外務省: 第16回 まんが甲子園 麻生大臣挨拶
これぞ名演説。とりあえず大会の質の低さは気にしないことにしましょう。
前回に引き続き今回もまた書き上がりのデータ一遍飛んでます。はてなの今回のシステムリニューアルは最低です。プログラマー死ね。
- 作者: 古川薫
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肩に懸れる一軍の安危はいかに重からん
児玉源太郎
嘉永五(1852)〜明治三十九(1906)年。明治時代の陸軍軍人(大将)。徳山藩士児玉半九郎忠碩*1の長男、母は元子*2。山口県都濃郡出身。幼名:百合若、のち健。
戊辰戦争に藩の献功隊士として参加。のち陸軍に入り、佐賀の乱・神風連の乱・西南の役に従軍して頭角を現した。1887陸軍大学校長としてドイツの軍制・戦術の移入紹介につとめ、’91ヨーロッパ視察。’92-‘98陸軍次官兼軍務局長、その間日清戦争には大本営参謀としても活躍し、功により男爵。’96中将に昇進し、長州軍閥の一人として重きを成した。’98台湾総督となり、1900第四次伊藤内閣の陸相、第一次桂内閣でも留任し、一時内相と文相を兼任した。’03陸相を辞任し参謀次長に就任、参謀総長大山巌*3の許で手腕を揮った。’04大将に累進して日露戦争に出征し、満州軍総参謀長として大山総司令官を補佐、智謀を謳われた。戦功により子爵となり、’06参謀総長に就任、また南満州鉄道株式会社創立委員長となった。病没後、伯爵に昇叙された。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)
海に秋山真之あらば、陸に児玉源太郎あり。てな訳で今回は日露戦争の英雄児玉陸軍参謀次長の伝記小説。文章的にはさして見るべきものはありませんが、非常に素直で読みやすい文章は源太郎の底意地の悪さに嫌気さえ差さなければ、暇つぶしに最適でしょう。
しかし、構成的にはお世辞にも及第点とは言い難く、メインテーマでもあるはずの天辺の椅子=首相の座に最も近づくのが、作劇上のクライマックスたる日露戦争の直前という間の悪さ。特に203高地の血戦が展開上は完全に蛇足になってしまっているのが致命的です。ついでに言えば、各人の人物評が場面毎にばらばらだったり、意味ありげに顔見せした人物がそのまま沙汰止みになったりと、新聞連載小説の欠点を見事なまでにさらけ出して降ります。
とは言え、日本男児たるもの日露戦役に血沸き肉踊らせぬ非国民なぞいるはずもありません。大日本帝国の最も輝かしい時代をどうぞご堪能あれ。