蓮舫さん、カジノ法案可決で涙 「本当に悔しい。あの与党議員の笑顔を絶対忘れない」 : はちま起稿
キャッチーで色々ツッコミどころはあるけど、全部「じゃあパチンコは?」の一言で封殺できるカジノ法案を囮に本命の年金法改革を通す、凄まじい妙手です。そんな露骨な作戦にまんまと引っかかる野党とマスゴミが心から間抜けなだけとも言えますが。
心の風邪が治ったと思ったら、今度は体の風邪をうつされた。
- 作者: 川田稔
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2007/06/01
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生き残りたい生き残りたいまだ生きてたくなる
浜口雄幸
明治三(1870)〜昭和六(1931)年。大正・昭和期の財政家・政治家。水口胤平*1の3男、浜口家の養子。高知県出身。東京帝国大学卒。
1895大蔵省に入り松山・熊本・東京各税務管理(のち監督)局長などをへて、1906煙草専売局事業部長。専売事業の統合を果たして'07専売局長官。後藤新平*2の知遇を得、その求めで第3次桂内閣の逓信次官。さらに立憲同志会に入党、政界に転じた。その後、第2次大隈内閣の大蔵次官、ついで'15衆院議員に出馬し、以降当選6回、憲政会きっての財政通として「苦節十年」の野党時代に政友会内閣の「放漫財政」批判の中心に立った。'24第1次加藤高明内閣の成立とともに蔵相に就任、年来の抱負を生かして行財政整理に取り組み「宇垣軍縮」実現に協力、次の第1次若槻内閣にも留任、のち内相に転じた。'27民政党初代総裁に選ばれ、'29田中義一政友会内閣に代わって組閣、その威厳ある特異な風貌と篤実な人柄とから「ライオン首相」と呼ばれて、腐敗を深めた政党政治刷新の期待が寄せられたが、内閣が政綱にかかげた金解禁と緊縮財政の実行は、折からの世界恐慌と重なったため深刻な不況を招き、社会不安の激化の中でかえって政界は混迷に陥った。こうした中で'30海軍軍令部の反対を抑えてロンドン軍縮条約に調印、元老西園寺公望*3らの支持を得て国際協調主義を貫いたことから、軍部・右翼とこれに呼応する枢密院・政友会から「統帥権干犯」の非難が高まり、東京駅で右翼青年*4に狙撃されて重傷を負った。その後、条約批准をめぐる議会の混乱収拾のため病躯を押して登院、容体悪化し'31首相・総裁を若槻*5に譲った。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)
若槻礼次郎と並ぶ受験日本史昭和初期篇の難敵浜口雄幸。ロンドン海軍軍縮条約とその後の統帥権干犯問題でのみ語られがちな彼を、野党であった民政党総裁時代の活躍からしっかり順を追って語ってくれています。ただ、学問的に真摯な語り口な分、読み物としての面白味はかなり控えめ。豊田穣や半藤一利はエンターテイナーとして超一流だったんだなと再確認させてくれます。マイナーなれど骨太な面白さを秘めた題材だと思うので、誰か小説化を希望します。
本気のココロ見せつけるまで私眠らない
個人的に摂関時代と大正デモクラシー期(昭和初期含む)は高校日本史の華と思います。「義務教育では省略されていたあの時代が実がこんなにややこしくて面白いなんて」。この感想を持てるかどうかが、人を歴史好きにできるかどうかの分かれ道ではないでしょうか。「教養としての知識は中学時代の教科書レベルで十分。高校以上の知識レベルは雑談のネタとしてはむしろ邪魔」とは、上司からの覚えめでたい若手ドクターから教わった雑談の極意ですが、願わくは少しでももうちょっと踏み入ったお話のできる人の増えて欲しいものです。まあ、それ以前に「飛鳥時代って江戸時代とどっちが昔?」なんて聞いてくる輩の方が遥かに多いのが現実なんですけどね。
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帰って来た今日の一行知識
浜口雄幸は本来「浜口幸雄」となるはずだった
役所に届け出る際に祝い酒で泥酔した父親が「雄幸」と逆に書いてしまったのが受理された模様。この飲んだくれオヤジの所為で何人の受験生が涙を呑んだことでしょう。罪深いもんです。
*2:寺内内閣内務大臣。伯爵。父実崇、母利恵。医学者として活躍中に児玉源太郎に見出され台湾経営に辣腕を発揮し政界進出。南満州初代総裁の経歴もあって、中国大陸進出策を主張、「大風呂敷」と揶揄された。第七代東京市長に就任後は関東大震災にも負けず帝都東京の礎を築いた。
*3:第12・14代内閣総理大臣。公爵。父徳大寺公純、養父西園寺師季。木戸・伊藤の知遇を得、政界進出。フランス仕込のリベラル思想で伊藤から引き継いだ立憲政友会を牽引、内閣総理大臣として桂と共に桂園時代の安定を現出。首相引退後は元老として天皇を輔弼。松方死後「最後の元老」となってからはキングメーカーとして憲政の常道の定着に尽力するも、二・二六事件後の軍部の暴走を掣肘することはできず、日本の将来を憂いつつ病死。
*4:佐郷屋嘉昭。全日本愛国者団体会議初代議長。旧名:留雄。統帥権干犯問題に義憤を滾らせ、浜口首相を狙撃し逮捕。出獄後は右翼団体の巨頭として活躍。
*5:礼次郎。第25-28代内閣総理大臣。男爵。父奥村仙三郎、母クラ。東京帝大屈指の俊英として大蔵省で累進。大正政変後立憲同志会に参加し政界進出。加藤高明の急死により憲政会総裁を継ぎ首相就任するも金融恐慌により退陣。浜口雄幸の横死に伴い再度民政党総裁および首相就任。しかし、満州事変の不拡大方針が軍部および政友会の不興を買い挙国一致の大義名分の下に失脚退陣。