脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

浄名院

日本の小中学生がマジで死にそう・・・:ハムスター速報
小中レベルで「努力」しなきゃあいけない奴には正直未来はないと思うの。


 定期健診終了。典型的なメタボと罵られながらも、例年通り再検不要の健康的な不健康。しかし、バリウム検査初体験でしたが、なんだあのアクロバティックなアトラクションは。


SRWOGMD進捗

  • 2周目第28話「魂の剣、超越せし者」ガディソードと交戦中。トップエース:ヨン=ジェバナ@アシュセイヴァー

深くミルク色に煙る街を裸足で歩いてる

浄名院
 東京都上野公園東叡山寛永寺の北にあり、緑の樹木におおわれ境内は約千六百餘坪あり、1666圭海大僧都により上野寛永寺36坊の一つとして開かれ四代将軍徳川家綱*1の母宝樹院*2の菩堤所となり浄円院と称した。1723安楽律院となり妙立大和尚の孫弟子玄門大和尚を第一世として浄名院と改称した。当時の江戸は華美で繁栄めざましい時代であったが寺の隆盛のかげには不徳な僧を生むようなこともあり、妙立大和尚はこれらの僧風に根本から刷新を加え、ただ一筋に清い信仰を広めたい一念であらゆる迫害に耐えて安楽律院を開かれたのである。やがて輪王寺宮様の支持を得て御朱印二百石を賜った。そして比叡山には安楽律院、日光山には興雲律院、東叡山には浄名院すなわち一山一所の三院が創立された。1879三十八世妙運大和尚が釈迦*3入滅百年後印度の阿育王*4が、八万四千の石宝塔を世界各地に建立されたように、一つには仏恩に報い、一つには民衆を救うため八万四千体の石地蔵尊建立を発願された。そして自づから地蔵尊*5の真影を八万四千体拝写し、これを八万四千人に授与しこの受施者は必ず一体建立できるよう誓願された。奉納には率先して北白川能久親王*6が十数体造立、徳川、小松、近衛、一条、毛利の旧殿上人、陸奥宗光*7、大山元帥*8犬養木堂*9また三井、安田の財閥、梨園の花形その他各地の方が造像し今日に続いている。一年一度の効験あらたかなへちま加持祈願法要が毎年あり(旧8月15日)その十五夜の日には全国の信仰者が参詣し境内を埋める。明治初年神仏分離によって江戸六地蔵六番の寺(永代寺富岡八幡宮別当寺)が廃寺となり、地蔵尊像も破壊されたので、後に当山境内に江戸六地蔵第六番が再造された。(天台宗東京教区HPより引用)


 鶯谷の駅からラブホ街を抜けて寛永寺橋を渡った先にあるのが浄名院、通称ヘチマ寺。パッと見は何処にでもある都会の量産型寺院なのですが、ちょっと奥に入って本堂の横手に待つのは、公称八万四千体の地蔵様。荘厳というべきか何なのか何とも名状しがたい迫力に圧倒されて、しばらく立ち尽くしてしまいました。
 近くに上野公園・寛永寺・谷中墓地と強烈なライバル揃いで、観光地としてクローズアップされるのは正直無理でしょうが、知る人ぞ知る隠れた穴場としてあり続けて欲しいものです。

飛べない鳥だと気付かされても

 帰り寄り道した谷中銀座で撮影中のナイツにすれ違いました。しかし、なんでああもロケ隊ってのは出くわすと隠れたくなってしまうんでしょうか。いつまで経っても田舎もんのおのぼりさんの習性が抜けません。

空の飛び方

空の飛び方

帰って来た今日の一行知識

ヘチマの語源は謎
てっきりポルトガル語由来か何かの外来語だとばっかり思ってたんですが。

*1:徳川第4代将軍。右大臣。父家光、母宝樹院。治世前半は慶安の変や明暦の大火などの危難に襲われたが、保科正之寛永の遺老らの輔弼を得て武断政治から文治政治への脱皮に成功し政権は安定した。

*2:蘭。徳川家光側室。父青木利長。通称:お楽の方。子に家綱。

*3:Gotama Siddhattha。父シュッドーダナ、母マーヤー。尊称:仏陀。コーサラ国のシャーキャ族の王族から大悟を果たし釈迦如来となり、仏教を創始した。

*4:अशोकः。マウリア朝インド第3代王。父ビンドゥサーラ、母ダンマー。父王死後、兄弟らとの後継粗いに勝利し即位。カリンガ戦争に勝利しインド亜大陸を統一。仏教に深く帰依し法の政治を目指した。

*5:क्षितिघर्भ。菩薩。本来は兜率天に住すも、釈迦入滅後弥勒菩薩光臨までの56億年間地上に仏不在となることを憐れんで、六道を遍歴し衆生を救済して回る

*6:台湾征討近衛師団長。陸軍中将。父伏見宮邦家親王、母堀内信子。輪王寺宮として朝幕融和に尽力するも、彰義隊に擁立され東武天皇として「即位」。上野戦争の敗北により失脚。後赦され北白川宮を継ぎ陸軍で活躍。乙未戦争に出征中陣没。

*7:第二次伊藤内閣外務大臣。伯爵。父宗広、母(渥美)政子。海援隊に参加し、元勲たちの知遇を得、新政府で累進するも、自由党土佐派の反乱謀議に連座し失脚投獄。失意のところを伊藤博文に拾われ活躍。不平等条約改訂や日清戦争戦後処理などに辣腕を揮い「カミソリ大臣」の雷名を轟かせた。

*8:巌。第一次伊藤内閣陸軍大臣。公爵。陸軍元帥。父綱昌、母競子。従兄に西郷隆盛。薩摩閥の筆頭として明治期の陸軍を山県と共に主導し、日清・日露の戦捷に貢献。戦後は元老として政界にも睨みをきかせる。

*9:毅。第29代内閣総理大臣。正二位。勲一等旭日桐花大綬章。父犬飼源左衛門。立憲改進党の設立に参画し大隈重信の腹心として活躍。第一次護憲運動で名を挙げ尾崎行雄とともに「憲政の神様」と讃えられるも自身の率いる国民党(後革新倶楽部)は少数野党にとどまった。護憲三派内閣後政友会との合同を花道に一度は勇退するも、田中義一急死後人材不足から政友会総裁に担ぎ上げられ総理戴冠。満州事変の収拾に努めるも、その反軍的態度を憎まれ五・一五事件にて暗殺。