脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史4〜平将門の乱』

http://hamusoku.com/archives/6936663.html
過剰反応は良くないと思います。まあ、かといって日本人の特技の「なかったことにする」を発動されても困りますが。


 寒風吹き荒ぶ中、お花見を敢行。正直花より団子より防寒具が欲しかったです。


SRWZⅡ再世篇進捗

  • 第28話「暗黒よりの使者」ブランチと交戦中。トップエース:デュオ=マクスウェル@ガンダムデスサイズヘル。

平将門の乱 (戦争の日本史4)

平将門の乱 (戦争の日本史4)

いつの間にやら仲間はきっと増えてる明日がそっぽをむいても走りまくれよ

承平・天慶の乱
 承平五(935)〜天慶三('40)年。下総・常陸で私闘を繰返した平将門*1が、坂東諸国を襲い、国司を追放して新皇を称し、坂東諸国に受領を任命した東国の反乱と、西国の海賊を基盤に備前・播磨の国司を襲撃した藤原純友*2の反乱をいう。
 935将門は叔父国香*3常陸大掾源護*4の子弟を合戦で殺害し、その為族長伯父良兼*5の一族の軍と闘い、また源護の告発で政府の召喚を受けた。将門は上京・釈明し赦されたが、なお合戦が続いた。'38秋、武蔵権守興世王*6に抵抗する足立郡司武蔵武芝*7に加担し、'39.11常陸藤原玄明*8に加担し常陸国府軍と闘い、国府を占領・略奪し、'39.12下野・上野国府を襲い坂東諸国に受領を任じ、新皇に即位した。一方藤原純友は'39.12備前・播磨介を襲撃した。政府は都の防備を固め、東国と同様に諸国追捕使・追捕凶賊使を任じ、また純友の要求を聞き、純友の叙位を行い賊徒との分断を図った。'40.2将門は下野押領使藤原秀郷*9平貞盛*10らの奇襲により下総国辛嶋で討たれた。'41.5純友は博多津で政府軍に敗れ、伊予国に敗走し警固使橘遠保*11に討たれた。古代国家転換期の本格的な反乱である。(『岩波日本史辞典』より引用)

 将門記を底本にしつつも同時代史料を駆使して平将門の乱の本質と意味に迫る力作。遣唐使が終わって国風文化が花開く前の地味に空白期間な10世紀中葉が舞台とあって史料の乏しさがはなはだしく中世史的な骨太の議論には至らず、かといって古代史のように無邪気な空想の羽を広げる訳にもいかず、と平安時代ならではの中途半端な展開には少し欲求不満が溜まります。とはいえ、平将門の乱の経緯を細大漏らさず追いながらも、その行動の意義と余波を丁寧に紹介し、それでいて議論が迷走しないというなかなかの離れ業を見せてくれていますので、文章のお手本としては良作なのではないでしょうか。ただ、軍記物語的な性格を持ちながらも完成にはまだまだ遠いって性格の将門記が底本だけあって、軍記物語的な展開を期待すると見事に肩すかしを食らいます。平安貴族の陰湿と鎌倉武士の野蛮を二つながらに併せ持った坂東武者に燃えれる人は萌えてください。

自分で動き出さなきゃ何も起こらない夜に何かを叫んで自分を壊せ!

 道鏡足利義満織田信長と並び臣下の身にて王位を僭称せんとした不忠の怪人平将門。他の三人が政治的な寝業も駆使しながら人を超えようとしたのに対し、飽くまで武の一点張りで強行突破を目指した彼の蛮勇には頭が下がります。暴挙と笑ってしまえばそれまでなのでしょうが、平安時代と同じく旧構造の疲弊と既得権益の理不尽が隠しようもなくなっている平成時代には彼のような怪物こそが望まれているのかもしれませんね。

WOW WAR TONIGHT?時には起こせよムーヴメント

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帰ってきた今日の一行知識

日本初の晒し首は平将門
その衝撃から将門の首伝説が生まれたようです。フセインといいビン=ラディンといいカダフィといい、1000年の時を経ても人間のやることに進歩は見られないんですね。

*1:新皇。父良将、母犬養春枝女。下総を本拠に承平・天慶の乱を起こし北関東を制圧。新皇を自称し、新国家を樹立するも、藤原秀郷らに討たれた。

*2:伊予掾。従五位下。父良範。伊予を本拠に承平・天慶の乱を起こし瀬戸内を制圧。一時は京都をうかがう権勢を誇るも将門の敗北に伴い形勢は逆転、小野好らに討たれた。

*3:平。鎮守府将軍従五位下。父高望。常陸国真壁郡を本拠に坂東平氏の祖として勢力を拡大。甥の平将門との争論により承平・天慶の乱の発端となり、緒戦で戦死。

*4:筑波山西麓に広大な私営田を営む。領地争いの調停を平将門に頼んだことが平将門の乱の発端となった。

*5:平。上総介。従五位下。父高望、母藤原良方女。上総介として関東下向。女論から平将門と争論となり、平将門の乱の最中に病死。

*6:武蔵権守として関東に下向するも、国司百済王貞連と対立。平将門を煽動し平将門の乱を勃発させ、新皇側近として権勢を揮うも上総にて敗死。

*7:従五位下足立郡司として善政を布くも、権官として赴任した興世王らと対立し平将門の乱の遠因となった。

*8:霞ヶ浦沿岸に広大な領地を経営するも、租税上納を拒み続けていた為、追捕の対象となり、平将門の庇護を求めたことが平将門の乱のきっかけとなった。

*9:武蔵守。従四位下。父村雄、母鹿島氏。下野に土着し一大勢力を築き、平将門の乱鎮圧などに功あり累進。その武名は後世に俵藤太伝説として語り継がれた。

*10:丹波守。従四位下。父国香。父の死により関東下向。当初は平将門との提携を模索していたが破談。藤原秀郷と結んで平将門の乱鎮圧に功あり累進。

*11:美濃介。従六位上。父清樹。承平・天慶の乱にて、藤原純友の首級を挙げるなどの功を挙げ累進するも、赴任先の美濃にて横死。