脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『悪名の論理〜田沼意次の生涯』

http://guideline.livedoor.biz/archives/51041814.html
飛び道具は反則です。卑怯だ。


 遂に上京以来八年棲み続けた愛しき下宿を離れることが決まりました。引越し先は京都市内中心部。そこで中学以来十数年来の超悪友*1とぼろい一軒家をルームシェアします。さあどうなることやら。取り敢えず、喧嘩別れで数少ない親友を失うなんて最悪の結末だけは避けたいものです。なお、引越し日は3/21(金)。友人各位はその前後予定空けとくように。

悪名の論理―田沼意次の生涯 (中公新書)

悪名の論理―田沼意次の生涯 (中公新書)

満たされても足りなかった幸福

田沼意次
 享保四(1719)〜天明八(‘88)年。江戸中後期の幕政家。田沼意行*2の長男、母は田代七右衛門高近*3の養女*4。江戸出身。初名:龍助。
 1734将軍徳川吉宗*5の世嗣家重*6付きの西丸小姓となり、'35父の遺跡六百石を継ぐ。'37従五位下主殿頭、'45家重の将軍就任に伴い本丸に勤仕、'47小姓組番頭格、'48小姓組番頭に進んで、1400石を加増された。次いで'51側衆、'55 3,000石加増、'58更に5,000石加増され合計一万石の大名に昇進した。引き続き10代将軍家治*7の信任も厚く、異例の栄進を続け、'62 5,000石加増、'67側用人となって従四位下に進み、5,000石加増され二万石の相良城主となる。'69 5,000石加増、侍従に進み老中格。'72老中となり、幕閣の実権を握り5000石加増、'77 7,000石、'81 10,000石、'85更に10,000石加増。前後10回の加増により僅か六百石の小身から五万七千石の大名にまでのし上がった。その政治には旧来の格式に囚われぬ新しさが見られ、所謂「田沼時代」を現出した。諸種の株仲間の結成を奨励、銅座・鉄座・人蔘座などの専売制を実施するなど、功利的な殖産興業政策を推進。また新田・鉱山の開発にも意を用い下総国印旛沼干拓にも着手した。更に銅や俵物の専売による外国貿易の拡大や蝦夷地開発計画などには、鎖国体制下とは思えぬ積極さがあった。しかしこうした政策は、商人との結託による賄賂政治の横行を必然化し、また農村の商品生産が高まる一方では、商業・高利貸資本に搾取され脱落する農民も続出、一揆や都市打ちこわしが激化した。天明年間('81-'88)の飢饉凶災はこれに一層の拍車をかけ、士民の攻撃を受け’86老中を退任した。領地は殆ど収公され、僅かに孫の意明*8がその名跡(一万石)を継ぐことを許された。戒名は耆山良英隆興院。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)

 賄賂金権政治の元祖と喧伝される田沼意次の真の姿を描き出す野心作。一応サブタイトルには「田沼意次の生涯」とありますが、実際には伝記的要素は殆どなく、家治治下での天明の改革の進展と挫折を描く社会史的な構成となっています。僅か六百石の弱小旗本が将軍の寵を受け権力の階梯を上り、幕政を牛耳るに至る過程という立志伝中一番面白いところを一切省略*9して、押しも押されぬ田沼時代を現出したところから始めるのですからいっそ清々しくもあります。
 具体的な内容としては、意次が愛し保護した平賀源内などの進歩的過ぎる奇人変人列伝、時代を先取りしすぎた経済政策、ペリーより一世紀近く早く来ていた黒船ロシア艦隊の脅威、そして因循姑息なる腹黒貴公子松平定信の策動と盛り沢山で、江戸時代に興味のある人は退屈せずに読めるでしょう。前後の徳川吉宗享保の改革松平定信寛政の改革などの、時代に逆行する節倹を押し付けるだけの復古主義的改革期に比べれば、明るく退廃的な本来の江戸文化がここにあります。

あなたを嫌いになったわけじゃなくてただ優しさが痛かっただけなの

 「白河の水の流れの清すぎて元の田沼の濁り恋しき」と歌われたとおり、無能な聖人か、貪婪な能吏かというのは政治家を選ぶ上での究極の二律背反です。個人的にはどんなに人間的に最低で私欲を貪ろうとも仕事さえきっちりやってくれさえすれば構わない*10という主義ですので、昨今のマスコミの気に食わない鼻薬を嗅がされてない有名人は些細なスキャンダルを針小棒大に取り上げて潰すと言う風潮とそれに乗ってしまう大衆の愚昧さに我慢なりません。政治家だって人間です、甘い汁は吸いたいに決まっています。それを無条件に禁止してしまうから現在のように無能なお坊ちゃまと黒い交際の達人のみが永田町に跋扈してしまうのでしょう。我々はもう少し我慢というものを覚えるべきではないでしょうか。マスコミの煽動に乗って安倍を潰してアンシャンレジームの復権を許した去年の失敗を二度と繰り返してはなりません。痛い目見るのは結局我々なのですから。

jam

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*1:たそがれ樸堂さんです。明日から左京区法然院の講堂で印刻の個展やってる(2/28-3/2)ので京都在住の方は足を運んだげて下さい。

*2:小納戸頭取。主殿頭。父義房。吉宗に近侍。

*3:紀州藩家臣。

*4:辰。子に意次・意誠・意満。

*5:第8代将軍。右大臣。父光貞、母浄円院。享保の改革を断行。徳川幕府中興の祖。通称:「米公方」。「暴れん坊将軍」のモデル。

*6:徳川第9代将軍。右大臣。母深徳院。脳性麻痺による言語障害のため、側用人制の復活・跋扈を許す。

*7:右大臣。父家重、母至心院。田沼意次を重用し、天明の改革を断行。

*8:下村藩初代藩主。下野守。父意知、母織田信浮女。祖父のライバル松平定信に憎まれ不遇のまま死去。

*9:意次は徹底的に実利の人だったらしく日記や自伝回顧録の類を一切残していない為、伝記を書き辛いって所為もあります

*10:外務省だの京都市観光局だのはまともな仕事もせずに濫費に興じてるので論外です。為念。