脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『昭和天皇 第二部 英国王室と関東大震災』

艦これさん、wikipediaをコピペして新キャラを作るも wikiが間違えていたため間違った設定のまま実装してしまう… | やらおん!
昔世話になった教授が「『web媒体からの引用禁止』のレポート課題でwikipediaに間違った記述仕込んどくと面白いくらいひっかかる」ってドヤ顔してたの思い出した。


 主治医に「食後に痰絡みがひどい」って相談したら、真顔で「嚥下訓練を」って言われた。・・・俺、いくつまで生きれるかなあ。


DQⅪS進捗

  • 無明の魔神に敗北。称号:男の中の男

君の膝が笑っても僕はそれを笑わない

昭和天皇
 明治三十四(1901)~昭和六十四('89)年。在位:昭和元('26)~昭和六十四('89)。嘉仁親王*1(後の大正天皇)と節子*2妃の第1皇子。迪宮裕仁親王
 1912皇太子となり陸海軍少尉に任官。'14-'21東宮御学問所で帝王教育をうけた。'21欧州歴訪、摂政就任。'24久邇宮良子*3女王と結婚。'26.12践祚、'28.11即位礼、大嘗祭天皇は側近とともに大正時代に低下した天皇の権威回復につとめ、'29田中義一内閣を総辞職に追い込み、2・26事件では反乱軍鎮圧を強く要求、以後大元帥としての主体的言動が強まった。日中戦争勃発後15回の御前会議、8回の大本営会議に出席、1753件の大本営命令の裁可を行なった。太平洋戦争中、天皇は軍から毎日戦況報告をうけ、精力的に戦争指導にあたり、しばしば統帥部責任者を叱責、司令部の引締め、将兵の士気高揚につとめた。天皇は'45近衛上奏文を拒否したが、'45.5以降終戦やむなしとの判断に傾斜、'45.8木戸幸一*4内大臣らの進言により〈聖断〉による戦争終結にふみきった。'46.1天皇人間宣言を行い、日本国憲法により象徴天皇としての地位が規定された。マッカーサー*5と11回の会見を重ね、'47.9〈沖縄メッセージ〉など政治的影響力を失わなかった。'46-'54全国巡行(沖縄を除く)。'71欧州歴訪、'75訪米。789.2大喪の礼。東京八王子市武蔵野陵に葬る。(『岩波日本史辞典』より引用)


 彼の人の数奇な人生を描く伝記第二弾。本巻は欧州歴訪出発から大正天皇崩御まで。うるさ型の目から離れ思う存分羽を伸ばしまくってる前半と、帰国後摂政就任後原敬暗殺・関東大震災虎の門事件と来る昭和の暗雲を予感させるような昏い事件の数々に心痛める様との落差が実に激しく痛々しいものが。特に外遊では数々のエピソードのどれをとっても本当に楽しんでるなあってのが伝わってきてほっこり。後半は普通に大正末期の政治史の様相を呈してて伝記としてはちょっと脱線気味かと。前巻ほどの衝撃的な面白さは多少かげを潜めますが、それでも十二分に面白い知的エンターテイメント。激動の昭和の前史のガイドブック代わりにどうぞ。

向う相手の強さを知っているから

 この歳になってつくづく思うのは名家や家業のある家に生まれなくてよかったなあと。生まれながらにしてレールが敷かれてるってのはそれに載って走るにせよ外れるにせよ鬱陶しそうですもんね。自由を満喫させてくれた父母に感謝です。フリーダムすぎて人生今このざまって気がしなくもありませんが。

ルクセンダルク小紀行 (通常盤 CD only)

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  • アーティスト:Linked Horizon
  • 発売日: 2012/08/22
  • メディア: CD

08. 彼の者の名は・・・[Vocalized Version]

帰ってきた今日の一行知識

皇太子裕仁親王のフランス土産は木彫りのエッフェル塔と絵葉書

なんとも庶民的な。のびのびと羽を伸ばしてる姿が想像できてほっこりしますね。

*1:第123代天皇。父明治天皇、母柳原愛子。生来の病弱で精薄を疑われるほどであったが、その治世下では大正デモクラシーと大正浪漫が成熟した。

*2:貞明皇后大正天皇皇后。父九条道孝、母(野間)幾子。子に昭和天皇秩父宮雍仁親王高松宮宣仁親王三笠宮崇仁親王

*3:香淳皇后昭和天皇皇后。父邦彦、母(島津)俔子。子に東久邇成子、久宮祐子内親王、鷹司和子、池田厚子上皇陛下、常陸宮正仁親王島津貴子

*4:平沼内閣内務大臣。侯爵。父孝正、母(山尾)寿栄子。農水官僚として活躍したのち、父の地盤を継いで貴族院議員就任。「革新貴族」として活躍し、近衛の盟友として累進。昭和天皇よりの信任も厚く、最後の元老西園寺の死後は内大臣として首相推奏権を掌握。戦後は戦争責任論を天皇に及ばさないために、罪を一身に背負いA級戦犯として終身刑

*5:Douglas MacArthur。連合国最高司令官アメリカ陸軍元帥。アーサー・マッカーサー・ジュニア、母メアリー・ピンクニー・ハーディ。ウェストポイントを空前の成績で卒業後、フィリピンで「マッカーサー王国」と呼ばれる権勢を誇る。太平洋戦争ではフィリピン失陥後、西南太平洋方面司令官として反抗作戦を主導し勝利に貢献する。戦後はGHQの総司令官として日本の占領を総括し、一時は大統領候補にも擬されるも、朝鮮戦争で原爆使用などの戦争遂行方針でトルーマン大統領と対立し失脚。