脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

オネアミスの翼~Remember Me Againと雍正帝─中国の独裁君主と孔乙己について

【悲報】ミリオンセラー作家さん、小説家になろうに投稿するも結果が出ずに撤退 | やらおん!
これほど見事な「若者に迎合しようとして思いっきり空回りしちゃって拗ねたおじさん」もなかなかないと思う。


 GW前からの重大な懸案事項が、自分の勘違いというか早とちりだったことが判明。みんなもっときちんとあと一言を足そうよう。


競馬成績・・・R2収支-27390

DQⅪ進捗

  • エスト「カリスマおにいちゃん帰る」クリア。称号:太っ腹キング

太陽の風背に受けて

オネアミスの翼~Remember Me Again

オネアミスの翼-REMEMBER ME AGAIN-
唄:統乃さゆみ*1、作詞:森生紗都子*2、作曲:長戸大幸*3、編曲:長岡長次郎*4
東宝系アニメ映画『オネアミスの翼 王立宇宙軍』イメージソング
初出:『オネアミスの翼 王立宇宙軍』(1987.2.26)
収録盤:『オネアミスの翼 王立宇宙軍』、『HIT!HIT!HIT!』、『BOMB! presents「永遠の'80お宝アイドル大集合!」ソニーミュージック編』
歌詞はこちら

オネアミスの翼

 アイドルソング全盛期にタイアップで『王立宇宙軍オネアミスの翼』の主題歌となるはずが、あまりの世界観の乖離にイメージソングに格下げされたかわいそうな曲。単品で聞けば実にスタンダードな80'sアイドルソングで悪くないんですけどね。続く'90年代には今度はJ-Popとの勝手なタイアップが横行したのも今となってはいい思い出。そう考えると、アニメの主題歌をアニソンに取り戻してくれた林原めぐみ水樹奈々の功績は改めて偉大ですね。

オネアミスの翼

オネアミスの翼

雍正帝─中国の独裁君主

雍正帝 中国の独裁君主 中公文庫み-22-11
平成八(1996)年5月18日初版発行
著者:宮崎市定*5、発行者:嶋中鵬二*6、発行所:中央公論社
目次

  • 雍正帝*7 中国の独裁君主
  • 雍正硃批諭旨解題 その史料的価値
  • 解説 礪波護*8

 
 過去記事によると11年ぶりの再読な一冊。大学時代わたくしは文学部でなおかつ書道部所属だった関係上漢文に親しんでおり、そんな折白川静のブームが到来し、根っから天邪鬼な性格から漢文学者といえば宮崎市定だろうと逆張りしていたのを思い出します。当時は社会人3年目でまだまだ青臭い実に鼻もちもならない若造だったせいか、緻密な策謀や微に入り細を穿つ指摘の数々に、雍正帝こそ理想の君主像と憧れたものですが、多少年経た今になって読み返してみると、なんだこのクズ野郎は。明らかにコンプレックスの発露な陰湿な粛正劇に、姑じみたどうでもいい字句訂正や抽象的で一貫性のない指示。こんな暗君に仕えた吏僚は苦労しただろうなぁと同情を禁じえません。立場が変わると全く見える風景って変わってくるのねとちょっと目から鱗な読書体験でした。

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

孔乙己+科挙+士大夫

孔乙己
 「狂人日記」の徹底破壊のあと一年おいて「孔乙己」また一年おいて「薬」が書かれた。そして魯迅*9はここで二つの方向に建設の実験を試みた。一方は説話のスタイル、一方は印象派的なスタイルである。そして後になると、後者からさらに象徴的手法が派生して、相互にからみ合って複雑な展開を見せることになる。
 「孔乙己」は、没落した読書人*10(官僚候補者)を主人公にして、農村社会の一断面をとらえた小品、魯迅の小説中でも有数のまとまりのある好短篇である。(『阿Q正伝狂人日記他十二篇』「『吶喊』について」より引用)

科挙
 中国で開皇十八(598)~光緒三十一(1905)年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である。
 科挙という語は「(試験)科目による選挙」を意味する。選挙とは郷挙里選や九品官人法などもそう呼ばれたように、伝統的に官僚へ登用するための手続きをそう呼んでいる。「科目」とは現代の国語や数学などといった教科ではなく、後述する「進士科」や「明経科」などと呼ばれる受験に必要とされる学識の課程である。北宋朝からはこれらの科目は進士科一本に絞られたが、試験自体はその後も“科挙”と呼ばれ続けた。
 古くは貴族として生まれた者たちが政府の役職を独占する時代が続いたが、隋朝に至り、賢帝として知られる楊堅*11(文帝)が初めて導入した。家柄や身分に関係なく誰でも受験できる公平な試験で、才能ある個人を官吏に登用する制度は、当時としては世界的にも非常な革新であった。しかし隋から唐までの時代には、その効力は発揮できていなかった。これが北宋の時代になると、科挙によって登場した官僚たちが新しい支配階級“士大夫”を形成し、政治・社会・文化の大きな変化をもたらしたが、科挙はその最も大きな要因だと言われている。士大夫たちは、科挙に合格して官僚になることで地位・名声・権力を獲得し、それを元にして大きな富を得ていた。
 建前上、受験資格に制限のない科挙ではあったが、科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られ、士大夫の再生産の機構としての意味合いも強く持っていた。ただし、旧来の貴族の家系が場合によっては六朝時代を通じて数百年間も続いていたのに比べ、士大夫の家系は長くても4~5代程度に過ぎず、跡取りとなる子が科挙に合格できなければ昨日の権門も明日には没落する状態になっていた。
 科挙の競争率は非常に高く、時代によって異なるが、最難関の試験であった進士科の場合、最盛期には約3000倍に達することもあったという。最終合格者の平均年齢も、時代によって異なるが、おおむね36歳前後と言われ、中には曹松*12などのように70歳を過ぎてようやく合格できた例もあった。無論、受験者の大多数は一生をかけても合格できず、経済的事情などの理由によって受験を断念したり、過酷な勉強と試験の重圧に耐えられず精神障害や過労死に追い込まれたり、失意のあまり自殺したという鍾馗の逸話など悲話も多い。
 科挙に合格して官僚となることは本人だけではなく、当人の宗族にとっても非常に重要な意味を持ち、「官本位」と呼ばれる権力中心の中華王朝社会では一人の人間が官僚となり政治権力の一部となることは本人だけでなくその者の宗族に莫大な名誉と利益をもたらす。そのため宗族は「義田」という共同財産を使い「義塾」を開いて子弟の教育を行って宗族から一人でも多くの科挙合格者を出すことに熱心であった。 宗族の一人が官僚となってやがて政治権力の一部を握ると、有力官僚となった者は宗族に様々な便宜を図り、宗族の為に働くことを期待され、本人もその期待に応えていく。官僚を辞めて地元に戻ったのちも地元の有力者(郷紳)として王朝の官界や地元の官僚へ影響力を行使する。そのため宗族は子弟の一人でも科挙に合格して官僚になれば在任中と引退後を合わせて半世紀は安泰と繁栄を約束された。
 科挙は皇帝が直々に行う重要な国事だったため、その公正をゆるがすカンニングに対する罰則は極めて重く、犯情次第では死刑に処される場合もあった。賄賂で試験官を買収した大がかりな不正により、多数の関係者が集団死刑にされた事件などの記録も残っている。しかし、それでも科挙に合格できれば官僚としての地位と名声と富が約束されるとあって、科挙が廃止されるまでの約1300年間、厳重な監視にも関わらず様々な工夫をこらして不正合格を試みる者は後を絶たなかった。手のひらに収まるほどの小さなカンニング用の豆本や、数十万字に及ぶ細かい文字をびっしりと書き込んだカンニング用の下着が現代まで残っている。
 このような試験偏重主義による弊害は、時代が下るにつれて大きくなっていった。科挙に及第した官僚たちは、詩文の教養のみを君子の条件として貴び、現実の社会問題を俗事として賎しめ、治山治水など政治や経済の実務や人民の生活には無能・無関心であることを自慢する始末であった。これを象徴する詞として「ただ読書のみが崇く、それ以外は全て卑しい」(万般皆下品、惟有読書高)という風潮が、科挙が廃止された後の20世紀前半になっても残っていた。こういった風潮による政府の無力化も、欧米列強の圧力が増すにつれて深刻な問題となっていた。また、太学や書院などの学校制度の発達を阻碍した面を持っていることは否めない。これに対しては、王安石などにより改革が試みられた例もあったが、頓挫した。それ以後もこの風潮は収まらず、欧米列強がアジアへ侵略すると、科挙官僚は“マンダリン”と呼ばれる時代遅れの存在となり、清末の1904に科挙は廃止された。一方、科挙は今日の世界で標準試験の起源であり、19世紀から欧米は西洋の学問にこのメリット・システムを取り入れた。(wikipediaより修整引用)

士大夫
①官職についている人。官吏となる身分のある人。上流階級の人。
②兵卒に対し、将校をいう。
③学問修養に励む人。読書人。知識人。また、人格者。
④宋代以後、胥吏(下級の役人)に対して、科挙(官吏登用試験)出身の文官をいう。
(『大漢語林』より引用)

 
 科挙登第の夢破れて士大夫になりそこねた憐れな男の物語。現代でも分不相応の多浪で孔乙己へのまっちぐらな方も結構いるんではないでしょうか。医学部とか司法試験とか受かれば一発逆転で人生の勝ち組へって高難度試験はよく考えるとなんて罪深いんでしょうか。

行く手を覆う混沌に裁きの時は近づかん

 科挙や士大夫などの、「孔乙己」や『雍正帝─中国の独裁君主』で描かれる古き良き中国文化の精髄には、文弱の徒としてはどうしても憧れざるを得ません。ポストコロナの対中国大包囲網が編まれようとしてる時代にそんなこと言うのは、「オネアミスの翼-REMEMBER ME AGAIN-」なみに空気を読めてないのは百も承知なのですが、中共中華帝国の僭称者と声高らかに叫びつつ、今後も中国文化を愛していきたいと思います。台湾さん、香港さん中国文化の正統後継者として応援してますね。


王立宇宙軍 軍歌

帰ってきた今日の一行知識

清帝国の国教はチベット仏教

それで中共が目の敵にする訳だ。当ブログは台湾の国家承認とチベットウイグル・香港ついでに満洲の再独立の早期実現を心より祈念いたします。

*1:代表作:「ダンス・ダンス・ダンス」、「風のメモワール-KAZE NO MEMORIE-」、「今夜は少し遠回り」他。

*2:秋尾沙戸子。慶應義塾大学非常勤講師。代表作:『ワシントンハイツ - GHQが東京に刻んだ戦後』、『レーニン像を倒した女たち』、『スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』(著作)他。

*3:ビーイング相談役。代表作:「セクシー・ナイト」、「LET'S GO LIONS」(作曲)、B'z(プロデュース)他。

*4:代表作:「風のメモワール-KAZE NO MEMORIE-」、「Remember」他。

*5:京都大学文学部長。従三位勲二等旭日重光章。父市蔵、母悦。代表作:『九品官人法の研究:科挙前史』、『アジヤ史概説:続編』、『東洋的近世』他。

*6:中央公論社第4代社長。父雄作、母(大方)チエ。兄の急逝に伴い26歳の若さで中央公論社社長に就任。左翼的思想から嶋中事件や『思想の科学』事件などを引き起こすも、『竜馬がゆく』や『日本の歴史』などのベストセラーにより躍進させるも、晩年は放漫経営により会社を傾けた。

*7:世宗。清朝第5代皇帝。諱は胤蘅。父康熙帝、母孝恭仁皇后。軍機処設置やキャフタ条約調印などで内治外交の充実安定に努め、次代乾隆帝の全盛時代の基礎を固めた。

*8:京都大学名誉教授。代表作:『唐代政治社会史研究』、『唐代政治社会史研究』、『隋唐佛教文物史論考』他。

*9:樹人。字は豫才。浙江省紹興市の人。父周鳳儀、母魯瑞。代表作:「阿Q正伝」、「狂人日記」、「故郷」(小説)他。

*10:魯鎮の人。通称:「孔乙己」。読書人として科挙に挑むも秀才にもなれず落魄。丁挙人の家に盗みに入ったのを見つかり罰棒を食らい不具となり失踪。

*11:高祖。隋初代皇帝。父楊忠、母呂氏。北周静帝外戚として権勢を揮い、禅譲により隋を建国し即位。突厥・梁・陳を滅ぼし中華統一。府兵制・均田制・科挙制などの導入により中央集権的政体を志向した。

*12:舒州桐城県の人。字は夢徴。代表作:「己亥歳」(漢詩)他。