脱積読宣言

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『赤穂四十六士論〜幕藩制の精神構造』

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ミーハーサッカーファンとしてはこの人の頃が一番楽しかったなあ。日本に於いて稀有な点の取れるFW鈴木隆行を今一度代表に!


 ようやく引っ越し完了。関係各位には大変ご迷惑をおかけいたしました。さあこれから新居の整理。次の引っ越しの修羅場のその日まで、一切片付けない気もするのは多分気のせいでしょう。

赤穂四十六士論―幕藩制の精神構造 (歴史文化セレクション)

赤穂四十六士論―幕藩制の精神構造 (歴史文化セレクション)

胸の炎に気づいてないと戸惑うだろうか

赤穂義士
 赤穂藩播磨国赤穂の小藩。1701.3勅使下向の時藩侯浅野内匠頭長矩*1はその饗応役を命ぜられたが接待に関する手違いから高家の筆頭吉良上野介義央*2に辱められ憤激の余り刃傷に及んだので即日所領を没収せられ自刃を命ぜられた。一方吉良義央は微傷を蒙ったのみで幕府からなんら罰せられなかった。浅野家の家老大石内蔵助良雄*3等遺臣はこれを遺憾とし、赤穂城明渡しに当り復讐を誓い盟約、秘かに機を待つこと1年余、'02.12.14夜、大石以下四十七士は江戸府外本所の吉良邸を襲って義央を討ち、亡君の意趣を遂げた。当時の識者にはこの挙を肯定する者と否定する者とがあったが世人は大いに賞嘆した。幕府は慎重に処分を議したが、'03.2全員に切腹を命じたので、世人は一層彼等に同情し義士と呼んだ。室鳩巣*4が『赤穂義人録』を著してこの挙を称揚したのをはじめ、しばしば文芸・歌舞伎の題材となり義士讃仰の風を高めた。(『改訂増補 日本史辞典』より引用)

 赤穂藩残党の四十七名は義士なるかそれとも単なる浪士に過ぎないのかを論じた江戸時代の評論を通じて、当時の主従関係の理想像を復元しようという野心的な研究。なのですが、当時としてもおそらく不毛であろう議論を現代人が更にちくちく論じるという実に生産性のない神学論争のような本となっていますので、実学の徒は決してお手に取りませんように。ただ、実用性のない分学問として純度の高い文系の真髄ともいえる出来となっています。暇で暇でしょうがないけど、頭の回転は冴えまくっているという奇跡の瞬間にでもお読みください。
 これだけで終わるのもなんなので、内容についても少々。当時の人気に応じて室鳩巣らが広めた赤穂義士礼賛の論調を批判する佐藤直方や太宰春台の意見を大きく取り上げています。その概略は、「浅野内匠頭に死罪を命じたのは将軍なのだから、吉良上野介を憎むのは筋違い。幕府への異議申し立てをする勇気がないからといって手近な吉良を襲うのは卑怯の極み」、「本気で吉良上野介を自身の手で討ちたいのなら一年以上も時間をかけるのは理不尽。老齢の吉良がそれまでに病魔に倒れなかったのは単なる幸運。自分たちを高く売れる風向きになるのを待っていただけなのではないか」といったもの。「其事は義なりと雖も、其党に限る事なれば、畢竟は私の論なり。(中略)若し私論を以て公論を害せば、此以後天下の法は立つべからず。」と赤穂事件の本質と矛盾を抉った荻生徂徠がほぼ無視されているのが多少気に入りませんが、非常に面白く赤穂事件ひいては忠臣蔵への理解が深まる一冊です。我こそは忠臣蔵ヲタクと名乗るからには是非読んでおいてもらいたいものです。

男はいつも憧れ気分

 男はロマンチストとはよく言われますが、赤穂浪士の皆さんの軌跡を見るにその思いを強くします。大石も堀部も完全に半分自暴自棄の破綻した理論に身を任せ、実に楽しそうです。やはり折角男の子に生まれたからには、赤穂義士の如き破滅の快楽に溺れてみたいものです。さあ、今の会社に三行半でも叩きつけてみようかしらん。

冗談じゃねぇ/憧れ遊び

冗談じゃねぇ/憧れ遊び

帰ってきた今日の一行知識

ハリウッドにてキアヌ=リーブス主演で忠臣蔵映画化進行中
タイトルは『47 Ronin』とのこと。討ち入り後の戦闘シーンだけで1時間くらいありそうだなっと。

*1:赤穂藩第3代藩主。父長友、母(内藤)波知。勅使饗応役のストレスに耐えかねたか発狂し、江戸城松の廊下にて刃傷沙汰に及び切腹お家取り潰しの憂き目に遭い、赤穂事件の原因となった。

*2:高家肝煎。左近衛権少将。父義冬、母酒井忠吉女。各種典礼に通じ古参の高家として幕府の各種儀式を取り仕切り、領地の吉良荘でも善政を敷くなど、名君として活躍するも、浅野内匠頭に逆恨みされたことを機に赤穂事件に巻き込まれ横死。

*3:赤穂藩筆頭家老。父良昭、母(池田)くま。凡庸ながらも堅実な家老として藩政を輔弼するも、主君浅野内匠頭の錯乱によりお家取り潰し。以後は穏健派として残党を糾合し主家再興に尽力するも、万策尽き果て強硬派と合流し、吉良邸に討ち入り。主君の復仇を果たすも切腹。後の忠臣蔵のモデルとなった。

*4:直清。将軍侍講。父玄樸。木下順庵に師事し、新井白石と木門の双璧をなした。家宣〜吉宗の三代に仕え、享保の改革のブレーンとして活躍。