脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『武家と天皇』

 以前ちょろっと予告した通り天皇家の権威の源泉と推移について少し考えて見たいと思います。と言っても、参考文献なしに一席ぶれるほどの知識も度胸もないので、今谷明武家天皇-王権をめぐる相剋-』岩波新書(1993)の感想で換えさせてもらいます。さて今谷氏ですが、学者と思えぬほど面白い文章を書きます。学術書の体裁を崩さずにここまで「読める」文章を書ける能力は素直に賞賛に値します。流石にメインテーマの部分は専門的過ぎて面白くないですが、前史として取り上げた部分は、生半可な歴史小説を鼻で笑うかのごとき臨場感と疾走感に満ちています。氏ほどの筆力を持つ歴史家が後数人いれば昨今の大河ドラマのごとき似非歴史小説の跳梁を許さずに済むと思うのですがいかがでしょうか。

武家と天皇―王権をめぐる相剋 (岩波新書)

武家と天皇―王権をめぐる相剋 (岩波新書)

僕が小僧の頃イメージした壮大な

 さてネタバレ感想に行く前に、私自身の天皇に関する態度立場を表明しときたいと思います。
 日本人の文化的連続性の象徴と、動乱時における現政権に対するアンチテーゼの役割を果たすことができるのであれば、金の鋳物だろうが後南朝の後裔だろうが葦原将軍だろうが構わない、尊崇の対象が何であるのかが問題ではなく、尊崇するという行為自体が尊いのだ、というのが基本的スタンスです。しかし、現実的には1500年もの間尊崇の対象となり続けた血族というのは簡単に代替物を用意できるほど簡単なものではなく、「神官」は「神」の意思が如何なるものであろうと、国家鎮護の象徴として、「神」の一族天皇家を存在させ続ける努力をしなければならないと考えます。神に人権など考える必要はないのです。

 それでは上記の立場で、女系天皇論への対案をがんがえてみたいと思います。
1、女系天皇容認論
 愛子女王の立太子自体は先例(称徳天皇)もあることですし、問題ないと思います。ただ、結婚し子供を産みその子が跡を襲うとなれば、諸外国の考える王朝の連続性の要件を満たさなくなり、万世一系の神話が途切れることとなってしまいます。世界最古の王族の称号は何気に強力な外交の武器になるので、簡単に破棄するわけにいかないでしょう。というわけで却下。
2、臣籍降下した宮家の皇族復帰
 過去の先例(後光厳天皇他)を鑑みるとこれが一番妥当なんでしょうが、何度かTVで見た該当人物が非常にいけ好かない連中だったので心乗りしません。ので保留。
3、男児誕生を待つ
 こうなれば一番無難なんでしょうが、一時は「種無しカボチャ」の風評までたった皇太子殿下や一度流産を経験している雅子妃殿下に期待するのは酷でしょう。妾を添わせてってのができれば一番いいんでしょうがこの御時世にそんなことをすれば非難囂々でしょうから、実質的には無理でしょう。髭の殿下の頑張りに期待しますか。
4、折衷案
 適当な人望ある旧宮家の男子を皇族に復帰させて、愛子天皇(仮称)の婿にして男児誕生を祈願するというのが最良でしょうか。果てしなく実現性は遠そうですが。

 というわけで、私ごとき凡俗の頭では有効な解決策は見つけられませんでした。優秀にして高潔なる有識者の皆様方の一発逆転の妙案を期待しつつ本題に移りたいと思います。ではようやく以下ネタバレ注意。 

案外普通だし常識的なこれまで

 氏は天皇権威の推移におけるエポックメイキングな事件をあげながら、本題の後水尾天皇譲位事件へと至る前史を解説しておられますが、正直本題は専門的過ぎて面白く解説できそうにないし、ぶっちゃけ前置きで疲れたので、本題無視して前史だけ解説してお茶を濁します。
 

承久の変(1221)

 中世の本格的な始まりとして誰もが挙げるこの事件が、王権の衰微への致命的な一撃となります。全国の実質的支配権を武家に奪われ、王家は以降権威的象徴としての性格を強めます。

永享の乱(1438)

 叙任権すら失い権威としての地位すら危うくなった王権の衰退は、義満の皇位簒奪計画を以て最高潮に達します。強大な大名連を掣肘するため、次男の義嗣を即位させ、自身は上皇として、中華秩序の権威を背景に日本国国王の強大な中央集権を目指したこの計画は義満の急死により頓挫します。この一件において、公家は強大な王権の復活の為義満に協力し、武家は強大な中央政府の誕生を望まなかったので妨害に回るという逆転現象が起こっているのが興味深いです。
 一旦地に堕ちた王権ですが、将軍権力の衰退と表裏に力を取り戻します。特に永享の乱の「治罰の綸旨」出されたことにより、交戦の承認権を取り戻して以降は、世の乱れによる戦乱の頻発を背景に急速に王家の権威は復興します。

長久手の戦い(1584)

 なし崩し的に叙任権・調停権すら回復した王権が究極的な復活を遂げるのは、秀吉が長久手で家康に破れ、東国の自力統一への道が事実上閉ざされたことに端を発します。武士の棟梁としての征夷大将軍たる要件の一つ東国支配が不可能になった為、天下統一の正当性の確保の為、自身が王権の一部になることを選択します。必然的に秀吉の政策は王政復古的なものとなり、秀吉の権力増大と共に王権は極大値に達します。

徳川幕府誕生(1603)

 それに対し家康は東国支配を背景に、正当性の確保に将軍就任を選択します。その後の王権との相克が本書のメインですが、疲れたので省略します。リクエストがあれば書かないでもないですが、興味ある方は実際に読んでみてください。普通に面白いです。
 さて、家康死後東照大権現を王権の代用にしようとした幕府ですが、そんな付け焼刃が通用するわけもなく、折からの朱子学大義名分論の流行もあり、自身の権威の根幹を王権に握られ、結果として幕末に至るまで火種として天皇家を持て余すこととなります。 

いつまでも消えないように

 駆け足な上、前置きと本論の内容が微妙に一致しないちぐはぐな文章になってしまいましたが、今まで幾度も奇跡的な復活を遂げ現代まで命脈を保つ王家にはこの度のピンチも潜り抜け、人臣と同等にまで堕とされたその権威を再び「神」の座にまで引き上げて欲しいというのがこの長駄文の結論です。願わくば天皇のしろしめす葦原瑞穂国に永遠の繁栄と平和のあらんことを。

今日の一行知識

 天皇は在位中は外科的処置はおろか針灸の治療すら受けられなかった*1
 富貴な奴隷か自由な貧乏人か。世の中完全なる幸福なんてのはないようです。

*1:玉体を損ずるのは畏れ多いというのがその理由だそうです。