脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史14〜一向一揆と石山合戦』

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1775320.html
一歴史愛好家として一言。ゴミを増やすな。


 秋風涼しくなってまいりました。今年の夏も結局なんもなかったなあ。

一向一揆と石山合戦 (戦争の日本史 14)

一向一揆と石山合戦 (戦争の日本史 14)

数億の中から選ばれた戦士

石山合戦
 元亀元(1570)〜天正八('80)年断続的に続いた石山本願寺織田信長*1との戦。
 浅井・朝倉氏をはじめ反信長陣営の動きが活発になった'70.9本願寺顕如*2は信長の圧迫に抗して戦争を開始。諸国の門徒もこれに応じて蜂起し、石山への参陣や兵粮・金銭上納を続けた。一時、本願寺・浅井・朝倉・将軍足利義昭*3武田信玄*4による信長包囲網が形成され、信長を苦境に追い込んだが、'73包囲網は崩壊。本願寺は毛利氏や摂津の荒木村重*5らとも結んだが、次第に孤立。'80信長は勅命講和の形をとって本願寺を屈服させ、石山から退去させた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 本願寺教団自らの自己PR、東西両派閥の自己正当化、徳川幕府によるレッテル貼りと、各種の思惑が入り乱れる一向一揆プロパガンダのベールをめくる意欲作。なんでしょうが、作者の専攻分野直撃な内容だけあって、色気のない学術よりの論文で正直読んでて退屈。一揆の性質上智謀の士も英雄豪傑も全くご無沙汰なので益々退屈。真面目に真宗の歴史を紐解きたいという熱心な信徒の方か、レポートの底本に指定された哀れな方以外にはちょっとおすすめしづらい出来です。硬派な論考している作者に罪はないのですが、「戦争の日本史」ってシリーズなんだからもっと読み物としての出来も追及してほしかったなあ。

旅に出ようHey yoこれ男の証拠正常でしょう

 自民党支持カープファンの真宗門徒と広島人を地で行く我が実家。郷里を離れて思うのは、当たり前のようにカープの勝敗が次の日の担任の機嫌に直結して、当たり前のように法事でくだくだしい御講和に足を痛めた日々の懐かしさ。親と故郷のありがたみってのは失ってからでないと実感できないんでしょうね。

シモダス

シモダス

帰ってきた今日の一行知識

一向宗は元々蔑称
浄土宗の名を嫌った浄土宗側が命名。中央政権寄りの彼らのロビー活動により江戸時代には幕府の公式用語として定着したとのこと。門徒の皆さんはきちんと真宗と自称しましょう。

*1:近江の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。弟信行ら一族との内訌を制し尾張統一、桶狭間の戦い今川義元を撃破し雄飛を開始。斎藤氏を滅ぼし美濃を制圧し、足利義昭を擁して上洛、織田政権を経営。二度に亘る包囲網を各個撃破し天下統一の覇業へ踏み出すも、本能寺の変により横死。

*2:本願寺第十一世。諱は光佐。父証如、母庭田重親女。正親町天皇の勅により世襲門跡となり権勢を極める。足利義昭の檄に応じ信長包囲網に参加。信長と十数年に亘る石山合戦を戦った。

*3:室町第15代将軍。権大納言。父義輝、母慶寿院、養父近衛尚通。旧名:義秋。織田信長に擁立され将軍就任するも、傀儡の座に満足せず、二度に亘り信長包囲網を形成するも破綻。毛利氏の庇護下に鞆に亡命政権を樹立するも時勢には抗えず、豊臣政権に臣従。

*4:晴信。甲斐・信濃守護。大膳大夫。父信虎、母大井の方。父信虎を追放し家督を継承。信濃駿河に勢力を伸張し甲斐の虎の雷名を轟かせた。内政にも手腕を発揮し名君の誉れも高かったが、信長包囲網の一角としての西上作戦の途上に病死。

*5:伊丹城々主。摂津守。父義村。池田氏配下から転じて織田家に臣従。信長の寵遇を得摂津一国の知行権を与えられるも謀反を起こし、毛利氏を頼り亡命。本能寺の変後は茶人として活躍、利休十哲の一人に数えられた。