脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

メジロパーマー

【悲報】ウマ娘化したオルフェーヴルのデザイン、賛否両論:アニゲー速報
マスクド三冠馬な旧仮デザイン好きだったんですが、活躍に期待してます。この調子で行くと来年ステイゴールドで再来年の5周年ではついにディープインパクトが!とか期待してもいいですよね。


 今日も楽しい休日出勤♪三連休?なにそれ美味しいの?な生活にも慣れましたが、冬場は独りの事務所は人肌恋しくなるのであきません。

自己肯定感爆アゲ

ウマ娘

メジロパーマー
 メジロ家のご令嬢……だが、社交的で親しみやすいムードメーカー的なウマ娘。他人のちょっとした変化にも気づけるいいヤツだが、優秀な親戚たちと自分を比べ悩んでいた過去も。そんな彼女が見出した道は……逃げること!ポジティブに逃げまくれば、いつか道は切り開けるさ。
cv.のぐちゆり*1

 メジロの重圧から「逃げ」ようともがくウマ娘。「逃げ」た先でうっかり「太陽」の引力に補足されたせいで何故かギャル街道まっしぐらになってしまった不思議な子。個人的には、パリピムーブの要所要所でポロリと漏れる名家のお嬢様感というか育ちの良さが実にツボです。破調の美ってのはやっぱり日本人の大好物だよねと。あと、メジロパーマーダイタクヘリオスダイイチルビーケイエスミラクルの片想いの連鎖は考えた奴鬼だと思う。

原作

メジロパーマー
 昭和六十二(1987)~平成二十四(2012)年。品種:サラブレッド、性別:牡、毛色:鹿毛。父メジロイーグル*2、母メジロファンタジー*3、母の父ゲイメセン*4。生国:日本(北海道伊達市)、生産者メジロ牧場。馬主:有限会社メジロ牧場、調教師:大久保正陽*5栗東)。
 日本の競走馬、種牡馬。1992年JRA賞最優秀5歳以上牡馬および最優秀父内国産馬である。同年の宝塚記念(GI)と有馬記念(GI)を優勝し、リユウフオーレル*6シンザン*7スピードシンボリ*8イナリワン*9に続いて史上5頭目となる同一年春秋のファン投票実施競走独占、いわゆる「春秋グランプリ制覇」を果たした。その他の勝ち鞍に、札幌記念(1991)(GIII)、新潟大賞典('92)(GIII)、阪神大賞典('93)(GII)。京都ハイジャンプ(2002)(J-GII)を優勝したメジロライデン*10の父としても知られる。
wikipediaより修整引用)


 メジロ全盛期を支えた同期三人衆の中でも一番の異色。期待のプリンスメジロライアンに、外様からの下克上メジロマックイーンはまだ分かるんですが、なんだこのメジロパーマーの妙な戦績は。鳴かず飛ばずで5歳(現4歳)秋に障害転向も飛越低すぎるのをが危険視されて翌年平地に再転向すると同年のグランプリ連勝。ついでにその間の2戦タコ負けだった所為で、両方とも大穴勝利のおまけつき。翌年阪神大賞典のレコード勝利と春天3着が最後の輝きで燃え尽き引退。種牡馬としてはこちらも平地では低調も障害で京都ハイジャンプを制したメジロライデンがいるなど、もしかしたら障害の方にも才能はあったのかと思わせられる成績となっています。以上なんにしたって妙な馬です(いい意味で)。

馬名の由来

メジロ牧場
 かつて北海道虻田郡洞爺湖町にあった競走馬の生産牧場である。日本屈指のオーナーブリーダーであり、史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌ*11、GI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の名馬を生産した。勝負服の柄は「白、緑一本輪、袖緑縦縞」。
 1967建設会社・北野組社長で馬主の北野豊吉*12が、北海道伊達市の高橋農場から敷地の一部を割譲され、伊達市メジロ牧場を開場。牧場名は北野の自宅所在地である東京都豊島区の地名「目白」に由来する。開業当初から数々の重賞優勝馬を輩出し、1982年にメジロティターン*13天皇賞(秋)に優勝し、八大競走初優勝。以降もメジロライアンメジロドーベルなどの名馬を生産している。しかし2000年代に入ると次第に成績は低迷。2006を最後に重賞勝利から遠ざかり、成績不振により競走馬の賞金を基にした経営が成り立たなくなったことから、'11.5.20牧場を解散、同時に馬主業からも撤退した。1971洞爺湖町に分場を開設。2003本場がこちらに移され、伊達市の旧本場は育成・休養に使用されていた。 (wikipediaより修整引用)

アーノルド・ダニエル・パーマー
 西暦1929~2016年。アメリカ・ペンシルベニア州レイトローブ出身のプロゴルファー。ウェイクフォレスト大学を中退。PGAツアー通算62勝は歴代5位であった。なお、孫のサム・サンダース*14もプロゴルファーの道を歩んでいる。
 パーマーの父はクラブプロ兼グリーンキーパーであり、5人兄弟の長男として1929誕生。父の影響で7歳の頃からゴルフを始めて、その素質を認められた。ウェイクフォレスト大学に進学し、'54全米アマゴルフでデビュー、そのタイトルを獲得すると間もなくプロ入りを表明した。'55ツアーに参加してプロゴルファーとしてデビューした。'55ランク32位となる賞金を獲得した。'58最初のマスターズ優勝(第22回大会)、'60最終日の猛チャージで全米オープン唯一度の優勝(第60回大会、チェリーヒルズカントリークラブ)、'61全英オープン初優勝(第90回大会、ロイヤルバークデール)を果たしている。
 パーマーはテレビ時代の最初のスターゴルファーになり、競技スポーツとしてのゴルフを多くの人々に知らせた。熱心なファンが非常に多く、パーマーのファンの集団を指して“Arnie's Army”(アーニーズ・アーミー)と呼ばれるほどであった。
 全英オープン初優勝の時は嵐の2日目に73(1オーバー)という驚異的なスコアを出したが、これには1打のペナルティが含まれていた。バンカーの中でボールが動いたと申告して、自ら1打罰を課したもので、パーマー本人以外は誰も確認していないという。この誠実さは、2回の歴史的ミラクルショットで報われた。第3ラウンドの16番ホール(現在の17番ホール)の第3打と、最終ラウンドの15番ホール(現在の16番ホール)の第2打であり、いずれもグリーンをとらえた難しいリカバリーショットであった。当時、アメリカでは全英オープン離れが進みつつあった。理由は渡航費を負担して長距離を移動するが、賞金額が少なく、賞金を獲得してもアメリPGAツアーの賞金としてカウントされない、勝利してもPGAツアーの公式勝利数にカウントされない*15、同時期に行われるPGAツアーの試合を欠場しなければならない等であった。しかし、パーマーはゴルフ発祥の地であるイギリスのゴルフ界へ貢献するため、ボビー・ジョーンズ*16らが記録したグランドスラムに挑戦するため、1960年の第89回大会(セント・アンドルーズ)から渡英して初戦から2位の成績を収め、刻むことを潔しとせず、果敢にピンを狙う攻撃的プレイスタイルでイギリスのゴルフを変え、さらに1962年トゥルーンで全英オープンを2連覇して全英オープンを世界の大舞台に復帰させたと評価する人もいる。
 全米オープンでは不運が多かった。パーマーの故郷に近いピッツバーグ郊外のオークモントカントリークラブ開催の1962年の第62回大会では、プロ転向間もないジャック・ニクラス*17とのプレーオフに敗れた。さらに翌1963年の第63回大会は、1913年のフランシス・ウィメット*18によるアマチュア初の全米オープン制覇から50年後の記念すべき大会であり、会場も同じボストン郊外のザ・カントリークラブで開催され、3人でのプレイオフとなり、今度は老練なジュリアス・ボロス*19にも敗れた。さらに1966年、サンフランシスコの名門オリンピッククラブ・レイクコース開催の第66回大会では歴史的な大崩れにより優勝を逃した。好調だったパーマーは最終ラウンドの前半終了時点で2位のビリー・キャスパー*20に7打差の首位で折り返したが、当時ベン・ホーガン*21が保持していた全米オープン最小スコアの更新に挑み、無理なショットを続けてスコアを崩し72ホール終了時点でキャスパーと首位タイに並んだ。翌日の18ホールのプレイオフも前日の再現となり、2打リードして前半を終えたが後半に逆転され、キャスパー69対パーマー73の4打差での決着となった。
 マスターズには、74歳の2004年まで出場を続行した。これは連続50回の最多連続出場記録となっている。また、パーマーのライバルでもあるニクラスと並んで全米プロゴルフ選手権37回の最多出場記録を持ち、優勝争いも何度か演じたがメジャー大会の中で唯一優勝できなかったため、グランドスラマーとなることはできなかった。パーマーは、PGAツアーで歴代5位となる62勝をあげた。引退後、ニクラスに「刻んだことはあるか?」と問われ、パーマーは「ないよ。刻んでいれば、もっと勝てたんだ」と答えたという。日本でも、中嶋常幸*22が「刻んだことが無い。刻み方がわからない」と発言したことがある。
 1998ペンシルバニア州のロッジにてフリーメイソンに入会した。2004ジョージ・W・ブッシュ*23アメリカ大統領より大統領自由勲章を授与された。'12.9.12アメリカ合衆国議会により議会名誉黄金勲章を授与された。'16.9.25心臓疾患の合併症により87歳で没した。 (wikipediaより修整引用)


 同期のメジロライアンメジロマックイーンがそれぞれ、N.ライアン・S.マックイーンのアメリカの有名人からその名を頂戴しているように、メジロパーマーの元ネタはアーノルド=パーマー。ゴルフ界のレジェンドらしいんですが、そっち方面への造詣は全くないので解説は省略。ワニさんマークのポロシャツブランドはおふくろが好きだったので、小さい頃よく着てました。今でもたまに救援物資の中に混じって送られてきますが、残念ながら最近はポロシャツ全く着ないので全部お蔵入り。雑食の自分なんですが、ゴルフとマラソンだけはなんか食指動かないんですよねえ。

ウチらはフォーエバー最強

 '91ライアン、'92パーマー、'93マックイーンによる同期のメジロ軍団による宝塚三連覇とか、オグリキャップの復活に花を添えた'90ライアン、おっとびっくりダイユウサクな'91マックイーンと2年連続の2着のリベンジを果たした'92パーマーの有馬記念といい’90年代前半はほんとメジロの時代だったんだなあと改めて。それが今ではもう跡形もないんだから盛者必衰の理を感じます。


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*1:青二プロダクション所属。代表作:及川雫(『アイドルマスター シンデレラガールズ』)、ライザリン=シュタウト(『ライザのアトリエ 〜常闇の女王と秘密の隠れ家〜』)、石川五恵(『RELEASE THE SPYCE』)他。

*2:生涯成績:19戦7勝、獲得賞金:1億1714万7000円。父メジロサンマン、母アマゾンウォリアー、母の父Khaled。主な勝鞍:京都新聞杯(1978)。主な産駒:マイネペルレ・メジロチャント・メジロニューマン。

*3:生涯成績:4戦1勝。父ゲイメセン、母プリンセスリファード、母の父Ryphard。主な産駒:メジロアービンメジロポーラ。

*4:生涯成績 12戦5勝。父Vaguely Noble、母Gay Missile、母の父Sir Gaylord。主な勝鞍:サンクルー大賞(1979)。主な産駒:Balbonella・Noblequest ・ カシノエタニティ

*5:騎手通算成績517戦51勝、重賞5勝。調教師通算成績:7007戦597勝、重賞50勝。主な勝鞍:京都記念(1960秋・'61秋)・阪神大賞典('61)・スワンS('59)。主な管理馬:ナリタブライアンメジロパーマーナリタタイシン

*6:生涯成績:37戦15勝、獲得賞金:3867万6700円。父ヒンドスタン、母フォーレル、母の父Fairford。主な勝鞍:有馬記念(1963)・天皇賞('63秋)。主な産駒:トサノアンナ・リュウリンドウ・ラッキードラマ。

*7:生涯成績:19戦15勝、獲得賞金:5438万円。父ヒンドスタン、母ハヤノボリ、母の父ハヤタケ。主な勝鞍:有馬記念(1965)・東京優駿('64)・天皇賞('65秋)・皐月賞('64)・菊花賞('64)。主な産駒:ミホシンザン・ミヤガワマンナ・フジマドンナ

*8:生涯成績:43戦17勝、獲得賞金:1億6320万7050円・5000ドル。父ロイヤルチャレンヂャー、母スイートイン、母の父ライジングライト。主な勝鞍:有馬記念(1969・'70)・天皇賞('67春)。主な産駒:ピュアーシンボリ・シャトードシンボリ・スイートエブリ。

*9:生涯成績:26戦12勝、獲得賞金:5億932万6000円。父ミルジョージ、母テイトヤシマ、母の父ラークスパー。有馬記念(1989)・天皇賞('89春)・宝塚記念('89)。主な産駒:イナリコンコルドツキフクオー・ミナモトエリモ。

*10:生涯成績:45戦6勝、獲得賞金:1億9,493万円。父メジロパーマー、母メジロハリアー、母の父エリモジョージ。主な勝鞍:京都ハイジャンプ(2002)。

*11:生涯成績:12戦9勝、獲得賞金:3億1192万100円。父モガミ、母メジロヒリュウ、母の父ネヴェアービート。主な勝鞍:優駿牝馬(1986)・桜花賞('86)・エリザベス女王杯('86)。主な産駒:メジログリーンメジロテンオー・メジロディザイヤー

*12:北野建設初代社長。メジロ牧場を開場し、オーナーブリーダーとしてメジロ時代を築いた。

*13:生涯成績:27戦7勝、獲得賞金:1億7550万8000円。父メジロアサマ、母シェリル、母の父スノッブ。主な勝鞍:天皇賞(1982秋)。主な産駒:メジロマックイーン・アトミックサンダー・メジロマーシャス

*14:Sam Saunders。母エイミー。

*15:2001年に1860年まで遡って公式勝利と認定

*16:Robert Tyre "Bobby" Jones, Jr.。プロ勝利数:9勝。主なタイトル:全米オープン優勝(1923・'26・'29・'30)・全英オープン優勝('26・'27・'30)・全米アマ優勝('24・'25・'27・'28・'30)・全英アマ優勝('30)。

*17:Jack Nicklaus。プロ勝利数:115。主なタイトル:マスターズ優勝(1963・'65・'66・'72・'75・'86)・PGA選手権優勝('63・'71・'73・'75・'80)・全米オープン優勝('62・'67・'72・'80)・全英オープン優勝('66・'70・'78)。

*18:Francis DeSales Ouimet。プロ通算3勝。主なタイトル:全米オープン優勝(1913)・全米アマ優勝('14・'31)。

*19:Julius Nicholas Boros。プロ通算18勝。主なタイトル:全米オープン(1952・'63)・PGA選手権('68)。

*20:生涯成績:プロ69勝。主なタイトル:マスターズ(1970)・全米オープン('66・'70)・全米シニアオープン('83)・マツダ・シニア・トーナメント・プレーヤーズ選手権('88)他。

*21:Ben Hogan。生涯成績:プロ69勝。主なタイトル:マスターズ(1951・'53)・PGA選手権('46・'48)・全米オープン('48・'50・'51・'53)・全英オープン('53)他。

*22:プロ通算勝利55勝。主なタイトル:日本プロゴルフ選手権(1977・'83・'84)・日本オープンゴルフ('85・'86・'90・'91)・ゴルフ日本シリーズ('82・'93)・日本マッチプレー('83・'86・'92)他。

*23:George Walker Bush。アメリカ合衆国第43代大統領。父ジョージ・H・W・ブッシュ、母バーバラ。ブッシュ家の一員として実業家として活躍したのちテキサス州知事に就任。保守的な州政運営で名声を挙げ、民主党のゴアを破り共和党から大統領就任。在任中にアメリ同時多発テロが起こり、「テロとの戦い」を宣言。イラク戦争アフガニスタン侵攻で「悪の枢軸」の駆逐を目指すも泥沼化。「世界の警察」のアメリカの立ち位置を大きく揺るがせることとなった。