脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『龍馬の影を生きた男近藤長次郎』

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Twitterでも#令和に初ガイムとか森川ジョージ先生のGガンとかで盛り上がってましたが、思い入れのある作品の初見の人のリアクションを見守るってのは最高の娯楽ですからね。


 という訳で、大空スバルのまどマギ同時視聴を堪能した所為で今日は地味に寝不足。ああそれにしても何度見てもあの10話は日本アニメ史上最高の1話です。

夢と暮らしのゴッタ煮でたどり着く場所も見えず

近藤長次郎
 天保九(1838)~慶応二('66)年。幕末期の志士。高知城水道町の商家伝次*1の子。諱:昶、字:子長、号:藤陰・梅華道人、別名:上杉宗次郎。
 1860江戸に出て、安積艮斎*2の門に入る。また、砲術を高島秋帆*3に、洋書を手塚玄海に学ぶ。'63苗字帯刀を許される。勝海舟*4に入門、神戸海軍塾に入って研鑽を積む。坂本龍馬*5と親しく、長崎に亀山社中が組織されるに至ってこれに参加。'65ユニオン号の購入にあたり、長州藩のために尽力。その報奨金でイギリスへの留学を秘密裡に計画したが露見し、社中の申合せにより罪を一身に負い、切腹した。'98贈正五位。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)


 郷土史家の方になる近藤長次郎伝。龍馬ブームに乗っかって相当売れたのか、一時期BOOK OFFの常連になってた印象のある一冊です。ちょっと前に買うものなかった時に厄落としでワゴンセールの拾ってたのを思い出したので読んでみました。流石地元の方らしく幼年期の生家の情報や状景描写は、全国区のお偉い学者先生が逆立ちしても敵う訳もなくってレベルですが、如何せん事績に乏し過ぎて中盤がほとんど河田小龍岩崎弥太郎勝海舟坂本龍馬などの関係者の列伝風になってるのに苦笑。終盤にようやくまともに表舞台に立ったユニオン号事件での有能さと聞き分けのなさは天を仰がんばかりの突出ぶり。そら嫉妬もされるし誰もかばってくれんわと納得。多少文章はぎこちないですが、メジャーとマイナーのバランスのよく取れた地味に名著だと思います。

どこからどこまでが青春なのか未だわからずさすらい者よ

 若かりし頃は触れたもの全部傷つける尖った生き方と物言いに憧れてましたが、齢くってきて思うのは、そんな生き方はた迷惑だなあと。アラサーのブイブイ言わせてる若い子見ると昔の自分を見ているようで生暖かい目になってしまいます。ほんと当時の上司および同僚の皆様方ごめんなさい。

くそったれの涙

くそったれの涙

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*1:須屋主人。父伝助。高地城下の餅菓子屋、のち古物商として活躍。

*2:重信。昌平黌教授。父安藤親重。代表作:『遊豆紀勝』・『洋外紀略』・『史論』(著作)他。

*3:茂敦。長崎会所調役頭取。父茂起。長崎で西洋砲術を学び、高島流砲術を創始。阿部正弘らに重用され幕府の砲術顧問となるも、長崎会所での不正経理を糾弾され失脚投獄。ペリー来航により復権し、幕軍の西洋化に努めた。

*4:安芳。初代海軍卿。伯爵。安房守。父小吉、母信。旧名:義邦。大久保一翁の寵遇を受け、咸臨丸艦長として日本初の太平洋横断を実現するなどの功を挙げる。文久の改革では海軍興隆と公議政体論の実現に向け奔走するも、手下の神戸海軍塾に多くの尊攘志士が参加していたことを咎められ失脚。第二次長州征討に際し復権し、停戦交渉や江戸城無血開城などの外交交渉で活躍。新政府でも海軍卿などの顕官を歴任するも長続きせず、在野で慶喜の赦免運動や言論活動に注力した。代表作:『氷川清話』(随筆)他。

*5:直柔。海援隊初代隊長。父直足、母幸。旧名:直陰、変名:才谷梅太郎。土佐の富裕な郷士層に生まれ、土佐勤王党に参画するも、挙藩勤王の方針に飽き足らず脱藩。勝海舟の知遇を得、神戸海軍塾の塾頭として、航海術と人脈を身に付ける。海舟失脚後は薩摩藩に保護され、薩長同盟を斡旋。後藤象二郎の後援により土佐藩に復帰すると海援隊を組織し、船中八策の提言などで大政奉還の実現に向け奔走するも近江屋事件により横死。