脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

黒田の怪我と古泉一樹と蝦夷征討について

http://yareba.blog17.fc2.com/blog-entry-41.html
サド侯爵とマゾッホの爪の垢を煎じて飲め。


 2年の間数千キロの道程の苦楽を共にした自転車と遂に涙の別れ。戦友よ安らかに眠れ。しかし、これで京都に来てから覚えてるだけで遂に8代目の自転車。ほぼ毎日乗ってるとは言え流石にこれは酷すぎないか自分?

どこから説明しましょうか変り行く現実の中で

黒田博樹+広島カープ+怪我

2006-10-18

黒田博樹
昭和五十(1975)年〜。大阪市住之江区出身。185cm95kg。投手。右投右打。背番号18
上宮高校(1990-'92)→専修大学('93-'96)→広島東洋カープ('97-2007)→ロサンゼルス・ドジャース('08〜)
'08成績:試合31勝利9敗北10勝率.474投球回183.1奪三振116防御率3.73
通算成績:試合302勝利112敗北99セーブ1勝率.536投球回1883.2奪三振1373防御率3.69
受賞歴
最多勝(2005)、最優秀防御率('06)、最優秀投手('05)、ベストナイン(投手)('05)、ゴールデングラブ賞(投手)('05)、月間MVP('05.5・'06.7・'06.8)、スピードアップ賞('06)

広島東洋カープ
 NPBセントラル・リーグの球団。広島県を保護地域とし、広島県広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。
 親会社を持たない(マツダカープと関連してはいるが会社としての球団への経営参加はしていない)市民球団として結成されたという、他の球団と比較して特異の歴史を有する。現在は松田家による同族経営となっている。(wikipediaより引用修整)

怪我
1思いがけないこと
2あやまち。過失。
3誤って受けた傷。負傷。
(『大漢語林』より引用)

 大事なメジャー2年目の今年に腰痛で出遅れたり、第1回WBCでは練習試合で右手に打球を受け出場辞退したり、FAで去就が注目されている正にその時に右肘痛で長期離脱したりと、露出の多くなる時期に妙に怪我の多い我らが黒田大明神ですが、一昔前は新井・大竹と並んで無事是名馬を地で行く頑丈な選手でした。ブラウン以前の理不尽な程の練習量と投手不足から来る酷使にめげず壊れず、本格派右腕として完成した黒田は本当に偉大な存在でした。三村・達川・山本と続いた酷使無双の投手使い捨ての無能上層部も去り、アメリカ流の投手を労わる起用法のブラウン政権*1になり、投手王国復活の兆しを見せる新生カープ。酷使に負けず完投を続けた黒田大明神の偉大さを誇る気持ちは毫も変りませんが、飽くまでそれは仇花に過ぎません。マエケン・齊藤・篠田・小松、君たちは間違っても河内にはならないでね。

[asin:B001K8N9OU:detail]

古泉一樹

2007-04-07

古泉一樹
 北高2年9組。SOS団副団長。身長178cm。
 5月という半端な時期に転入してきたことから、ハルヒ*2に「謎の転校生」としてSOS団に勧誘された。いつも微笑を浮かべ穏和な物腰をしており、同級生に対しても常に敬語を使う。在籍している9組は理数系の特別進学クラスであり、頭も運動神経もよく、美形でもあり、学校でも女子からの人気は高い様子。SOS団夏休み合宿の功績により、ハルヒから副団長に任命される。
 正体は超能力者であり、その集団である組織「機関」に所属する。ハルヒの精神状態の不安定が原因で発生する「閉鎖空間」への侵入と、その中で破壊活動を行なう「神人」を倒す能力をもつ。ただし超能力者と言っても上記以外の特殊能力はなく、閉鎖空間やそれに準じた異空間でなければ能力を発揮できない。職務に関連してハルヒの精神面に気を配っており、彼女の内心をそれとなくキョン*3に伝えることもある。ハルヒを刺激することを避けるため基本的にイエスマンで、ハルヒには自分の意見をあまり言わずに曖昧な態度を取ることが多い。ただし本人曰く、現在の性格や表情などは「ハルヒの願望」に沿った演技であるらしく、そうした演技を強いられる不満をキョンに漏らしたこともある。ボードゲームやカードゲームなどのアナログゲームが好きだがその割に弱く、キョンにはいつも負けている。そのあまりの弱さ故、キョンに「わざと負けてるんじゃないか?」などと疑惑を抱かれているが真偽は不明。
 SOS団では「解説役」のポジションにあるが、毎回キョンには自分の推論をもっともらしく話したり、煙に巻くような言動をとることが多い。しかし何か問題が発生したときには、キョン長門*4と共に解決策を講じる。当初は「機関」の方針である「現状維持」に従い、SOS団のメンバーに対して、何事にもハルヒの機嫌を損ねないことが最優先といった態度を取り、一歩引いたところからハルヒらを観察していることが多く、キョンとは険悪な雰囲気になることも少なくなかった。だが、現在では両者とも随分うち解けた様子である。
wikipediaより引用)
cv.小野大輔*5

 SOS団の誇る謎の転校生にして超能力者。団では唯一神ハルヒの退屈を慰める巫者として、数々のイベントを企画幹事。その功を認められ、副団長まで昇進するも、最近は鶴屋特別顧問の登場により、その立場も多少怪しいものに。「本業」の「機関」の活動も、ハルヒの安定化*6と、宇宙人・未来人との三すくみにより、最近お茶っ挽きが多くなっている模様。作劇上の地位の解説役も、最近はキョンが積極的になり、みくる(大)や長門との交友を武器に情報収集に熱心になったお蔭で、こちらもそろそろ御役御免の予感が漂います。「憂鬱」の時の最重要キーパーソン*7振りが今となっては嘘のよう。
 性格は粗野で短慮な本性*8を慇懃な物言いと気障な振る舞いで覆い隠す典型的な演劇型の人間。男から見ればこうゆうイケメンは心から腹の立つ友達になりたくない奴筆頭格なのですが、女性陣の皆さんにとってはいかがなもんでしょうか。

Figma 涼宮ハルヒの憂鬱 古泉一樹 制服ver.

Figma 涼宮ハルヒの憂鬱 古泉一樹 制服ver.

  • 発売日: 2008/06/27
  • メディア: おもちゃ&ホビー

蝦夷征討

2006-09-08

蝦夷
 古代、東北地方・新潟県から北海道にかけての地域の住民を律令国家側から呼んだ呼称。毛人・蝦【虫夷】とも書く。語源については、人という意味のアイヌ語エンジュ・エンチュウから来ているとみる説や長い髭を持つ蝦夷をエビ(蝦)に擬えたとする説、「弓師」という日本語に起源すると見る説などがある。
 蝦夷は文化的には一様ではなく、居住域の南部(現宮城・山形・新潟県域)では基本的に東国と同質であるが、北海道の蝦夷(渡島蝦夷)は続縄文・擦文文化など北方系文化を保有した。古代蝦夷の主要部分を構成する両者の中間の地域(現青森・秋田・岩手県域)の蝦夷は両系統の文化を併せ持ち、稲作農耕・土器製作などの物質文化は概ね南方系統を受け入れたが、言語・宗教・喪葬などの基層文化は北方系統を保持していた。
 蝦夷と呼ばれた人々は、このように多用な実態を持つが、古代国家は華夷思想の影響の下に、その内一般の倭人と文化的に異質な部分を意図的に強調し、蝦夷は狩猟を生業として農耕を行わず、野蛮で道徳を弁えない、異俗・異相の民であると喧伝して、その征服・同化政策を正当化しようとした。
 蝦夷社会は族長に率いられた小規模な「村」から構成され、政治的には統合されていなかった。しかし律令国家との対立が先鋭化して武力衝突が起こると、広範囲の蝦夷村が同盟を結び、結束して戦った。律令国家による蝦夷支配は、当初は集団ごとの服属・朝貢によって拡大・維持されていったが、大化の改新以降は境界領域における城柵の設置と柵戸の導入を基軸とした領域支配の拡大策が組織的に行われる。724多賀城が新たな陸奥国国府として建置、同時に鎮守府も併置されて蝦夷支配の拠点となった。これに対して蝦夷はしばしば反乱を起こして抵抗した。8世紀初めにも断続的に蝦夷の反乱が起きているが、最も大規模で長期に亙ったのは、774海道の蝦夷の桃生城への襲撃に始まり、811文室綿麻呂*9による征討まで続いた、所謂三十八年戦争である。この戦争では広範囲の蝦夷が連合して頑強に抵抗したが、801征夷大将軍坂上田村麻呂*10の征討で大勢が決し、胆沢城・志波城が築かれて制圧された。その後も蝦夷の抵抗・反乱は陸奥国奥郡・秋田城などで起こるが、中央政府が在地の蝦夷系豪族の支配力を利用する政策に転換したことで次第に鎮静化、やがてその中から安倍・清原氏といった在地勢力が成長してくる。また、10世紀初頭には鎮守府胆沢城の管都として奥六郡が成立し、更に12世紀には陸奥国北部の津軽・糠部地方にまで郡が建てられる。こうした流れの中で、蝦夷の居住地として独自の文化的・政治的領域を構成していた東北地方北部が東北地方南部と同質化していき、その住民も蝦夷とは呼ばれなくなっていく。また、12世紀には夷島(北海道)を中心とした中世的なエゾ観念の成立を見る。(『岩波日本史辞典』より引用)

征討
 叛逆者を討つ。兵を出して手向かう者を討つ。征伐。(『大漢語林』より引用)

 大自然のおしおきです

 蝦夷縄文人の後裔にしてアイヌの先祖。外来の弥生の血の混じった現日本人より、恐らく純日本人に近い彼らですが、日本の中央政府にとっては辺境のまつろわぬ人々として討伐の対象として扱われていました。以下その歴史を少々。

 蝦夷大和民族との抗争の歴史は古く神話の時代にまで遡ります。神武東征に始まり、日本武尊の活躍により関東一円までを版図に治めた大和王権大化の改新以降南東北への入植が始まりますが、この頃には派手な武力衝突もなく比較的平和裏に共存しておりました。抗争が激化するのは奈良時代以降、宮城の多賀城などを拠点に蝦夷の本拠の北東北への進出を図ります。これには蝦夷も頑強な抵抗を示し、三十八年戦争と呼ばれる断続的な反乱を起こします。「日本」の優位が確定したのは平安時代初頭。平安京造営と蝦夷征伐を二大政治課題に掲げた桓武天皇に任じられた坂上田村麻呂文室綿麻呂の活躍により、大和民族の拠点は本州最北端にまで達し、蝦夷の本体は北海道に引き篭もりエゾと呼ばれる異民族へと変質してゆきます。一方朝廷でも、莫大な財政負担を強いるこの二大政策への風当たりが強くなり、実質的な撤退を余儀なくされ、蝦夷の残党ととの混血の進んだ在地勢力の「自治」を許すこととなりました。結果、清原氏安倍氏奥州藤原氏らを代表とする奥州勢力は事実上の半独立王国として君臨。奥州が名実共に「日本」の一部となるには、鎌倉時代頼朝による奥州合戦を待つこととなるのでした。

それぞれの思惑とちょっぴりの好奇心

 大和民族による蝦夷征討、古泉一樹ら「機関」による神人撃退。まつろわぬ者の扱いは古代から陸続と受け継がれる全人類共通の課題ですが、民族自決が無条件の正義と崇められ、人権を笠に着て圧力団体と化した少数民族の抗議行動が蔓延する現代においては、下手に触ると怪我をする厄介な課題に成り果てています。
 そんな中、次の総選挙で在日外国人への選挙権付与を画策する民主党の姿勢は果たしていかがなものでしょうか。ヨーロッパを見るまでもなく移民問題は広大なフロンティアを持たぬ狭小な国家においては、容易に死に至る病となってしまいます。そもそも個人的には、他所さまの国で、同化の努力もなしに権利だけを主張する人間を信用できません。郷に入れは郷に従う。故郷を捨て新天地に向かう人間の最低限の礼儀でしょう。広島東洋カープを巣立ちメジャーに旅立った黒田博樹。いつかは帰ってきて欲しいとは思いますが、彼に彼の地でカープイズムを押し通して欲しいとは思いません。故郷は遠くにありて思うもの。いつの日か錦を飾るか、尾羽打ち枯らして逃げ帰るそのどちらかであるべきでしょう。僕もいつの日か、広島に戻るその時は皆さん温かく迎えてくださいね

帰ってきた今日の一行知識

テーブルゲーム「オセロ」の初期商品名案は「ランラン・カンカン」
折からのパンダブームに便乗する予定が、開発者の父親がシェイクスピア学者だった影響で180度方針転換。当初の商品名のままでは今のような人気を得れていたとは到底思えませんね。やはりネーミングは大事です。

*1:+自身がその犠牲者の山内・澤崎・幹英の「新人王」トリオが投手コーチに入閣

*2:涼宮。北高2年5組。SOS団団長。退屈を忌み、不思議を愛する少女。世界を思いのままに改変できる力を持ちながらもそれを自覚せず、SOS団を設立し、不思議探しに余念がない。

*3:北高2年5組。SOS団所属。波乱を忌み、平穏を愛する何処にでもいる少年。何故かハルヒに気に入られ、数々の事件に巻き込まれることになる。

*4:有希。北高2年生。文芸部部長。SOS団・コンピューター研究部所属。情報統合思念体対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースとして、ハルヒの観察を目的に送りこまれるも、SOS団に半強制的に引き込まれ、なし崩し的にハルヒと行動を共にすることに。

*5:マウスプロモーション所属。代表作:国崎住人(『AIR(TVアニメ版)』)、保坂(『みなみけ』)、草薙剣児(『鋼鉄神ジーグ』)他。

*6:「分裂」以降は再活性化している模様ではあるが・・・

*7:物語の構成要素を極限までそぎ落とせばハルヒキョン・古泉の三人(古泉が女だったらなおよし)で可能。

*8:字体やゲームの弱さから推察。

*9:中納言。父三諸大原薬子の変連座し失脚するも、その武勇をかった坂上田村麻呂により助命される。その後、征夷大将軍として蝦夷征討に大功を挙げた。

*10:大納言。正三位。父苅田麻呂。蝦夷征討の最前線で累進し、初代征夷大将軍に任命された。胆沢城・志波城造営成功を花道に中央に戻り更なる昇進を遂げる。