脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『海軍と日本』

http://www.sugoren.com/2008/06/18.php
下ネタで場を凍らせない為には、技術より人徳が重要。無理な人には一生ムリです。大人しくあきらめましょう。


 今日の夕飯は玉子かけご飯特盛り。死ぬほど美味かったのに、何故だか涙が止まらないのはどうして。

海軍と日本 (中公新書 (632))

海軍と日本 (中公新書 (632))

海行かば水漬く屍山行かば草生す屍

海軍
 日本に於いて近代的海軍建設が本格化したのは、1872兵部省から海軍省が独立して以降のことである。日清戦争以前の軍事政策は陸主海従の性格が強く、海軍軍令部が設けられたのは'93であった。その反面、海軍省の権限は非常に大きく、日本海軍は薩派の海軍大臣、とりわけ西郷従道*1山本権兵衛*2によって建設されたと言っても過言ではない。'80年代の海軍拡張=軍艦輸入は貿易収支の黒字幅の範囲内に抑えられ、その勢力も清国海軍に劣っていた。ところが、日清戦争('94-'95)による清国からの賠償金の取得をきっかけに、日本の海軍拡張はロシア海軍の増強に対抗して、イギリスからの借金で英国製軍艦を輸入するという新しいパターンに入った。日露戦争(1904-'05)の結果、日本海軍は東洋最大の海軍勢力となったが、この頃から、正貨事情の悪化もあって日本は軍艦の本格的国産化を開始し、'20アメリカ海軍を軍備標準とする八八艦隊予算が成立。第一次世界大戦後には、日本海軍は世界第3位の大海軍となり、この地位はワシントン・ロンドン両軍縮条約期('22-'36)を経て、太平洋戦争時まで維持された。この間、斎藤実*3加藤友三郎*4ら歴代海軍大臣英米との協調に努めたが、'30統帥権干犯問題から、軍令部を中心に、それに不満を持つ少壮軍人の発言力が強まり、海軍は陸軍に引きずられる形で対英米戦争へ突入し、壊滅した。(『岩波日本史辞典』より引用)


 元海軍若手将校の作者が描く生きた海軍史。そこで暮らしかつその常識に染まりきっていないという抜群の条件を以て活写分析される日本海軍の歴史と体質は非常に興味深いものがあります。ただ、海軍時代相当いじめられたのか、各章の結論部分で毎回出てくる恨み節と海軍の実力の矮小化には多少辟易させられます。そこを笑ってケンチャナヨ出来れば非常に面白く為になる一冊だと思います。スマートで気障なネイビーに憧れる方は是非ご一読を。

大君の辺にこそ死なめかえりみはせじ

 太平洋戦争開戦の責任を一身に押し付けられた陸軍。その一方で常識的で穏健なエリート集団として描写されがちな海軍ですが、贔屓目抜きに冷静に振り返ってみると、軍隊は政治に関与せずのイギリス海軍の伝統を盲目的に墨守してしまい、結局は道を違えてしまった海軍首脳陣の無為の罪がどうしても目立ってしまいます。結果を知ってる身からすれば、陸海本格決裂の危険を冒してでも、海軍には陸軍を掣肘して欲しかったと思えてなりません。今も昔も、日本人は声の大きい人間に引っ張られて黙認してしまう悪癖は直っていないようです。

軍歌のすべて

軍歌のすべて

*1:山県内閣内務大臣。侯爵。海軍大将。父吉兵衛、母政子。兄に隆盛。旧名:隆道。海軍大臣のち元老として「薩摩の海軍」を代表し、軍・政界に一勢力を成した。

*2:第16・22代内閣総理大臣。伯爵。海軍大将。父盛萊。日清戦争を軍務局長、日露戦争海軍大臣として、日本軍を勝利に導くも、総理大臣は二度ともスキャンダルで志半ばで辞職。

*3:第30代内閣総理大臣。子爵。海軍大将。父耕平。挙国一致の中間内閣として五・一五事件事件後の多難な政局に挑むも帝人事件で辞職。以降は内大臣として軍部・政党・宮中三者の利害調整に当たるも「君側の奸」として二・二六事件で暗殺。

*4:第21代内閣総理大臣。子爵。海軍元帥。父七郎兵衛。超然内閣を率いシベリア撤兵・陸海軍大軍縮などを行い、大正デモクラシーの大輪の華を開かせた。