脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『葉隠』

ヒロイモノ中毒 息子の小学校時代の担任がいじめを無くす能力に長けた人だった
全ての教師がこれくらい有能で当事者能力を持った人材であったらいいんですが・・・。


 1月はいぬる・・・というのがいつものパターンですが、今年に限っては「まだ年明けてから1か月経ってないんかい」というのが本音。しんどいことも多いですが、しっかり楽しませてもらいます。

サムライに生まれてサムライの心を抱いて

葉隠
 江戸時代の代表的な武士道書。葉隠聞書、鍋島論語とも。11巻。
 山本常朝*1の隠棲後の談話を田代陣基*2が1710以降に聞書きしたもの。巻1・2は常朝の談話を直接まとめ、巻3以降は陣基が鍋島藩主らの言行を編集したもの。江戸時代は刊行されず、写本が現在19種残存。儒教的な士道論を批判した「武士道と云は死ぬ事と見つけたり」という有名な一句は、死への覚悟が自明であった戦国期の武士と違い、生への執着が強まった江戸中期の武士に、言葉による死への覚悟の倫理化を図って生れた。(『岩波日本史辞典』より引用)


 皆大好き『葉隠』を『日本の名著』シリーズで読んでみようのコーナー。同シリーズの欠点である中途半端な現代語訳が読了意欲を削ぎます*3。それに負けずに読み進めれば、「武士道は死ぬことと見つけたり」の文句がどれだけ一人歩きしてるのかに驚かされます。全体の感想を誤解を恐れずに言えば、非主流派に落ちたロートルの昔の武勇伝兼言わずもがなのお説教。全体を貫く主題は多分きっと「最近の若い連中は」。上述のあの有名な警句も「俺たちの若い頃はこんなにとがってたんだぜ」と言い換えることができるんではないでしょうか。願わくは歳食って時流に取り残されても過去の美化された捏造気味の武勇伝にすがる哀れな老害にだけはなりたくないものです。

先が見えぬとしてもひたすら行くだけ

 相も変わらず、熱心な信者の方に見られたらぶっ殺されそうな感想ですが、個人的にはいつまでもこういった斜に構えた視点を捨てないようにしたいものです。まあ、んなこと言ってるからお前はいつまでもガキなんだと怒られるんでしょうけど。

薄桜鬼 回奏録 下

薄桜鬼 回奏録 下

帰って来た今日の一行知識

葉隠』は江戸時代の佐賀藩では禁書扱いだった
そんなモンを聖典にしてるんだから「武士道」の胡散臭さがしれます

*1:佐賀藩御書物役。父重澄、母前田作左衛門女。藩主鍋島光茂の小姓として頭角を顕し、三条西実教から古今伝授を受けるなど活躍した。光茂死後隠居し『葉隠』の基となる談話を遺した。

*2:佐賀藩祐筆。父宗澄。鍋島綱茂・吉茂の2代に亘って祐筆役を務める。御役御免後山本常朝や藩主らの談話を編纂し『葉隠』を完成させた。

*3:純粋に読み物にするには読みづらいし、かといって資料にするには粗雑過ぎ