脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物叢書 井伊直弼』

502 Bad Gateway
不思議と違和感がないのは何ででしょう。


 「好調はそれと気付いた瞬間には終わっている」とはスポーツ界でよく言われる格言ですが、文筆の道にもそれは当てはまるようです。調子に乗って「絶好調」などと要らんことを言挙げした瞬間、天罰覿面、ピタリと筆が止まってしまいました。文章の神様カンバッーク。

重すぎる罪背負っていても 何も気付かず時は過ぎていくなら

井伊直弼
 文化十二(1815)〜万延元('60)年。幕末の大老彦根藩主。通称鉄三郎、号は柳生舎、宗観など。藩主直中*1の第14子。場外の屋敷〈埋木舎〉で修業。国学者長野義言*2に学ぶ。1850兄直亮*3の死により藩を嗣ぎ、掃部頭を称す。ペリー来航で和平を主張。将軍継嗣問題で血統によるという伝統に従い紀州藩徳川慶福(家茂)*4を推し、南紀派の中心となり、一橋慶喜*5を推す改革的な一橋派と対立した。'58大老。勅許を得ないまま通商条約に調印し、慶福の継嗣を決定。戊午の密勅が出ると安政の大獄を起こし、一橋派の諸侯・幕臣・志士らを弾圧、水戸浪士らに桜田門外に暗殺された。(『岩波日本史辞典』より引用。)


 学術書。私は何をとち狂ってこんな歯応えのあるもんを題材に選んだんでしょう。去年の自分を激しく問い詰めたいところです。
 愚痴はさておき、学術書だけあって、面白みには書ける本です。誠実に間違いのない事実だけを丁寧に提示してくれているのですが、事実と事実の間のミッシングリンクが多すぎて、これだけで「人物」井伊直弼を理解するのは難しいでしょう。まあ妄想膨らます余地が残されていると考えればいいのかもしれませんが。あと、作者の論の進め方ですが、大上段に振りかぶった正論を展開して融通が利かないところがあり、直弼を弁護してみたかと思えば、敵対勢力に肩入れしてみたりと、「物語」としての一貫性に欠けます。まあ、バキバキの学術書の読み物としての面白さを大真面目に議論する私の方がおかしいのでしょうが。


 一日サボった分、以下井伊直弼の略歴。依例如例、覚書程度の殴り書きなので、鵜呑みにはしないで下さい。

 後年権勢を誇り、幕政を牛耳る豪腕井伊直弼も生まれた時はただの冷や飯喰らい。井伊家の十四男として生まれた直弼、他家に養子に出されることもなく、万が一の予備として「埋木舎」と自虐的な名を付けた屋敷で身の不幸をかこちます。そこで、発揮する場の用意されることのない溢れんばかりの才能を各種学問技芸に費やします。禅を極め、居合の一派を立て、国学では後年自身の懐刀となる長野義言に師事し、自分探しの旅に余念がありません。
 そんな彼の前途が開けるのは弘化三(1846)年直弼32歳の春、藩主直亮の世子直元が病死した為、直亮の養子として、彦根三十万石の跡継になります。ただ、この直亮、どうも稀代の馬鹿殿だったようで、世子時代の直弼の記録は手元不如意の嘆きと父の不徳・職務怠慢のお詫び行脚で終止しています。
 彦根藩ひいては幕閣一同が待ち望んだ嘉永三('50)年の直亮の死によって、直弼はようやく何の枷もなくその辣腕を揮う場を得ます。卓越した議論と溢れるカリスマで幕府の守旧派の筆頭となった直弼は、将軍継嗣問題などで、改革派の水戸斉昭との軋轢を深めることとなります。
 直弼に大老の命が下ったのは安政五('58)年。斉昭・春嶽ら一橋派の猛攻により、世論が慶喜後継に傾きつつあった現状を打破する為の、将軍家定の最後の強権発動によってでした。これにより、南紀派の勝利が事実上確定し、水戸・越前・尾張・土佐・長州・薩摩の改革派連合はその矛先を、ハリスとの無断通商修交条約締結の非難に向けます。正直この辺りの政治動向は両陣営ともに水戸or井伊憎しの一念に凝り固まっていて、正義も信念も一切感じられないので見ていて嫌になってきます。
 とまあそういった感じの憎しみの連鎖が暴発するのが安政の大獄。条約の勅許を得る為、京都に派遣された長野義言・間部詮房が、遅々として進まぬ運動の責任を、京都に蟠居する不逞浪士の浮説妄言になすり付けたことで、潔癖で癇症で幕府の権威を絶対と信じる直弼の堪忍袋の緒が切れます。水戸藩士等一橋派を一掃せんと吹き荒れた粛清の嵐。実際に死罪を蒙ったのは8名*6と少ないですが、幕内で失職・停職・左遷・隠居の憂き目にあった者は数知れず。藪をつつくと蛇が出るのは世の定め、酒飲み話に過ぎなかった幕府要人襲撃計画が、切羽詰った水戸藩過激派の手によって実体を持ち始めます。
 万延元年三月三日。春とは思えぬ吹雪の朝、斜陽の幕府を一人孤独に支えた豪腕政治家の首が桜田門外気杵築藩邸前に転がりました。後世に拭いがたき汚名だけを残して。

人はどうしても生きていかなきゃならない 答え見つける日まで

 生まれる時代を間違えた豪腕官僚。井伊直弼を一言で評価すればこうなるでしょうか。彼の輿論を纏める能力も、時勢に合わせて制度の許す範囲内で行う改革粛清能力も間違いなく不世出のものであります。しかし、その制度自体に寿命が訪れていたとしたら、その能力は邪魔以外のなんらの評価ももたらさない、歴史の「進化」をとめる害悪になってしまいます。
 現代政治家で言えば、民主党の小沢氏や自民党参院の青木氏にその臭いを感じます。彼等が政治家・為政家として一流なのは間違いのないところでしょうが、残念ながら貴方方の学んだ帝王学の通用していい時代はもう終わっています。権力を握って誰からもまだ尊敬されているうちに引退されるのが、貴方方だけでなく国の為にもなるはずです。井伊直弼橋本龍太郎のように横死して、汚名を後世に流すよりは余程ましな引き際だと思うのですが。

今日の一行知識

幕末期当時、松下村塾の三傑として世間の声望を集めていたのは、吉田稔麿久坂玄瑞高杉晋作
見ての通り、桂小五郎こと木戸孝允の名はありません。漫画や小説などのフィクションでは、高杉と並んで長州の重鎮として描かれることが多い彼ですが、現実では家禄も低く、乾坤一擲の薩長同盟締結に成功して藩政を握るまでは、大した影響力は持ってなかったようです。冷静に考えれば、普通は有力者に変装させて使いパシったりしませんよね。


スクラップド・プリンセス OPテーマ - Little Wing

スクラップド・プリンセス OPテーマ - Little Wing

In the Chaos - YouTube

*1:彦根14代藩主。掃部頭。父直幸、母大武昌長女、養父直富

*2:長野主膳彦根藩歌学師範・異国船処置御用掛。

*3:彦根藩15代藩主。掃部頭。父直中、母南部利正女。

*4:徳川14代将軍。右大臣。父斉順、母実成院、養父斉彊→家定。妻和宮

*5:徳川慶喜。徳川15代将軍。内大臣、公爵。父徳川斉昭、母徳川吉子。

*6:安島帯刀(切腹)、茅根伊予之介・鵜飼吉左衛門・飯泉喜内・橋本左内頼三樹三郎吉田松陰(死罪)、鵜飼幸吉(獄門)