アメリカ銀行「大谷さん本人です?」水原一平「はい大谷です」銀「じゃあ7億送金していいですよー」電話で本人確認できるガバガバシステムだった模様:哲学ニュースnwk
なんで中小企業の社長は経理を親族に任せるのかの理由が詰まった事件です。かといって、本人以外に触れなくするとまじで手続き進まなくなるからなあ(遠い目)
年度末進行もようやく終わりが見えてきて一安心。四月はちっとはゆっくり出来たらいいなあ。
ただ珍しくおもしろく月日のたつのも夢の中
浦島太郎
浦島太郎の話は、一般には次のようなものとして知られている。浦島は助けた亀に案内されて竜宮を訪問。歓待を受けた浦島は三日後に帰郷するが、地上では三百年の歳月が過ぎている。開けるなといわれた玉匣(玉手箱)を開けると白煙が立ち上り、浦島は一瞬にして白髪の翁となり死ぬという内容で、動物報恩、竜宮訪問、時間の超自然的経過、禁止もしくは約束違反のモティーフを骨子とする。奈良時代の『日本書紀』雄略二二年の条、『万葉集』巻九の高橋虫麻呂*1作といわれる「詠水江浦島子一首幷短歌」、『丹後国風土記』、平安時代の漢文資料「浦島子伝」「続浦島子伝記」などにも記述がみえる。これら古記録には亀の恩返しという動物報恩のモティーフはなく、『万葉集』を別として、丹後水江浦日下部氏の始祖伝説の形をとっているところに特徴がある。時代が下って室町時代の御伽草子『浦島太郎』になると。動物報恩の発端が登場し、浦島が鶴となって丹後国浦島明神にまつられるという形をとるようになる。また、浦島に"太郎"の名が付与され、竜宮城の名称が現れるのもこのころである。江戸時代の赤本類ではさらに童話化が進み、太郎は亀の背に乗って地上と竜宮城を往復する話に変容していく。浦島伝説を素材にした文学作品には近松門左衛門*2『浦島年代記』、明治時代に入ってからは、島崎藤村*3『浦島』(詩)、森鷗外*4『玉篋両浦嶼』(戯曲)、坪内逍遥*5『新曲うら島』(楽劇)などが知られている。(後略)(『日本架空伝承人名事典』より引用)
久しぶりにひどいの掴んだ。浦島太郎を考証するとの面白いテーマで期待に胸を高鳴らして読み始めたら、序章で感じるありえないレベルの禍々しさ。一回ああと天を仰ぎましたが、気を取り直して本文読み進めましたが中途でダウン。せめて文章力の欠片でもあれば「ノストラダムスの大予言」的な楽しみ方もできたのですが、昔気質の学者先生にそんなもん北出来るはずもなく。歴史学のド素人の別分野のインテリがしったかで勝手自己流解釈でトンデモな結論を導き出そうとす様がこんなにも悍ましいとは。自分も専門分野外ではしったかしないどこうと強く心に刻まれた読書体験でした。
遊にあきて気がついてお暇乞もそこそこ
あんまり悔しいので浦島太郎について、上記事典やwikipediaなんかで軽く触ってみたんですが、それだけでも面白そうな論点やトリビアがざっくざく。なんでこんな良質な素材をあんな生ごみにできるんだかと。という訳で今度は真っ当な研究者の描く浦島太郎伝を読んでみたいと強く思いました、まる。
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