http://blog.livedoor.jp/kojimashitteiruka/archives/1062421149.html
あんまこういう頭の悪いこと言われると益々ビブリオマニアへの風当たりが強くなるんで勘弁してほしいんですけど。
2週連続土日出勤で貴重な平日休みをかなりどうでもいい来客のアポイントを勝手に入れられてあわや半月終日休みなしの大惨事に。なんとか死守しましたが、ちょっと油断するとすぐこれだから困る。
みんなが笑ってるお日さまも笑ってる
旧磯野家住宅
東京都文京区小石川に所在する歴史的建造物(民家)。重要文化財に指定されている。
茗荷谷駅から春日通りを渡った数分の所に、実業家で政治家の磯野敬によって建てられた近代和風の住宅である。主屋は1909着工し、1912竣工した。明治末期から大正初期にかけての和風建築の粋を凝らし、材料・意匠・技法において伝統的な木造建築の技術と、明治以降の大工技術を見ることができる。現在の所有者はホテルニューオータニの創業者大谷米太郎*1の子孫が運営する公益財団法人大谷美術館である。
主屋の屋根と外壁に銅板が張りめぐらされている外観から「銅(あかがね)御殿」とも呼ばれている。施主の磯野敬は、千葉県夷隅出身の元衆議院議員で、「山林王」と渾名された人物であった。建築に際して、磯野は若いながらも優れた棟梁であった北見米造*2を自ら選び、その下に100名超の優れた職人を集めて作業に当たらせた。磯野が大工側に要望した条件は、寺院風で、地震に強く、耐火性のある住宅を建てることという3点のみであり、建築費用や工事工期には制限を設けなかった。そのため、室内の天井、欄間、建具、棚等の造作には、木曽の檜、屋久島の杉、御蔵島の桑等、国内の吟味された木材が、ガラスには当時最高級とされたベルギーからの輸入品が用いられるなど厳選された建築材料が揃えられ、それらをもとに名人技の職人により建てられたが故に、後の関東大震災や太平洋戦争といった戦災の被害が及ぶこともなく、現在も竣工当時のままの姿を保っている。
住宅はその後、新潟の石油王・中野貫一*3が譲り受け、さらに戦後、大谷米太郎の子・大谷哲平*4の所有を経て大谷美術館に移管された。(wikipediaより修整引用)
上記の通りの忙しくもないのに何故か休めない謎のシフトに翻弄されながらも、貴重な半日休暇で都心へお出かけ。茗荷谷で降りて旧磯野家住宅を探訪してみましたが、事前に予約しておかなかったので内部には入れず立派な御門を外から眺めるのみ。表通りからちょっと入った閑静な文教地区にふさわしい荘厳な雰囲気を漂わせていました。京都だったらこれぐらいの御殿はごろごろしてた気がするのは内緒だ。
買い物しようと街まで出かけたら
小旅行を始めて気づいたこととして「都心って意外と買い物に不便」という残酷な現実。広島や京都のような小さく纏まった小都会で育った身としては、東京のように専門分化が進行しすぎた街にはどうしてもなじめません。まあ、買い物と言っても本屋以外は一切興味関心がない私の方が悪いんでしょうけど。
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帰って来た今日の一行知識
文京区は山手線内にほぼ全域が収まる唯一の区
そう考えると「都心」って案外狭いんですね