脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

仮面ライダーBLACK RX音楽集と雄弁会と参謀総長について

痛いニュース(ノ∀`) : 【サッカー】 闘莉王のファウルでコートジボワール代表ドログバ選手が右腕骨折 - ライブドアブログ
ここ数戦での「活躍」で少し好きになりかけてたのにこれはいただけません。モブはモブらしく分をわきまえましょう。


 ようやくダンボールを開梱。計1000ℓに届こうかという本の山に心挫けそうです。

大なる使命を担ひて立てるわれらが行手は窮り知らず

仮面ライダーBLACK RX音楽集

支配したがる魔術師 妖しげな超能力 - 脱積読宣言

仮面ライダーBLACK RX音楽集 テレビ・オリジナル・サウンドトラック
COCC-72231。Columbia Music Entertainmentより2007.3.21発売。
音楽:川村栄二*1
収録曲
1.OPENING THEME
2.BEGINNING
3.BEHIND THE SHADOW
4.SHOW THEMSELVES
5.FACE THE CRISIS
6.WAKE UP!
7.RESOLUTION
8.THEME VARIATIONS
9.EVIL FORTRESS
10.HOME
11.INTO A TRAP
12.ATTACK AND ATTACK
13.BEAT DOWN
14.THEME INSTRUMENTAL
15.TOMORROW
16.ENDING THEME

 仮面ライダーBLACK RXのBGM集。正しくそれ以上でもそれ以下でもないアルバムです。1200円の定価は良くも悪くも適正価格でしょう。せめてオープニング・エンディングはフルサイズで欲しかった。

ANIMEX 1200シリーズ(151)仮面ライダーBLACK RX 音楽集

ANIMEX 1200シリーズ(151)仮面ライダーBLACK RX 音楽集

雄弁会

God Save the Queen - 脱積読宣言

早稲田大学雄弁会
 早稲田大学の弁論クラブである。内閣総理大臣を務めた竹下登*2小渕恵三*3ら数多くの政治家を輩出。なお、政治家志望の学生の親睦団体ではないため、早稲田大学卒業の政治家の中で当会非出身者も多くいる。
 1884前身の同政会が発足。1902早稲田大学雄弁会発足。大学創設者の大隈重信*4雄弁会総裁に就任。顧問に高田早苗*5博士、会長に安部磯雄*6教授を戴く。'46当時活動していた「弁論部」と「学生雄弁会」の二つが統合され、早稲田大学雄弁会再発足。(wikipediaより引用)

 大学弁論部の名称として多用される雄弁会の名ですが、やはり雄弁会と言えば、早稲田雄弁会でしょう。一昔前には、今の松下政経塾の如く若手政策派議員の登竜門の如くなっていた気がします。
 竹下・海部・小渕・森(+石橋)と総理大臣を輩出した当組織ですが、竹下が首相になるまでは、そこまで名門の証と言う風情ではなく、竹下が同門の早稲田出身者を重用した為、雄弁会の面々に累進の道が拓けたというのが真相のようです。修道OBのみなさん京都でも頑張って天下とって下さい。

早大雄弁会―それぞれの人生劇場

早大雄弁会―それぞれの人生劇場

 

参謀総長

闇の翼ですべてをつつむ夜のためのアリアpt4 - 脱積読宣言

参謀本部
 陸軍の軍令統轄機関。軍令機関を独立させたドイツ軍制を範と仰ぐ山県有朋*7桂太郎*8の意見を容れて、1878陸軍省から独立し、内閣の外にあって天皇に直属する軍令統轄機関として設置された。'86海軍をも管轄する統一的軍令機関となったが、'89海軍参謀部を分離して陸軍の軍令機関に戻った。参謀総長の任用資格は陸軍大中将。'93制定された戦時大本営条例では、参謀総長が陸海軍の作戦計画を立てるとされていたが、日露戦争の1903改正され、参謀総長軍令部長とは大本営に於いて全く同格となった。この間、参謀本部の実権は長らく次長を務めていた薩派の川上操六*9が掌握しており、山県閥の参謀本部への浸透は1899川上の死を待たねばならなかった。1913軍部大臣現役武官制の廃止に対する対抗措置として参謀本部の権限は拡張され、上原勇作*10の総長在職中('15-'23)には、山県閥と政党勢力に対する一代敵国の様相を呈した。参謀本部廃止論が高橋是清*11によって唱えられたのはこの頃である。昭和に入ると参謀本部は軍部の政治的台頭の立脚点の一つとなったが、日中戦争の長期化によって戦争が総力戦化すると、軍令機関の独立と戦争指導が矛盾をきたすようになり、太平洋戦争開戦後の'44東条英機*12首相兼陸相参謀総長をも兼任した。'45廃止。(『岩波日本史辞典』より引用)

 大日本帝国陸軍を過てる方向に導いた軍令部の筆頭格参謀総長。その面々はと見渡すと大山・山県を筆頭に川上操・上原勇作・河合操・杉山元東条英機梅津美治郎と「なかなか」の面子揃い。短命に終わった児玉源太郎参謀総長が長く続けば・・・と思わずにはいられません。油断すると現場が上層部の統制を外れ暴走するのは日本の麗しき伝統ですが、誰よりも下命に忠実でなければならぬ軍隊においてこれなのだから、この宿痾の根は深そうです。

参謀総長モルトケ―ドイツ参謀本部の完成者

参謀総長モルトケ―ドイツ参謀本部の完成者

現世を忘れぬ久遠の理想

 帝国陸軍参謀総長たちの描いた八紘一宇の理想、雄弁会に集う若人たちの描く政治改革の理想、各人それぞれに理想に邁進した結果が大東亜やバブルの敗戦なのでしょうか。やはり厳しい現実の只中にあっては久遠の理想を貫くことも逆に現実にすり合わせることも難しいのでしょう。しかしそれでもいくつになっても『仮面ライダーBLACK RX音楽集』に燃えた頃の中二な野望は捨てずにいたいものです。

東京六大学の歌

東京六大学の歌

帰ってきた今日の一行知識

RXでライダーシリーズが一旦終わったのは仮面ノリダーのせい。
パロディが酷すぎて本家のやる気がなくなってしまったのがその理由の模様。製作者の皆様方には二次創作での扱いに一喜一憂せず鷹揚に構えてもらいたものです。

*1:代表作:『銭形平次』(TVドラマ第4弾)、『五星戦隊ダイレンジャー』、『あずみ2 Death or Love

*2:第74代内閣総理大臣。正二位大勲位。父勇造、母唯子。孫にDAIGO。橋本登美三郎の寵愛を受け、ニューリーダーとして台頭。当時最年少で内閣官房長官に就任するなど、田中派の若大将として累進。総理復帰の野心を捨てぬ角栄に反旗を翻し独立、経世会を立ち上げ自民党最大派閥の長となり、中曽根の後を襲い総理就任するも、消費税導入やリクルート事件により退陣。

*3:第84代内閣総理大臣。正二位大勲位。父光平、母(関)ちよ。竹下派七奉行の一角として活躍し、小沢一郎との死闘の果てに経世会の会長に就任。暫くは自民党の退潮もあって日蔭暮らしを余儀なくされるも、橋本龍太郎の退陣に伴い首相戴冠。当初は「冷めたピザ」と揶揄されるほどの弱体政権だったが、ITバブルによる景気回復や自自公連立により政権は安定、長期政権も視野に入り始めた矢先、宿敵小沢率いる自由党の与党離脱のストレスから脳梗塞を発症し病死。

*4:第8・17代内閣総理大臣。侯爵。父信保、母三井子。肥前の代表として新政府で重きをなすも、明治十四年の政変で失脚下野。立憲改進党を組織して自由民権運動を主導。伊藤との妥協により政府復帰後は外務大臣として活躍、隈板内閣を組織するに至るも、憲政党分裂により内閣は瓦解。一度政界引退し、早稲田大学創設など教育者として活躍するも、第一次護憲運動で政界復帰。再戴冠により第一次世界大戦を戦い抜き日本を列強の座に押し上げた。

*5:第二次大隈内閣文部大臣。大隈と行動を共にし、立憲改進党や東京専門学校(早稲田大学)の立ち上げに協力。二度の大隈内閣では文部省関連職で活躍し、早稲田大学でも大隈の後を襲い総長となった。

*6:初代社会民衆党委員長。父岡本権之丞。キリスト教社会主義者として活躍、社会民主党社会民衆党社会大衆党などに参加。戦後は日本社会党の顧問となる。野球に造詣が深く、早稲田大学野球部創設や東京六大学野球連盟初代会長就任などの功績により「日本野球の父」と呼ばれる。

*7:第3・9代内閣総理大臣。陸軍元帥。公爵。父有稔。奇兵隊で頭角を顕し、明治新政府で徴兵制の導入などの黎明期の陸軍を主導した。次いで内務卿に転じ、官僚制度の確立に尽力。藩閥の筆頭として2度の首相を経て元老就任。キングメイカーとして、政党勢力と対峙するも、宮中某重大事件により失脚憤死。

*8:第11・13・15代内閣総理大臣。陸軍大将。公爵。父与一右衛門、母(中谷)喜代子。ドイツで軍学を学び、日本陸軍の軍制確立に貢献。山県の後継者として首相戴冠。当初は「二流内閣」と揶揄される弱体内閣だったが、日露戦争の勃発と勝利によって、権力を確立。西園寺と共に「桂園時代」と呼ばれる長期政権を樹立。最後は大正政変により失脚憤死。

*9:第3代参謀総長。陸軍大将。子爵。父親徳。薩摩藩閥の陸軍士官として、戊辰戦争西南戦争での活躍により累進。大山巌の引き立てにより参謀総長に就任し、日清戦争の勝利に貢献、明治陸軍の三羽烏の一人に数えられる。

*10:第二次西園寺内閣陸軍大臣。陸軍元帥。子爵。父龍岡資弦。日清日露の両戦役で参謀として活躍。陸軍大臣教育総監参謀総長の三職全てを歴任、上原閥を形成し長州閥に対抗した。

*11:第20代内閣総理大臣。子爵。父川村庄右衛門、母きん、養父高橋覚治。日本銀行にて日露戦争の外債募集などで頭角を顕し、第一次山本内閣で蔵相として政界入り。原の後継として政友会総裁及び首相を継承するも閣内不統一のまま政権は瓦解。その後は第二次護憲運動の旗手として活躍し、田中義一内閣の蔵相に就任後は高橋財政と呼ばれる積極財政を展開し、世界恐慌からいち早くの脱出を果たすも、軍部予算の縮小を憎まれ二・二六事件で暗殺。

*12:第40代内閣総理大臣陸軍大臣。父英教、母(徳永)千歳。永田鉄山の後継者として統制派を主導。「カミソリ東条」の雷名をほしいままにし、陸軍強硬派の筆頭として首相就任。不思議と昭和天皇からは和平を望む穏健派と信任され、その寵を背景に首相内相陸相参謀総長を兼ねる空前の独裁体制を確立するも、戦局の悪化に伴い失脚。敗戦後はA級戦犯筆頭として東京裁判で絞首刑。