脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

阿修羅姫と江戸化物草紙と清朝末期について

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骨太というかなんというか。らしい選本です。ただ『勇午』や『ジパング』は少し政治的にまずいんじゃないですかね。

 
 やる気さんやる気さん。怒らないから帰っておいで。
 今宵のテーマは「阿修羅姫」「江戸化物草紙」「西太后+張作」。テーマは百鬼夜行ってとこかな?

生まれ来る前の我 それは今ここに眠る英霊か

阿修羅姫

君がため、惜しからざりし命さへ - 脱積読宣言
阿修羅姫 - 脱積読宣言
御旗のもとに - 脱積読宣言

阿修羅姫
ALI PROJECTの13rdシングル。2005.6.5.Mellow Headより発売。(『舞-HiME 運命の系統樹』オープニング主題歌。c/w「君がため、惜しからざりし命さへ」)
作詞:宝野アリカ、作編曲:片倉三起也
オリコン初登場・最高位23位*1、総売上19,471枚*2
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歌詞はこちら

 一度語った気がするんですが。歌詞やタイトルが特徴的だからかALI PROJECT関連は不思議と検索ヒットが多いです。因みにアクセス解析でもヒット数TOP3のキーワードは上から「亡国覚醒カタルシス」「カープ」「勇侠青春謳」となっています。
 さて本題。『阿修羅姫』ですが、『Rozen Maiden』のOPで『禁じられた遊び』を聞いて一目惚れした次に聞いた曲で、こんな曲も書けるグループなら外れもあるまいと本格的に追っかけることを決めた曲だった気がします。
 曲自体もはったりの利いた大仰なメロディラインで私好みなのですが、やはり真骨頂は詞にこそあるのではないのでしょうか。これでもかと絢爛豪華に飾り立てられた装飾過多な歌詞を臆面もなく書き上げ、あまつさえそれを自家薬籠中のものとして歌いこなす胆力と歌唱力は驚嘆に値します。彼女以外に誰が「諸行無常 移ろいゆく浮き世 寝ても目醒めても泡沫の日々」とか「魑魅魍魎夢魔食んで蜜蟲 堕ちる処まで堕ちて空蝉」とか大真面目に歌いきれるでしょうか。よくも悪くも一般受けとは無縁なアーティストですが、日本の音楽シーンの画期となりうる人材とまで言ってしまってもいいのではないでしょうか。勿論、かなりの確率で贔屓の引き倒しでしょうが。

阿修羅姫

阿修羅姫

江戸化物草紙

病める薔薇 - 脱積読宣言

江戸化物草紙
アダム=カバット校注編、1999.2.1小学館より第一版第一刷発行。239ページ。定価2,400円
収録内容
「夭怪着到牒(ばけものちゃくとうちょう)」(北尾政美*3画)
「妖怪一年草(ばけものひととせぐさ)」(十返舎一九*4作・勝川春英*5画)
「化物の娵入(ばけもののよめいり)」(十返舎一九作・勝川春英画)
「信有奇怪会(たのみありばけもののまじわり)」(十返舎一九作画)
「化皮太皷伝(ばけのかわたいこでん)」(十返舎一九作・歌川国芳*6画)他

 
 昨今の妖怪ブームとは言え、まだまだ我々には敷居の高い江戸時代の妖怪図絵を豊富な図版と注釈で懇切丁寧に紹介してくれる良著。釈文も現代語訳も省略なく全文きちんと乗せてくれているので、変体仮名の勉強にも最適です。
 尤も、内容自体は今の目で見て面白いものとはお世辞にも言えませんので、娯楽用に用いるのは少し難しいかもしれません。水木しげる京極夏彦のバイアスのかかってない純血種の日本妖怪を生成りで楽しみたい人にオススメです。

江戸化物草紙

江戸化物草紙

西太后+張作

勇侠青春謳pt2 - 脱積読宣言

西太后Xi-tai-hou*7
道光十五(1835)〜光緒三十四(1908)年。清の咸豊帝*8の側室、同治帝*9の生母。諡は孝欽。
 満州旗人の家に生まれ、18歳で咸豊帝の側室となり、1856同治帝を生む。同治帝の即位後、恭親王奕訢*10と結び、慈安太后(咸豊帝の皇后)と共に摂政に就任。慈禧太后を名乗り、政治の実権を握る。同治帝の死後、甥の光緒帝*11を擁立。'81慈安太后の死後、全権を一身に集め、'84恭親王を失脚させ、政治を独裁。光緒帝の親政後も朝政に介入。日清戦争では主戦派を抑え、'98には光緒帝の革新政治を弾圧。1900には義和団の戦いを清朝の自己保全に利用しようとして列強に宣戦するなど、その保守的態度は清の滅亡を早める結果となった。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)

張作霖Zhang Zuo-lin*12
光緒元(1875)〜民国十七(1928)年。中国の軍閥奉天派の首領。字は雨亭。
 遼寧省瀋陽の人。日清戦争から復員後、馬賊となる。日露戦争後に頭角を現わし、辛亥革命で功を立て師長となる。袁世凱*13の信任を得て、1916奉天督軍兼省長となり、張勲復辟に加担した憑麟閣の失脚で、奉天全省を掌握。'18安徽派と結び関内に進出、東三省巡閲使となる。次いで、吉林黒龍2省を従え、安直戦争でチャハル部を抑え、外蒙事件で熱河を得た。関内への再進出を試み、'22第一次奉直戦争で呉佩孚*14に敗れ、'24第二次奉直戦争で憑玉祥*15と結んで勝利し、段祺瑞*16を擁立して、その勢力を上海まで延ばした。'25反奉戦争の展開で勢力を失い、郭松齢事件で危機に陥ったが、日本の関東軍の干渉で救われた。'26呉佩孚と結んで「反赤戦争」を起こし、'27軍政府を組織して北京に君臨したが、翌年北伐に敗れ、奉天(現瀋陽)から引揚げの途上、関東軍の陰謀により爆死。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)

 「孝欽慈禧端佑康頤昭予荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后」*17通称西太后*18と東三省の覇王張作霖*19浅田次郎の『中原の虹』では中原に人無しと見た西太后が自身の死後の袁世凱への当て馬として張作霖に興味を示したりしていますが、史実では殆ど関係は見られません。せいぜい、「大の麻雀好きだった西太后が万金を投じて作らせた究極至高の麻雀牌を張作霖が手に入れ、北京からの都落ちの際に持ち帰ろうとしていたが、列車の爆発に巻き込まれ、哀れ灰塵に帰した。」なんて非常に真偽の怪しい与太話が伝わっているぐらいです。そもそも、西太后が死んだのは1907年なのに張作霖が政治の表舞台に躍り出るのは1916年の奉天落城、どんなに負けても1911年の辛亥革命以降なので時代が合いません。西太后最晩年の頃は、日本軍の援助を得て、張景恵*20を軍門に下し馬賊としてようやく一本立ちした辺りです。
 しかし、義和団事件以降急速に外国カブレになった西太后が、親交の深い日本公使夫人から情報を得て、今売り出し中の新進気鋭の馬賊集団の長に目をつけていた、と妄想するのも面白いですね。少なくとも、今やるべきはいちゃもんをつけることではなく、2007年3月発売予定の『中原の虹 第三巻』をワクテカしながら待つことでしょう。浅田先生期待してますよ。

中原の虹 第二巻

中原の虹 第二巻

愛する者を守りぬくため 僕らは命を投げ出せるだろうか

 55年体制崩壊以降の自民党守旧派の国民を見ない必死の延命の足掻きが清朝末期の泥濘と重なってなりません。その伝で行けば、ばら撒きと不思議なカリスマとで求心力を維持する西太后古賀誠、関外にあって虎視眈々と政権を狙う軍閥張作霖小沢一郎と言ったところでしょうか。誰もが最早命脈が尽きたと分かっている旧体制が無駄に命を永らえても誰も喜ばないと何故わからないのでしょう。もう我々は『江戸化物草紙』に出てくるような醜怪な妖怪どもの百鬼夜行は見たくもありません。誰か白馬に乗ったヒーローなり、阿修羅姫の如く白刃を振りかざすヒロインなりが出てきてはくれないものでしょうか。そう考えるとやっぱ小泉って凄かったんだなあ。

今日の一行知識

満州」は正しくは「満洲」と書き、文殊菩薩の意味
荊州」や「益州」のように地名なのかと思っていました。女真族が清国二代皇帝ホンタイジの時に、自称を「服属」を意味する「ジュルチン(女真*21」から、彼らの崇拝する文殊菩薩から取った「マンジュ(満洲)」に改名したんだそうです。中華周辺民族は当て字が多いのでややこしいですね。

勇侠青春謳

勇侠青春謳

*1:初動売上8,447枚

*2:2005.8.22時点。オリコン登場回数10回

*3:津山藩お抱え絵師。北尾重政に師事。号は杉皐、紹真。別名鍬形螵斎。代表作:「近世職人尽絵詞」「江戸一目図屏風」他

*4:本名重田貞一。代表作:浄瑠璃「木下蔭狭間合戦」、黄表紙『心学時計草』、滑稽本東海道中膝栗毛』他

*5:勝川春章に師事。代表作:『絵本大内家軍談』、『絵本勇壮義経録』、黄表紙『歌化物一寺再興』他

*6:歌川豊国に師事。通称井草孫三郎。号一勇斎。代表作:『相馬の古内裏』『みかけはこはゐがとんだいヽ人だ』『忠臣蔵十一段目夜討之図』他

*7:一声-四声-四声

*8:文宗。清朝第九代皇帝。諱は奕詝。父道光帝、母孝全皇后。

*9:穆宗。諱は載淳。清朝第十代皇帝。父咸豊帝、母西太后

*10:軍機大臣。父道光帝、母静貴妃。

*11:徳宗。清朝第十一代皇帝。諱は載湉。父醇親王奕譞、母葉赫那拉氏。

*12:一声-四声-二声

*13:字は慰亭、号は容菴。河南省項城県の人。中華民国初代大総統。

*14:字は子玉。山東省蓬莱県の人。直隷派。

*15:字は煥章。安徽省巣県の人。国民党革命委員会中央委員。

*16:字は芝泉。安徽省合肥の人。安徽派。

*17:正式な諡号だとここまで長くなります。長いので通常は「孝欽皇后」と略します。ついでに上げておくと、姓は「葉赫那拉(イエホナラ)」、幼名「蘭児」。ここから出世魚のように蘭貴人(1851咸豊帝に輿入れ)→懿嬪('54父の死による改名と昇進か?)→懿貴妃('56載淳出産による昇進)→慈禧皇太后('61載淳の即位による徽号・尊号授与)→慈禧端佑皇太后('72同治帝結婚による徽号追加)→慈禧端佑康頤皇太后('73同治帝親政開始)→慈禧端佑康頤昭予荘誠皇太后('74光緒帝即位)→慈禧端佑康頤昭予荘誠寿恭皇太后('89光緒帝大婚)→慈禧端佑康頤昭予荘誠寿恭欽献皇太后('89光緒帝親政開始)→慈禧端佑康頤昭予荘誠寿恭欽献崇煕皇太后('94還暦)→孝欽慈禧端佑康頤昭予荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后(1907死去)と変化しています。因みに生前は光緒帝には「親爸爸」、女官・宦官には「老仏爺」と呼ばせていたのは小説の通り。嗚呼ややこし。

*18:咸豊帝の皇后が「東太后」とよばれていたので、それと併せての命名。因みに通常東の方が西より高貴とされています。

*19:西太后と同時代に生きた「張作某」には張作霖の義弟張作相(『中原の虹』でいう所の三当家「白猫」)がいますが、知名度が圧倒的に低い上、事績も殆ど張作霖と重なるので省略。

*20:字は叙五。遼寧省台安県の人。満州国国務総理大臣。通称「豆腐総理」「好好閣下」。『中原の虹』では二当家「好大人」として登場。

*21:古くは「息慎」「稷慎」「粛慎」「女直」の表記も