脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『千利休〜その生涯と芸術的業績』

スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS│スーパーロボット大戦 公式サイト[SRW]
発売延期ー。しないことの方が珍しいとはいえやっぱりへこみます。


 新書祭り継続ちう。

月の光に照らされた 置き去りのやさしさに触れた

千利休
 大永二(1522)〜天正十九('91)年。戦国・安土桃山時代の堺の商人、茶人。幼名は与四郎。法諱は宗易、号は抛筌斎*1。父は納屋衆田中与兵衛泉州堺今市町に生まれ、魚問屋を営む。武野紹鴎*2に学んだ侘茶をさらに発展させ、既製の道具観を破って楽茶碗や竹花入など新しい道具を創作、茶室様式を完成するなど、茶の湯を大成した。織田信長豊臣秀吉に茶を以て仕え、殊に秀吉の下では禁裏茶会(1585)や北野大茶会('87)などにより天下一茶湯者の地位を得た。しかし、大徳寺の山門に掲げられた利休の木像が秀吉の逆鱗に触れ、堺へ下向後、京都の屋敷で切腹。(『岩波日本史辞典』より引用)


 作者の桑野忠親氏は戦国時代の雑学本を多く監修した歴史家で、小学生時分には大変お世話になったもんです。それで知ったかぶって社会の時間によく突っ込みというか、いちゃもんをつけてました。K先生ごめんなさい。なんて嫌な生徒だ。しかし、それらの雑本で得た雑駁な知識は今も私の歴史観の土台になっている気がします。
 その印象で手に取ったこの本ですが、いかに新書とは言え研究書と小遣い稼ぎの雑本を一緒にしてはいけませんでした。がちがちの硬派の文章で、茶道の心得も興味もない私にはハードルの高いこと高いこと。道具名や茶道の哲学部分は殆どお経でした。何が一般書だ。
 と言うわけで、当初の皮算用からは大きく狂いましたが、立論はしっかりしているし、文章も華はありませんが堅実なもので、読むのに苦痛はありません。専門用語の羅列に眩暈がしてくるのは途中で予習をしなかったこっちが悪いんです。流れを無視して唐突に挟まれる敵対意見の学者への罵詈反論はご愛嬌。明治生まれの学者の底意地の悪さ硬骨さがうかがえます。

 
 さて茶道の極意や侘び寂びの深奥なぞ私に語れるわけありませんので、思いっきり俗っぽい政治のお話でも。
 宗易は信長にも仕えていますが、所詮数いる茶坊主の一人に過ぎませんでした。それが存在感を増すのは秀吉の時代に入ってから。どんな寝技を使ったのか、天正十三(1585)年には「利休」*3の居士号を勅賜され、秀長*4と二人で豊臣政権の中枢を牛耳る*5に至ります。この時期に他の茶人をほぼ駆逐し、現在の千家流の一人勝ちの情勢の基礎を作ります。当時珍重されていた唐物の権威を否定し、自身が流通ルートを握る高麗茶碗を推奨し、末期には茶道具の自作に手を出し原価タダに近いものにプレミア付けて売りつけるような事も始めます。
 そんな悪事が長く続くわけもなく、庇護者の秀長が同十九('91)年に死ぬと、専横を憎んだ前田玄以*6石田三成*7大徳寺の木像にいちゃもんを付けられ失脚。詐欺行為同然の新作の茶道具販売も暴露され、秀吉の怒りを買い切腹
辞世「提る 我が得具足の 一つ太刀 今此の時ぞ 天に抛つ」*8 

 以上わざと悪し様に書きましたが、茶聖のフィルターを外せばこんなもんでしょう。彼の死は戦国の気風の色濃い信長政権の残滓たる政商の跋扈から官僚的中央政権への移行をよく表しているのではないのでしょうか。
 

全て受け入れ燃え尽きて 灰になるまで抱き合おうよ

 「侘び・寂び・萌え」が日本文化の代名詞と無批判に受け入れられがちですが、本当にそうなのでしょうか。儒教や幽玄美に束縛されたせせこましい美意識だけが日本の文化ではなく、安土桃山期や元禄期の絢爛豪華な文化も日本文化には違いないではありませんか。
 秀吉の「黄金の茶室」は利休のプロデュースだった*9という説もあります。草庵という下らない価値のないはずのものを莫大な予算と労力を投入し黄金で作り上げる。この一見無駄で馬鹿馬鹿しい誰も尊敬してくれない職人気質こそが日本文化の精髄と信じます。誰か「日本文化=黄金の茶室論」を提唱してみませんか。「縮みの文化」なんかよりはよっぽどインパクトも説得力もあると思うのですが。

今日の一行知識

銀閣寺は最初から銀箔を貼る予定はなかった
「青く輝く月に照らされて白く映えるのを銀に見立てた」by人力車屋のアンちゃん。だそうです。観光地の近くに住んでると多種多様な出所不明なトリビアがただで聞けてお得です。

REVIEW?BEST OF GLAY

REVIEW?BEST OF GLAY

*1:「抛」は「手偏に尢に力」が正字。音は「ホウ」、「なげうつ」と訓ずる。

*2:堺町衆。因幡守。武田信孝の孫。門人に今井宗久千利休

*3:「老衰して鋭利でなくなった」の意

*4:豊臣秀長。大和の大名。権大納言。父筑阿弥、母朝日姫。旧名:木下小一郎、羽柴秀長。通称「大和大納言」

*5:「内々之儀者宗易、公儀之事者宰相存候」意訳:内々の儀は千利休が、公儀の事は私羽柴秀長が取り仕切っております。

*6:基勝。五奉行筆頭。民部卿法印。父基光。

*7:五奉行の一。治部少輔。父正継、母岩田氏。

*8:「私が今までの人生で帯びてきたこの太刀を、今この最期の瞬間に天に投げ捨てるのだ」。同掲の遺偈「人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺」。意訳:「70年の人生で結局禅の大法を会得することができなかった。しかし、今ようやく私はこの宝剣によって、仏陀も祖師も共に滅殺し、真人の境地へと至ることができるのだ。

*9:作者の師匠の高柳光寿博士が戦中にこれを命じた朱印状を大阪の古道具屋で見かけた。という非常にあやふやなもの。若手の論はボロクソに言っといて師匠の論は盲信するダブルスタンダードっぷりが素敵です。しかし、流石にきちんと状況証拠は示しています。要約すると、①当時は金を卑下する風潮は一切存在せず純粋な宝物だった。②利休はノ貫のような侘茶一辺倒の茶人ではなく、信長期の絢爛な茶の残滓を引きずっていた。③「宗易ならでハ、関白様へ一言も申上人無之と見及申候」と讃えられた利休の権威を無視できる訳がない