脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『忠臣蔵とは何か』

 前ふりのネタもないので淡々と行きましょう。本日は丸谷才一忠臣蔵とは何か』講談社(1984)です。この本は忠臣蔵民族学的見地から分析した本で、野間文芸賞を受賞してるみたいですが、主張自体に肯じかねる点が多々あって個人的な評価は少々低めです。何より、今や時代遅れの極みの階級闘争史観一色に染まってるのが厳しいです。しかし、旧仮名遣いで脱線大目、古いインテリ特有の専門用語の説明不足と、ネガティブな側面が目立つのに、実際読んでいる間はほとんどストレスを感じさせないのは、作者の力量の確かさを感じさせます。説明不足過ぎて入門書には使えませんが、ある程度の知識と歌舞伎への興味がある人には必読の書といっても言いすぎじゃないんじゃないでしょうか。

例によって以下ネタバレ注意

導入

 まづ芥川龍之介がこんなことを言った。
「元禄の四十七士の仇討の服装といふのは、あれは元禄でなければ無い華美な服装なものですね。あの派手な服装は如何なるじだいにもなかつたやうですね。前時代から生き残つた古侍があの服装を見たらさぞ苦々しく思つたでせう」
 するとそれを受けて、徳富蘇峯が上機嫌でかう言った。
「彼等はなか々々遊戯気分でやつてゐるんです」

とできた論文の多分に漏れずこの本も出だしにいいたいことのほぼ全てが凝縮されています。遊戯性言い換えれば演劇性を、忠臣蔵もとい赤穂事件に見出そうというのが、この本の主題です。政治的背景とかの解明を求めていた読者は早くもここで絶望を味わわされます。作者の時点でで気づけと言われれば返す言葉も無いんですが・・・。読みたかったな丸谷才一の赤穂事件の政治的位置づけ。愚痴ってばっかだと進まないんで、気をとりなおして。まず作者は芥川の発言に注目して、赤穂浪士の討ち入りの際の実際の服装の復元に取りかかります。んでかなり詳細な考察がありますが中略して結論。てんでばらばらな「華麗な夜盗のいでたち」が実際の討ち入り装束だった模様です。それが何故、現在の火事装束に統一されたのか、という疑問で引きです。

脱線

 ここで脇道に逸れて『曽我物語』のあらすじの説明です。序盤から中盤にかけての説明は理路整然として分かりやすいのですが、クライマックス部分は熱が入ったか、主観と客観が入り混じって非常に読みにくいです。旧時代の人の分からん方が悪いっていう傲慢が感じられます。こんなだから純文学が見捨てられるんだ。閑話休題。それで一章を割いてまで曾我物語を紹介したのは、忠臣蔵以前に江戸庶民が仇討といって思い出すのはこの曾我物語だったというのが言いたかったみたいです。以降も曾我物語の上演回数や時期の話が暫く続きますが、本筋とあんま関係なさげなんで省略。

神殺し

 ここらから、階級闘争への誘導が顕著になってきます。結論ありきの展開には辟易しますが、それでも途中で投げ出そうとは思いません。さすがです。さて、まず火事装束の問題ですが、考察を省略して結論を出すと、浅野内匠頭長矩の祖父の浅野内匠頭長直が大名火消で有名だったので、それにあやかって、とのことです。加えて当時は政府の悪政が天災の一種と見做されていたので、火事を調伏する火消しの姿を悪政に反逆する義士の姿に重ねあわせていたそうです。そしてここらから少し話が怪しくなるのですが、赤穂事件とは、荒ぶる怨霊浅野内匠頭に率いられた火事装束の男たちが、暴虐なる悪神綱吉を鎮める為に蜂起したという理解が起きます。吉良上野介の成敗はその代替行為に過ぎなかったのだと。そして、庶民は、忠臣蔵を観劇することで、神殺しの儀式に参加し、階級間のストレスをガス抜きしていたのだと結論付けられます。

まとめ

 怨霊慰撫の儀式として忠臣蔵を理解するのは一般的ですが、それを赤穂事件にまで敷衍する考えは正直初耳でした。四十七士を鎮護する為の儀式が忠臣蔵であり、浅野内匠頭を鎮魂する為の儀式が赤穂事件だった、という考え自体は卓越だと思いますが、作者が本当に言いたかったであろう階級闘争の代替行為としての歌舞伎という意見は、臭みが強すぎ、時流の変わった現在では妥当性を欠いているように感じます。

今日の一行知識

 名前に使われる助(介・輔)は次官の意味の佐が変化したものである
 最早命名法則に面影もありませんね