脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史5 東北の争乱と奥州合戦〜「日本国」の成立』

http://alfalfalfa.com/archives/5607709.html
生身の女なんかに偶像たることを求める方が悪い。アイドルは二次元でこそ。


 介護劇団たなごころ第二回公演「おめでとう〜せめて父親らしく」無事終演。半分以上は身内の観客のお世辞だろうと悟りつつもなかなかの好評で大満足。いくつになっても「文化祭」はいいもんです。


SRWZⅡ再世篇進捗

東北の争乱と奥州合戦―「日本国」の成立 (戦争の日本史)

東北の争乱と奥州合戦―「日本国」の成立 (戦争の日本史)

白樺青空南風

奥州合戦
 文治五(1189)年源頼朝*1陸奥・出羽両国に攻め込み、奥州藤原氏を滅亡させた戦い。
 1188源義経*2の奥州潜伏が発覚すると、頼朝はそれを口実に出兵準備を進め、'89.2南九州にまで及ぶ大動員令を発した。'89.閏4藤原泰衡*3義経を殺害するが、'89.7頼朝は自ら陣頭に立って出兵を強行。'89.9泰衡を滅亡させた。この戦争は、日程・進軍ルート・軍旗・泰衡の梟首に至るまで、頼朝の先祖源頼義*4が活躍した前九年の役故実に基づいて行われ、全国から動員した武士に源氏の権威を誇示し、御家人体制を確立する意義も有していた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 前九年の役後三年の役奥州合戦を通してみる源氏支配の東北浸透の歴史がテーマの一冊。各合戦の意義や後世への影響が丁寧に描写されてはいるんですが、肝心の合戦の内容パートが実におざなりなので正直読んでてカタルシスに欠けます。無闇に注を入れまくって論文風の体裁を取ろうとしている辺りに「俺は一般書なんか書きたくねえんだ」という著者の衒いが見えてちょっと興醒め。研究書としてはおそらく一級なのでしょうが、読み物としては残念ながら落第点。私の不勉強が主な理由なのでしょうが、殆ど内容が頭に残ってません。面白く書けない筈はないテーマなので、もっと軍記的な語りに寄せた評論が読みたいものです。

季節が都会ではわからないだろと

 長きに亘った東北民族の大和民族への抵抗も終に終焉。ようやく「日本」の範囲が北海道・沖縄を除く我々のよく知るものに辿り着きました。そんな歴史を鑑みれば、日本人は単一民族という言辞に抵抗したくなる人がいてしまうのは分からなくはないですが、ゆうてももう千年近くも昔の話なのですから、そろそろ郷に入っては郷に従ってもらってもいいのではないでしょうか。多民族融和の名を借りた、在日とか華僑とかの国家乗っ取り計画にうっかり乗ってしまわないようにしましょう。日本列島において民族自立の大義の旗を掲げることの大義を強弁できるのは、百歩譲ってアイヌとウチナンチュだけです。

北国の春

北国の春

帰って来た今日の一行知識

奥州藤原三代は全員酷い歯槽膿漏持ち
これを敷衍すると、中世以前の上流階層の中高年はほぼ全員が歯周病に悩まされてたということになるでしょう。歯医者がコンビニより多いって現状もそう考えると不自然ではないのかもしれませんね。

*1:鎌倉初代将軍。右近衛大将。父義朝、母由良御前。平治の乱の敗北により伊豆流罪以仁王の令旨に呼応し挙兵し関東に独立勢力を樹立。弟義経の活躍により治承・寿永の内乱を制圧し鎌倉幕府を開闢。奥州合戦の勝利によりその勢威は東国全体に広がった。

*2:伊予守。従五位下。父源義朝、母常盤御前、養父一条長成平治の乱で落魄後藤原秀衡の庇護の下で成長する。兄頼朝の挙兵に呼応し合流。治承・寿永の内乱で平氏覆滅に大功を挙げるも、後白河院との接近を頼朝に憎まれ失脚、再度奥州藤原氏を頼るも、秀衡死後泰衡に攻められ戦死。

*3:出羽陸奥押領使。父秀衡、母藤原基成女。「義経を大将軍に戴いて鎌倉に対抗せよ」の遺言に背き、義経の首を土産に頼朝に恭順しようとするも失敗。奥州合戦にて戦死滅亡。

*4:伊予守。従四位下。父頼信、母修理命婦平忠常の乱平定に功あり、敦明親王に仕え累進。相模・常陸の国守として東国武士団を組織し、前九年の役に勝利した。