脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

今東光の稚児趣味と幽☆遊☆白書と宮中府中の別について

世界って広くね(;゚Д゚) イタリア客船、海賊が襲撃も応戦して撃退、ソマリア沖で
イタリアは時々訳分からん活躍するな。


 GW突入!シフト制の勤務はこんな時非常に淋しいものがあります。

割れた鏡の中映る君の姿

今東光薔薇族

2006-10-07

今東光
 明治三十一(1898)〜昭和五十二(1977)年。昭和期の小説家。弟に今日出海*1横浜市伊勢町出身。法名:春聴。
 小学校・中学校を転々とし、1914上京、'23川端康成*2らと第6次『新思潮』を創刊、'24『文芸時代』を創刊、新感覚派作家として知られ、'25短篇集『痩せた花嫁』を発表。'25『文芸時代』を脱し『不同調』に参加。'29プロレタリア文学運動に加わったが'30浅草寺伝法院に於いて仏門に入り、比叡山で修行、文壇から離れた。戦後'51大阪府八尾市の天台院の住職となり、'56中外日報社長に就任。大阪河内の風土・人情に取材した小説を発表、'56「お吟さま」で直木賞受賞、20数年ぶりの文壇復帰として世評を集めた。毒舌家としてジャーナリズムに話題を撒く。参院議員(自民党所属)、平泉中尊寺貫主を勤めた。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

薔薇族
 日本初の男性同性愛者向け雑誌(ゲイ雑誌)である。かねてから社会的弱者や様々な病気等のドキュメント取材を行い出版してきた伊藤文*3率いる第二書房より1971年7月に創刊された。なお、編集長の伊藤自身は異性愛者である。誌名は「男同士の愛の場所は薔薇の木の下だった」 というギリシア神話が元になっている。(wikipediaより引用)

 世間では直言解説者として有名な今東光ですが、個人的には浮世離れの極みの耽美な稚児小説の方が印象深いです。そんな今東光ですが、GW進行真っ只中の非人道的スケジュールの中で調べた限りでは、ゲイの聖典薔薇族』には連載した形跡がありません。ただ、『薔薇族』は成熟した大人というかおっさん同士の恋愛がメインの他ホモ雑誌に比べると、少年愛に理解の深い誌風なので、今東光の稚児小説が特集されていた可能性は非常に高いです。以上手抜き終わり。

薔薇よ永遠に―薔薇族編集長35年の闘い

薔薇よ永遠に―薔薇族編集長35年の闘い

幽☆遊☆白書

2007-02-03
2006-11-08

幽☆遊☆白書
 冨樫義博*4作。『週刊少年ジャンプ』90年51号〜94年32号連載。
 ケンカに明け暮れるだけの不良中学生だった浦飯幽助*5は、ある日、子供を助けようとして交通事故に遭い、幽霊になってしまうが、霊界から与えられた試練をパスして現世に生き返ることができた。それがきっかけで、霊界探偵として活躍するようになり、ケンカ仲間の桑原*6、道中仲間になった蔵馬*7、剣の達人飛影*8などと共に難事件を解決していく…。
 様々な世界での冒険を通して主人公が成長していくアドベンチャー物語。スタイリッシュに描かれる登場人物と妖怪との闘いが人気を博し、アニメやゲーム、CDやグッズにと、大きなブームを巻き起こした。(『現代漫画博物館 1945-2005』より引用)

受賞歴

 今を時めく休載魔人冨樫義博出世作にして、彼が頓に病弱になり始めた頃の作品。本誌の幽助vs雷禅を始めて読んだときの衝撃と戸惑いは忘れられません。
 とかく、「飛影はそんなこと言わない!」のインパクトが象徴する腐女子*9御用達の印象の強いマンガですが、ところがどっこいきちんと小〜中学生男子のハートもしっかり鷲掴みにしていました。20代後半の男の子で霊丸かアバンストラッシュの真似したことの無い奴はいないでしょう。誰がなんと言おうとトーナメントは男の子のロマンです。
 お気に入りのエピソードとしては、蛍子とボタンの必死の逃走劇が少年のリビドーを刺激して止まない「四聖獣」編や雷禅・黄泉・躯の三巨頭の権謀術数渦巻き、かっての盟友幽助・蔵馬・飛影がそれぞれの陣営に分かれ戦うという個人的に設定がドストライクな「魔界」編(魔界統一トーナメント開始決定前まで)が個人的に大好きでした。少年漫画の王道の「暗黒武術会」編や、『レベルE』や『HUNTER×HUNTER』で花開く冨樫文学の萌芽「仙水」編に比べれば、評価の低い両エピソードですが、なんとも言えない未完成の魅力が、それらのエピソードにはあります。ちなみに、一番好きなキャラは躯。最も汚らわしい境遇から最強の一角に上り詰めるという経歴に、疵顔&男装の容姿と両方が個人的嗜好ど真ん中直撃です。
 とまれ、90年代前半のジャンプ二次黄金時代の看板背負ってたのは伊達ではありません。万人におススメできる癖の少ない良作なので、未読の方は是非ご一読を。最初期のハートフルコメディーで挫折しなければ絶対に読んで損はしません。
 

幽★遊★白書 完全版 15 (ジャンプコミックス)

幽★遊★白書 完全版 15 (ジャンプコミックス)

伊藤博文桂太郎+総理大臣+内大臣

2005-11-15

伊藤博文
 天保十二(1841)〜明治四十二(1909)年。明治時代の指導的政治家。百姓林十蔵*10の子、萩の足軽伊藤直右衛門*11の養子。周防国熊毛郡束荷村出身。幼名:利助→俊輔、号:春畝。
 初め松下村塾に学び、木戸孝允*12に従い尊皇攘夷運動に参加。1863井上馨*13らと密かに渡英した。四国連合艦隊の下関砲撃の報を聞いて帰国、列国と講和を結ぶのに尽力。以後討幕運動に従い、薩長連合成立と共に高杉晋作*14の下に接薩副使となる。維新政府の成立に際して参与・外国事務局判事・大阪府判事・兵庫県知事・大蔵小輔兼民部小輔・工部大輔となり、'71岩倉具視遣外使節団の副使として欧米を視察、帰国後は征韓論を制圧し、参議兼工部卿となり、大久保利通*15の死後は内務卿として政府部内に地歩を固め、更に'81「明治十四年の政変」により対立者大隈重信*16を政府から追放し、最高指導者となった。'82憲法取調べの為渡欧し、プロシア憲法を学んで帰国。以後、華族制度・内閣制度の創設、大日本帝国憲法皇室典範の制定、枢密院設置など、天皇制確立の為に努力した。'85内閣制度創設と共に初代総理大臣となり、また枢密院議長として政治を運営した。'92第二次内閣を組織し、行政管理・条約改正・海軍拡張を行い、日清戦争を強行。'98第三次内閣を組織したが、憲政党の反対に遭い半年で崩壊。このことから政党組織の必要を感じ、1900立憲政友会を組織し、総裁となる。'00第四次内閣を組織したが、'01辞職、三度枢密院議長となる。日露戦争後、'06日韓協約を結び、初代韓国統監となり併合強行への第一歩を踏み出した。'09満州(中国東北地方)視察と日露関係調整の為中国に渡る際、ハルビン駅頭で朝鮮独立運動安重根*17に暗殺された。(『コンサイスに本人名事典 改定新版』より引用)

桂太郎
 弘化四(1867)〜大正二(1913)年。明治時代の政治家・陸軍軍人(大将)。長州藩士桂与一右衛門信繁*18の長男。長門国阿武郡萩町出身。諱:清澄、幼名:寿熊→左中→太郎、号:海城。
 1863馬関戦争に参戦して以来、軍人として成長、戊辰戦争では奥州各地を転戦。'70兵制研究の為ドイツに留学。'73帰国、'74陸軍歩兵大尉、'75ドイツ駐在武官、'78帰国後参謀本部に入り、'82大佐、参謀本部管西局長・法制掛兼任、'86陸軍次官となり、山県有朋*19大山巌*20を補佐し陸軍の官制を改革整備した。ドイツ兵制に学び、陸軍の軍令・軍政機構の整備統一、偕行社による陸軍内の思想的統一など、近代的軍隊としての確立に尽力した。日清戦争には第三師団を率いて出征、戦後子爵。'96台湾総督、東京湾防禦総督となる。'98第三次伊藤内閣の陸相となり、大隈・山県・伊藤の各内閣に留任し、1901内閣を組閣した。軍備拡張の為の地租増徴継続を策し、議会の反対に遭うと、一方では伊藤・原敬*21らと意を通じ、他方では停会・解散の強硬姿勢をとった。日露戦争により議会の反対は一時的におさまったが、'06ポーツマス条約締結後、日比谷焼打事件で遂に内閣は瓦解した。日露戦争後は西園寺公望*22と交互に政権を担当した。この所謂「桂園時代」は官僚と政友会の対立均衡・相互依存の上に成り立っており、彼らは山県・伊藤ら元老に続く官僚政治家として実権を握りつつあった。桂の巧妙な人心収攬術はその肥満福相と相俟って「ニコポン政治」と仇名され、官僚と政治人、大ブルジョア間の橋渡しの役を果たした。'08社会取締不備の責を負って第一次西園寺内閣が倒れると、第二次内閣を組織し、労働運動に対する強圧政策を進め、特に'10大逆事件以後は「社会」の字が全く抹殺されるに至った。'10韓国併合、'11総辞職、内大臣侍従長となる。第二次西園寺内閣が師団増設に反対した為軍部に倒されると、'12.12三度首班となったが、憲政擁護運動の前に僅か二ヶ月で辞職せざるをえなかった(大正政変)。その間、桂は加藤高明*23らと三菱をバックに反政友会の新政党組織を企て、'13立憲同志会を結成したが、'13.10病没。(『コンサイスに本人名事典 改定新版』より引用)

内閣総理大臣
 内閣の首班である国務大臣。首相とも。明治憲法国務大臣の単独輔弼責任を定め、内閣官制も首相を「同輩中の主席」とし、その指導力は弱かった。当初は初代の伊藤博文など藩閥実力者が就いたが、1934加藤高明内閣から'32犬養内閣まで政党内閣の慣行が続いた。'36二・二六事件後組閣への軍部の干渉が激化し、'41東条英機*24は首相として初めて陸相を兼任した。日本国憲法は議院内閣制を採用、首相に国務大臣の任免権を与えるなどその地位を強化した。(『岩波日本史辞典』より引用)

内大臣
 近代、天皇を補佐した親任の宮内官。常時輔弼し、内大臣府を統括した。1885内閣制度発足にあたり設置。御璽国璽を保管し、詔書・勅書などを処理した。当初、前太政大臣三条実美*25を遇する為に設けられ、実美没後は侍従長徳大寺実則*26が明治末まで兼務。1912桂太郎内大臣のまま組閣し、宮中府中の別を乱すものと攻撃された。昭和に入ると、元老西園寺公望に代り、内大臣牧野伸顕*27天皇の日常政務を補佐、後継首相奏薦にも関与した。戦時中は木戸幸一*28内大臣天皇第一の側近として発言力を強めた。敗戦後、廃止。(『岩波日本史辞典』より引用)

 ケの象徴たる府中の代表内閣総理大臣に、ハレの権化たる天皇を輔弼する宮中の長内大臣。二重権力を国体の根幹に持ち続ける日本において、決して交わることの許されぬ二つの巨頭。そのどちらもに深く関った人物を二人挙げるとすれば、国運をかけた二つの日清日露の役を総理として乗り切った伊藤博文桂太郎になるでしょう。

 まずは博文さん。初代総理の座を守旧派筆頭清華家出身の名門中の名門太政大臣三条実美と争い勝利した際、体のいい名誉職として創設したポストが内大臣となります。これに旧弊の権化たる三条を任命して、あとはハレとケの分離を建前に、宮中府中の別の不文律で縛り、政権への干渉を封じたのです。余談ですが、伊藤は後の日露戦争直前期に同種の名誉職たる初代枢密院議長に祀り上げられてしまいます。人を呪わば穴二つとはよく言ったものですね。閑話休題。以降、三条が、条約交渉難航で政権を投げ出した黒田の後任で、二ヵ月後の山県内閣組閣までの繋ぎに総理大臣を兼任した以外は、三条の後任徳大寺公純の尽力もあり、決して破られることの無かった宮中府中の別ですが、桂太郎の手によってその禁は犯されます。大正天皇の即位の際、精薄の噂すら立てられる果てしなく頼りない新天皇の輔弼を口実に内大臣のポストに幽閉された桂太郎ですが、陸軍二個師団増設問題で宿敵西園寺が失脚すると、後を襲い、兼任のまま内閣総理大臣に就任してしまいます。その事でバチが当ったか、その第三次桂内閣は僅か二ヶ月の超短命に終わりますが、このことによって傷つけられた宮中府中の別の原則は後の禍根になります。いけ好かない政党の掣肘の為タッグを組んだ軍部と宮中、その禁じられた握手の背景に宮中府中の別を屁とも思わぬ君側の奸たる内大臣の暗躍があったことは忘れてはならないでしょう。権威と権力の分離、当たり前ながらもなかなか守ることの難しい二重構造。その価値と意味をもう一度再確認してみてもいいのではないでしょうか。

桂太郎:予が生命は政治である (ミネルヴァ日本評伝選)

桂太郎:予が生命は政治である (ミネルヴァ日本評伝選)

夜の加速度に背中押されて

 百年に一度の大恐慌。『幽☆遊☆白書』の冨樫のように色んな事を投げ出して、今東光みたいに出家遁世したり、『薔薇族』の様な趣味の世界に耽溺したりしたくなりますが、こんな時こそ百年前の二つの大戦を乗り越えた総理大臣伊藤博文桂太郎に学んで、決して諦めずに戦い抜こうではありませんか。眠れる獅子中国を蹴散らし、古き帝国アメリカを打ち砕いたその先に見えるパクス・ジャポニカの光栄。マスゴミネガティブキャンペーンに負けず今こそ日本の底力を見せるときです。それこそが、先の敗戦の際、国体護持のその為に、あらぬ罪を一身に背負って散っていった内大臣木戸幸一への最大の鎮魂となるはずです。・・・って木戸って死んでなかったっけか。

微笑みの爆弾

微笑みの爆弾

帰ってきた今日の一行知識

幽☆遊☆白書』の企画時タイトルは『幽☆遊☆記』
珍遊記』と被るんで変更を余儀なくされたようです。相変らず漫☆画太郎はトラブルメイカーだなっと。

*1:代表作:「天皇の帽子」、「悲劇の将軍 山下奉文本間雅晴」、「山中放浪」他。

*2:代表作:「伊豆の踊り子」、「雪国」、「古都」他。

*3:代表作:『薔薇よ永遠に―薔薇族編集長35年の闘い』、『心が破けてしまいそう―親・兄妹にも言えないこの苦しみはなんだ』、『編集長「秘話」』他。

*4:代表作:『HUNTER×HUNTER』、『てんで性悪キューピッド』、『レベルE』他。

*5:ラーメン屋。母温子。幻海に師事。ひょんなことから、霊界探偵として様々な妖怪絡みのトラブルを解決することとなる。霊光波動を継承するなどして、その実力を増し、最終的には魔族大隔世により魔族の血に目覚め、魔界統一トーナメントの台風の目となるに至る。

*6:和真。骸工大附属高校1年生。姉に静流。幽助との腐れ縁から数々のトラブルに巻き込まれるうちに、その潜在能力を開花させ、遂には次元刀を振るい魔界と人間界を遮る結界を切り裂く。

*7:妖狐。養母:南野志保利。人間名:南野秀一。才智に長けた実力派盗賊として魔界にその名を轟かすも、霊界特別防衛隊に討伐され瀕死の重傷を負い、這々の体で人間界に転生する。それにより、妖狐としての力を殆ど失うも、幽助に出会い数々の闘いを潜り抜ける内にかつての力を取り戻し、魔界三大勢力の筆頭黄泉陣営の参謀格に納まり、魔界統一トーナメントの実現に尽力する。トーナメント後は人間南野秀一として継父畑中の会社を継ぐべく修行中。

*8:母氷菜。妹に雪菜。氷河の国に炎の妖気を纏う忌み子として生まれる。生き別れの妹を探す為に人間界に侵入。そこで幽助に敗れて以降は彼と行動を共にし、魔界三大勢力の一角躯軍のNo2にまで登りつめる。トーナメント後は、不本意ながらも躯の下で魔界パトロールに奉職している模様。

*9:当時そんな言葉ありませんでしたが

*10:養父:水井武兵衛。

*11:養父:伊藤弥右衛門。旧名:水井武兵衛。

*12:第二代内務卿。父和田昌景、養父桂九郎兵衛。旧名:桂小五郎。維新においては薩長同盟を実現にこじつけるなどの維新の三傑の一人に数えられるほどの功績を挙げる。新政府でも長州派の筆頭として廃藩置県を主導するなど新国家の基盤作りに尽力。

*13:第三次伊藤内閣大蔵大臣。侯爵。父光享。通称:聞多。高杉や久坂らと共に長州藩尊皇攘夷運動を主導。新政府では伊藤派のNo2として外交・財政に辣腕を揮い、元老として重きを為した。

*14:春風。父小忠太、母みち。号:東行。松下村塾三傑の一人と称えられるほどの俊才。奇兵隊を組織し長州藩守旧派を駆逐し、長州征伐撃退の原動力となる。

*15:第1・3・5代内務卿。父利世、母(皆吉)福。維新の三傑の一人として、明治初年度の国政を主導。西南戦争を鎮定するも、不平士族の恨みを買い紀尾井坂にて暗殺。

*16:第8・17代内閣総理大臣。侯爵。父信保、母三井子。佐賀藩の代表として明治初年度の外交財政を主導するも、明治十四年の政変で下野。立憲改新党を組織し政党勢力の代表として自由民権運動の進展に尽力。第一次の内閣は閣内不統一により短命に終わるも、第二次内閣では第一次世界大戦を戦い抜いた。

*17:안중근。日露戦争以降の大韓帝国への日本の容喙に憤慨し、抗日義兵闘争を組織。遂にはハルピンにて伊藤博文を暗殺するに至り、刑死。

*18:馬廻役。125石。

*19:第3・9代内閣総理大臣。公爵。陸軍元帥。父有稔。長州閥の筆頭として明治期の政界・陸軍に重きを為す。ライバルの伊藤死後は「元老中の元老」として政界を後見。

*20:第一次伊藤〜第二次松方内閣陸軍大臣。公爵。陸軍元帥。父綱昌、母競子。従兄に西郷隆盛。薩摩閥の筆頭として明治期の陸軍を山県と共に主導し、日清・日露の戦捷に貢献。戦後は元老として政界にも睨みをきかせる。

*21:第19代内閣総理大臣。父直治。通称:「平民宰相」。立憲政友会の総裁として日本初の政党内閣を組閣し、普選拒否・シベリア出兵などの強硬路線を貫くも、その財閥重視の政策を憎まれ、東京駅にて暗殺。

*22:第12・14代内閣総理大臣。公爵。父徳大寺公純、養父西園寺師季。伊藤の後継者として、日本の政党政治の発展・定着に尽力。陸軍の容喙により「憲政の常道」崩壊後も、「最後の元老」として軍部の専横に抵抗するも果たせず病死。

*23:第24代内閣総理大臣。伯爵。父服部重文、母久子。岳父に岩崎弥太郎。「三菱の大番頭」と揶揄されながらも、桂の遺志を継ぎ、立憲同志会の立ち上げに尽力。護憲三派内閣組閣後は普通選挙法や治安維持法などを成立に導く。

*24:第40代内閣総理大臣。陸軍大将。父英教、母(徳永)千歳。永田鉄山の後継者として統制派を率い、陸軍を牛耳る。首相就任後は、天皇からの絶対的信任を背景に空前の独裁体制を築くも、戦局の悪化に伴い失脚。戦後は対米開戦の主犯としてA級戦犯に指名され、絞首刑。

*25:太政大臣。公爵。父実万。母(山内)紀子。朝廷尊皇攘夷派の筆頭として「七卿落ち」などの苦難に遭いながらも、王政復古後復権。岩倉と共に新政府の守旧派の代表として、伊藤らの改革路線を牽制した。

*26:宮内卿。侯爵。父公純。弟に西園寺公望明治天皇の側近として、天皇の政治関与に強硬に反対。自身も宮中府中の別を守り、政界への関与を一切控えた。

*27:第一次山本内閣外務大臣。伯爵。父大久保利通、母(早崎)満寿子、養父牧野吉之丞。女婿に吉田茂。岩倉遣欧使節団の随員として渡欧した経験を武器に外交畑を歴任。ベルサイユ講和会議には副全権として出席。大正デモクラシー期以降は元老西園寺の側近として、宮中から「憲政の常道」維持に貢献。

*28:平沼内閣内務大臣。侯爵。父孝正。近衛と共に「革新貴族」の一角として、軍部独裁に対抗する。内大臣就任後は宮中勢力を糾合し、西園寺亡き後の「元老」機能を吸収し、戦中のキングメーカーとして君臨。戦後は天皇の戦争責任回避の為、罪を一身に被りA級戦犯として終身刑