脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

五島美術館

インターネット人間わい、驚愕の事実を知り無事卒業へ:哲学ニュースnwk
ネットだろうがアナログだろうが、複数ソースからの吟味をしない限り、それは知識ではなく単なる伝聞または牢固な信仰に過ぎません。


 うっかり事務所で脱水で死にそうになった件について。新装なった診療所の隅っこでしこしこ仕事してたら謎の倦怠感と悪寒が、「いかん、こりゃ風邪ひいたか」と思いつつ外出したらば、なぜだか無性に立ち食いそばが食べたくなって駅前の富士そばへ。出来上がりを水飲んで待ってたらあれよあれよと4-5杯一気。なんだ脱水症状なりかけだったんだと気づいたところに出来上がった蕎麦が到着。もうすでに一切欲しくない蕎麦啜る羽目になったのでした。ふんだ、加湿器の稟議一発で通って女の子たちに喜ばれたからいいもん。


競馬成績・・・2019収支-33470

DQⅪS進捗

  • デルカコスタ地方探索中。称号:アタック好き

今夜は恋しい夢見た日々が

五島美術館
 東京都世田谷区上野毛にある美術館。1960.4.18開館し、所蔵品は日本・東洋の古美術を中心に国宝5件、重要文化財50件を含む約5000件にのぼる。運営主体は公益財団法人五島美術館で、同法人は五島美術館および大東急記念文庫の運営を行っている。
 国宝『源氏物語絵巻』を所蔵することで名高い五島美術館は、東京急行電鉄(東急)を創設した実業家五島慶太*1の美術コレクションを保存展示するため、五島の没した翌年の1960東京急行電鉄を中心に、京浜急行電鉄小田急電鉄京王帝都電鉄*2の出資により開館した。TOKYUポイント加盟店。
 自ら「古経楼」と号した五島の収集は、まず奈良時代の古写経類から始まった。ついで経典、禅僧墨蹟などの書跡類、のち絵画、陶磁器などの名品も多く入手した。その豪快な経営手法から「強盗慶太」のあだ名もあった五島は、古美術品収集にも執念を燃やした。名品の『源氏物語絵巻』や『紫式部日記絵巻』は、戦前の大収集家益田孝*3の収集品で、戦後、実業家高梨仁三郎*4(1904-'93)のコレクションに入っていたのを、美術館公開を決意した五島がコレクションを強化・補強する目的で死の直前に入手したものである。
 美術館の敷地は、五島邸の敷地の一部が提供された。建物は吉田五十八*5の設計で、寝殿造の要素を現代建築に取り入れたものである。特に苦心したのは建物の色で、仕上がるまで60日かかったという。展示館の背後には武蔵野の面影を残した広大な庭園が広がる。この土地は田健治郎*6旧宅で、庭園内の茶室はその一部である。展示室は2室で、常設展示はなく、随時企画展が行われている。ただし、重要文化財指定の木造愛染明王坐像は常設展示されている。
 なお、美術館と同じ住所には、五島が'49創設した、大東急記念文庫がある。当時の大東京急行電鉄が、現在の東急、京王、小田急京急、及び東急百貨店に分離再編成されたことを記念して、5社の共同出資により設立された。五島美術館の開館に伴い、'60上目黒から移転した。この合流は美術館建設工事着工後に急遽決まったため、左側の設計プランを大変更して書庫や研究室をはめ込んだ。蔵書の中核は、久原房之助*7が和田維四郎*8の勧めで集めた久原文庫で、五島らはこれを一括購入し、更に井上通泰*9の蔵書を加えたものである。日本・中国・朝鮮の古典籍を約2万5千点所蔵し、国宝3件、重要文化財32件を擁する。文庫の資料は一般には公開していないが、文庫所管の絵画、書跡などは五島美術館の展示で随時紹介されている。
 財団法人大東急記念文庫は、以前は五島美術館とは別個の法人であったが、2011.3.1大東急記念文庫は五島美術館に吸収合併された。'12.4.1付で公益財団法人の認可を受け、公益財団法人五島美術館となって活動している。
 開館50周年に当たり、'10.11.29-'12.10.19休館して、大東急記念文庫と併せて大規模な増改築工事を行った。設計・施工は清水建設、及び丹青ディスプレイ、デザイン監修は堀越英嗣*10。吉田による建物の外観は出来るだけそのままに留めつつ、耐震補強工事を施し、館内設備を刷新。また従来の展示室に加え、本館講堂を展示室に改装し、新たに集会室を増設した。 (wikipediaより引用)


 遅ればせながら芸術の秋*11を堪能しようと世田谷区は上野毛の高級住宅街に鎮座まします、知る人ぞ知る日本の美術工芸品の収蔵では地味にトップクラスの五島美術館へ。上野の美術館博物館などのようなスケール感あふれる堂々たる展示とはまた趣向の違ったセンスのいい上品な展示に感心。適度な人の入りも個人的には◎。
 展示に関しては、張瑞図董其昌王鐸傅山らの書跡に「書道やってた現役時代にきたかったなあ」とか思ったり、「猩々緋羅紗地違鎌文陣羽織」に「へうげもので見たやつ!」って興奮したりと色々面白かったのですが、特に印象に残ったというか圧巻だったのは「黒織部筒茶碗 銘冬枯」「黒織部沓形茶碗 銘わらや」「黒織部蕨紋茶碗」の3点。写真で見るのとは全く違う圧倒的なビビッドさで迫る黒と白の強烈なコントラストは現代の前衛芸術と並べても何の遜色もない孤高のデザイン性で見事魂を撃ち抜かれました。初めて銘品を所蔵したがる数寄者の気持ちが分かりました。あれは確かに実物持ってないと伝わらない。
 以上蒐集に私財をつぎ込むパトロンってやっぱ大事ねと思わせてくれる一日でした。

帰らない思い出が消えては浮かぶ

 ここは実は庭園も有名で崖を利用した高低差のある立体的な名園なんですが、往時は富士も見えたという観望台から見えるのは醜怪なタワーマンション群のみ。なんだか金の遣い途を知らない現在の「金持ち」の精神性の貧弱さの象徴のように思えてなんだか物悲しかったり。いわゆる名門校は今後「有用な散財の仕方」にも力を入れてもらいたいものです。

偲び酒/金原明善

偲び酒/金原明善


KEQ19 偲び酒 五島つばき (2019)190914 vL HD

帰ってきた今日の一行知識

世田谷区の人口は2028年に100万人を超える見込み

まだまだ東京一極集中は終わりそうにありませんね。地方創生の理念はどこ消えた

*1:東條内閣運輸通信大臣。正三位勲一等。父小林菊右衛門、母寿ゑ。東大を卒業後鉄道院に入省。退官後武蔵野電鉄の役員となり、東横線の開通などに尽力する。強引な経営手法で「強盗慶太」と揶揄され入獄も経験するが、大東急の総帥に任じられるなど、東の鉄道王として君臨した

*2:現・京王電鉄

*3:三井物産初代総轄。男爵。父鷹之助。号:鈍翁。井上馨に重用され大蔵省出仕、井上の下野に従い経済界に進出。三井物産を設立し、商業化路線を推進し、三井財閥内部で重きを為す。茶人としても著名。

*4:東京コカ・コーラボトリング初代社長。コカ・コーラ社より芝浦工場を買い取り日本にコーラを根付かせた。

*5:吉田建築事務所所長。従三位勲一等瑞宝章。父太田信義、母銅。代表作:歌舞伎座日本芸術院会館、大和文華館他。

*6:第二次山本内閣農商務大臣。男爵。逓信官僚として活躍し、政界進出後は寺内正毅に重用され、逓信大臣や台湾総督などを務めた。実業家としても著名。

*7:田中義一内閣逓信大臣。正三位勲一等瑞宝章。父庄三郎、母文子。大戦景気で新興財閥となり、政界進出。その財力を駆使して政友会の有力者として活躍したが、「腐敗した政党」の権化として攻撃対象となった。

*8:金属工業研究所長。 正四位勲二等瑞宝章。父耘甫、母八千子。日本鉱物学の父として学界で活躍。官界では製鉄所の進行につとめたが濫費を咎められ失脚。鉱物標本の蒐集「和田コレクション」は著名。代表作:『本邦鉱物標本』他。

*9:井上眼科医院院長。従五位。父松岡操、母たけ、養父井上碩平。代表作:『風土記新考』(著作)、『於母影』(翻訳)、『明治天皇御集』(編纂)他。

*10:堀越英嗣 ARCHITECT 5代表。代表作:世田谷ビジネススクエアモエレ沼公園ソニー・ミュージックエンタテインメント白金台オフィス他。

*11:本小旅行実施日は11/23