脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『「文芸春秋」に見る昭和史1』

公立中だと学年で一番頭良かった奴でも大学は早慶止まりだよな:哲学ニュースnwk
煽りじゃなく早慶レベルに意識高い系のアカン子が大量発生する理由がこれだと思います。20年間ほぼ人の後塵拝した経験ない奴が現実に直面したらそら逃避もするわ。自分なんか自慢じゃないけど「クラスで一番」なんてなった経験一度もないぞ。


 不動産業体験記その4。仕事で使うサイトへのログイン方法教わりに行った先輩のブラウザに別タグで「哲学ニュース」が開いてた。上司が近くにいたので「自分もファンです」と声かけられなかったのが残念でなりません。今度飲み会の時に噺のタネにしてお近づき*1になろっと。


競馬成績・・・H30収支-27090

SRWX進捗

  • 3周目第35話「さらなる高みへ」Hi-νガンダム戦線投入。トップエース:戦部ワタル@龍神丸

絶え間のない暮らしを今日も重ねた

 世相を映す鏡、それは雑誌。日本を代表する国民的言論紙『文藝春秋』が描く昭和の世相。あなたはこの時代どう生きてましたか?


 大正十二年創刊の伝統を活かし切ったシリーズ。初巻である本巻は昭和元年から昭和二十年までの所謂戦前期。次第に重苦しく塗りつぶされてゆく世間の空気を活写してくれています。折角なので各年ごとの印象に残った記事を一つずつ紹介。

  • 昭和元年「大正天皇御臨終記」・・・侍医頭入澤達吉の日記を昭和28年1月号で公開したもの。日記文がお好きな方は楽しめるのでは。
  • 昭和二年「観兵式場・直訴者の手記」・・・北原二等卒直訴事件の張本人が昭和32年4月号に載せた回顧録。戦後に入ってからとは言え、よく載せれたなあ。
  • 昭和三年「私が張作霖を殺した」・・・張作霖爆殺事件の張本人河本大作が昭和29年12月号に載せた回顧録。よくもまあいけしゃあしゃあと
  • 昭和四年「同志「山宣」の流せる血」・・・右翼に刺殺された労農党の衆議院議員山本宣治に捧ぐ追悼文。恐ろしいことに掲載誌は昭和4年4月号。よく発禁喰らわなかったな
  • 昭和五年「不景気の真相」・・・昭和5年5月号に載った市井の人々を集めた座談会。当時の世相と相場がよく分かります
  • 昭和六年「満蒙と我が特殊権益座談会」・・・森恪や中野正剛などを招いて昭和6年10月号で開催された座談会。当時の大陸観の教科書にできます
  • 昭和七年「荒木陸相に物を訊く座談会」・・・昭和7年9月号に掲載された荒木貞夫を囲む座談会という体を取った独演会。直木三十五菊池寛、古城胤秀らの大家たちが見事な幇間を演じており、当時の荒木の権勢が偲ばれます。
  • 昭和八年「ゴー・ストップ問題」・・・昭和8年9月号掲載のゴーストップ事件に関する意見記事。今の目から見ると正気とは思えないアクロバティックな陸軍擁護に苦笑を禁じえません。
  • 昭和九年「ナチスは日本に好意をもつか」・・・昭和9年6月号掲載のナチス分析記事。ヒトラームッソリーニの持つ根深い黄色人種差別意識を根拠にナチスへの過度の期待を戒めてます。のちの目から見ても慧眼極まりありません。
  • 昭和十年「第一回芥川龍之介賞直木三十五賞決定発表」・・・昭和10年9月号掲載の記念すべき第1回芥川・直木両賞の講評。ここからすべてが始まりました
  • 昭和十一年「随筆宮本武蔵」・・・吉川英治の語る『宮本武蔵』連載の裏話。昭和11年2月号掲載。「なんと了見の狭い」と直木三十五への義憤が滾ること請け合いです
  • 昭和十二年「学生の知能低下に就いて」・・・昭和12年5月掲載の哲学者三木清の意見論文。内容は標題の通り。いつの時代も老害の嘆きは変わらんのだなあ。
  • 昭和十三年「総動員法問答事件」・・・「黙れ」事件の張本人佐藤賢了がまさかの回顧録。昭和30年8月号所載。よくもまあいけしゃあしゃあとパート2。つーかこの人処刑されてなかったんだ
  • 昭和十四年「常勝双葉山を屠った瞬間」・・・双葉山の70連勝を阻止した安藝ノ海の回顧録。昭和30年6月号収録。暗く成り行く世相に一服の清涼剤です。
  • 昭和十五年「勝って兜の緒を締めよ」・・・昭和15年4月号掲載の大島浩の意見論文。日独伊三国同盟締結で得意絶頂のドヤ顔が浮かんで腹立たしい事この上ありません。
  • 昭和十六年「宅間ヶ谷隣組」・・・昭和16年2月号掲載の林房雄の随筆。鎌倉の長閑な高級住宅街の風景が浮かびます
  • 昭和十七年「運命の海戦」・・・当時第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介の筆になる昭和24年10月号所載のミッドウェー海戦回顧録。かの悪夢の海戦の詳細を記した最初期の公刊物のため、今となっては色んなところで孫引きされまくりで、手に垢のついた内容。逆に言えばほぼ1次史料なので研究のタネにどうぞ
  • 昭和十八年「「兵隊製造人」の手記」・・・名古屋聯隊司令部勤務だった神戸達雄による赤紙発送回顧録。昭和30年2月号収録。ウィットに富んだシニカルな視点は一篇の短編小説としても良質。
  • 昭和十九年「二十五歳以下」・・・昭和19年2月号掲載の神風特攻隊取材記。英雄としてたたえる建前の裏にうかがえるやり切れなさがなんとも言えない読後感を残します
  • 昭和二十年「東京大空襲・救護隊長の記録」・・・陸軍軍医学校第一救護班班長として東京大空襲の救護活動に尽力した久保田重則氏の回顧録。昭和47年3月号掲載。胸を打つ圧倒的なリアリティは戦争文学としても出色の出来。

悪くないなって思いながら明日を悟ったんだ

 これ読むと戦争は政府が起こしたんじゃなく国民が起こしたんだってのがよく分かるなあ。わかっていても止められない破滅への暴走列車。自分たちも数十年後の子孫たちに超少子高齢化社会で亡国を招いた愚かな世代と後ろ指さされるのでしょうか。

私以外私じゃないの(通常盤)

私以外私じゃないの(通常盤)

帰ってきた今日の一行知識

巨人は本来は「東京金鵄軍」(東京ゴールデンカイツ)か「東京トンボ軍」(東京ドラゴンフライズ)になる予定だった
アメリカ遠征時に愛称決めることになった際に上記の案に決まりかけたが、悠長に会議を重ねてた所為で、エージェントが勝手に「東京ジャイアンツ」と公表しちゃってた模様。怪我の功名でもし当初案通りだったら今ほどの人気が出たかは微妙ですね。

*1:涼やかな面立ちが眩しいナイスミドル。あまりの女日照りの所為か、最近なんだか自分の中のイケメン好きの隠された性癖が目覚め始めてる気がする