本帝国躍進の礎を築く。二度の総理大臣後は元老としてキングメーカーに専念。最後の元勲として絶大な権力を掌握するも、宮中某重大事件での敗北を機に失脚。失意のまま没。

*4:第19代内閣総理大臣。正二位大勲位。父直治。陸奥宗光の引き立てにより外務官僚として頭角を表し、伊藤の誘いにより立憲政友会に参加。第三代総裁として山県と角逐。米騒動・シベリア出兵などの困難な時局に初の本格政党内閣を組閣。「平民宰相」と親しまれた国民的人気を背景に対英米宥和と積極内政を推し進めるも、財閥寄りの政策を憎まれ暗殺。

*5:第12・14代内閣総理大臣。公爵。父徳大寺公純、養父西園寺師季。名門西園寺家の後継としてリベラル路線を貫き、伊藤と共に立憲政友会を旗揚げ。内閣総理大臣として、桂と共に「桂園時代」を現出し、20世紀初頭の日本の躍進を支えた。山県・松方の死後は「最後の元老」として、憲政の常道維持に尽力。軍部の暴走開始後は近衛を擁して対抗しようとするも、果たせず失意のまま病死。

*6:第16・22代内閣総理大臣。伯爵。海軍大将。父盛萊。黎明期の海軍々制確立に尽力。日清・日露の役を海軍の中枢で戦い勝利に貢献。赫々たる武勲を背に二度の内閣総理大臣を務め、リベラルな政策を進めるも、二度ともスキャンダルにて頓挫。

*7:第122代天皇。諱は睦仁。父孝明天皇、母中山慶子。父孝明天皇の急死後、討幕派に担がれ即位。大政奉還を受け名実ともに日本の大君となり、明治維新後の激動の時代を統べ、日本を列強の座へと導いた。