脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『高橋是清自伝』

 私事のごたごたも一段落ついて今週からは平常更新に戻れそうです。それでは長らく放置していた高橋是清高橋是清自伝』千倉書房(1936)を片付けたいと思います。郷土の恥宮沢喜一が「平成の是清」なんて自称して喜んでたのが印象的な高橋是清ですが、世界恐慌からどの国より早く経済復興を成し遂げるなど、平成の妖怪とは違い経済家として超一流な手腕を振るいましたが、正義に燃える軍部に経済効率なんてもんが分かるはずもなく二・二六事件で暗殺されました。ありきたりな感想ですが、彼が岡田首相のように難を逃れることができていたなら、軍部を掣肘し、無謀な聖戦を避けえたのではと悔やまれます。立志伝中の人物として取り上げるに文句なしの彼ですが、残念ながら自伝執筆の才能には恵まれなかったようで、基本的に自慢話に終始して退屈です。とはいえ維新前後の激動期に青春を過ごし、位人身を極めた英雄の伝記下手な歴史小説よりよっぽど刺激的です。経歴上経済系の話題が多いので、経済畑の知識があった方が読みやすいですが、なくても十分楽しめるんじゃないでしょうか、現に私でも上巻はストレスなく読み終われましたし。それでは以下ネタバレ注意

高橋是清自伝 (上巻) (中公文庫)

高橋是清自伝 (上巻) (中公文庫)

高橋是清自伝 (下巻) (中公文庫)

高橋是清自伝 (下巻) (中公文庫)

古すぎてアマゾン扱ってなかったんで新装版を紹介。

大正浪漫の立役者?

 いつもどおり辞典より引用。〈〉内筆者注
 

嘉永七(1854)〜昭和十一(1936)年。官僚、銀行家、大蔵大臣。江戸生まれ。渡米後、大学南校に入学。農商務省特許局長を経て〈ここまで上巻〉、92年日本銀行に入行、99年副総裁、日露戦争の外債募集に成功〈ここまで下巻〉し、1906年から横浜銀行頭取を兼任、11年日銀総裁。13年山本内閣蔵相となり政友会に入る。18年原内閣蔵相、21年首相兼蔵相、政友会総裁(〜1925)となるが22年辞職。24年に加藤護憲三派内閣の農商務相、25年辞職。27年の金融恐慌時に田中義一内閣の蔵相となり恐慌の処理を経て直ちに辞職した。満州事変後の31年犬養内閣の蔵相となり金輸出再禁止、財政支出の増大を行い、次の斎藤内閣にも留任し、日銀の国債引受等による財源処置により景気刺激策を続けた。しかし軍部の軍事費増額要求の中で34年に岡田内閣の蔵相として軍事費を厳しく抑制する予算編成方針をとり、36年二・二六事件で暗殺された。

上記の通り、一番面白いであろう政界入り以降のことが一切省かれているので、あんま満足感はありません。死亡直後に出された本なので、後腐れが有りすぎて書けなかったのでしょうが非常に残念です。特に下巻は日銀入り以降なので、ほぼ全てが経済がらみの話の上、記憶が新しい分、自慢話も多いので食傷気味になります。経済に明るい人以外は上巻だけで十分な気がします。南北戦争直後のアメリカで騙されて奴隷*1として売られた話や、山気を出して特許局初代局長の任を辞して、ペルーの銀山で一山当てようとして失敗した話など、人生の面白エピソードの多くは網羅されているので、娯楽で読むなら上巻をお勧めします。

 内容ですが、下巻は面白くないし、そもそも何が凄いかすらも分かり辛かったんで、上巻の感想をと思ったんですが、読んだのが十日以上前なんであんま覚えてないんで、印象深いのをいくつか。
 最初の渡米の際の船や職場で、大量に出稼ぎに出ていた支那人(一発変換できんかった。自主規制いくない)と一緒になりますが、相当に下品というか不潔というかぶっちゃけ民度が低いというかだったようで、相当にトラブルを引き起こしています。アメリカ人が黄禍論を信じたのも分かる気がします。
 博打をやったり女を買ったりと相当遊び倒している上、上司との喧嘩を屁とも思わない性格で、何度も職場を飛び出してますが、その度どこかの学校の講師として拾われており、改めて当時いかに英語が重宝されたかが窺われます。

まとめ

 教訓:伝記は死後十分な時間経過してから刊行されたのを買いましょう。

今日の一行知識

 日本の特許制度の元を作ったのは高橋是清
 上記の通り完成させる前に辞めてますが、きちんと完成させてから辞めて欲しかったと思うのは、贔屓しすぎでしょうか

*1:かってに辞められない住み込みの年季使用人契約。待遇はかなりよかった模様。