脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『シルク・ロード』

痛いニュース(ノ∀`) : ロシア政府、ウクライナにガス代1.6兆円請求 - ライブドアブログ
プーチン無双。21世紀の偉大な政治家ランキング入りは確定かな。


 退職を目前に控え、プチ送別会祭り。嬉しいんですが、こう毎日だと正直しんどい。


艦これ進捗

  • 西方海域カスガダマ沖海戦装甲空母姫登場。第一艦隊旗艦:吹雪改。

シルク・ロード (角川選書)

シルク・ロード (角川選書)

あなたに見せたい夕焼けは

絹の道 Silk Road
 アジア大陸を横断する隊商路の雅称。中国の特産物であった絹が、この道筋によって西方世界に伝えられたところから、リヒトホーフェン*1などによって命名された。中国西北の門戸敦煌から、いわゆる南北両道―天山山脈の南嶺に沿う北道、崑崙山脈の北麓に沿う南道―によって、タリム盆地地方を横切り、パミール高原(葱嶺)を越えてトランスオクスシナの地方にくだり、イラン高原の北部を西進して、シリアのアンティオキア、エジプトのアレクサンドリアなどに達する路線にあたる。1世紀の末に中国の都を訪れたマケドニアの商人の行路はこれであるし、同じ頃西域都護班超*2の命を受けてシリア(条支)までいった甘英*3もこの道を辿ったに違いない。その時々の政治情勢によって、部分的には道筋に多少の変化はあったにしても、7-8世紀(隋唐)の頃まで、「絹の道」は東西貿易の幹線、東西の文化交流の大動脈として栄えた。仏教・ゾロアスター教マニ教景教のような西方系諸宗教、ガンダーラ美術・ササン朝の工芸などの西方系芸術が中国に伝わったのはみなこの道筋によったのである。8世紀の中頃以後、「絹の道」が衰えたのは、ウイグル族の西方移住に伴う中央アジアの混乱ということもあるが、イスラム商人の進出をきっかけとして、この頃から急に海上交通が発達した為である。蒙古時代からティムール帝国時代(13-15世紀)にかけては、往時に勝る繁栄を示し、中国の芸術文化(絵画・陶器など)の西伝、イスラム教・イスラム系科学的文化の中国流入に大きな役割を果たしたが、一時のことに過ぎなかった。特に16世紀にヨーロッパ人が開城から中国に渡来するようになってからは、すっかり世界貿易路としての意義を失ってしまった。(『新編 東洋史辞典』より引用)

 日本百名山を手掛けた深田久弥氏によるシルクロードを辿る壮大な紀行文。東は西安から西はイスタンブールまで、古今の旅行記を引用しつつ遥かなシルクロードの悠久を感じさせてくれます。歴史的文化的意義の研究解説とは全く別ベクトルなのでそっちを期待した人には少し期待外れ。正直自分も肩すかし気味。紀行エッセイと割り切りましょう。
 前半の西域編は人跡乏しい荒野を行くって風情の著者のホームグラウンドど真ん中でかなり読み応えがありますが、後半の東方世界編は完全にメジャーマイナー取り混ぜて観光地を回る凡百の観光雑記に過ぎなくなっているのが残念です。とまれ、中央アジアの魅力満載なので乙嫁語りにはまった方は是非ご一読を。

私も遥かに旅をしてやっと見つけたのです

 有休期間は羈旅の人になろうと決意してたんですが、手元不如意と引き継ぎ難航の為見事に挫折してしまいました。でもやっぱりいつかは鞄に本だけ詰め込んで当てのない一人旅としゃれ込みたいもんです。

アンジェリーク ルヴァ 守護聖

アンジェリーク ルヴァ 守護聖

帰って来た今日の一行知識

西遊記に出てくる火焔山は油田のこと
それで孫悟空は働きもせずに修行三昧できてたんですね。漢たるもの何かを極めるには逆玉は必須です。

*1:Ferdinand Freiherr von Richthofen。ベルリン大学教授。男爵。代表作:『支那』・『北支ニ於ケル黄土地域及ソノ中央亜細亜トノ関係』・『山東省山岳地質』他。

*2:定遠侯。雍州扶風郡平陵の人。字は仲升。父彪。北匈奴の討伐で頭角を顕し、西域都護となりクシャーナ朝を逐い西域平定を成し遂げた。

*3:字は崇蘭。ローマ帝国への軍事大使として派遣されるもパルティア王国国境付近で撤退した。