脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『蒙古襲来(下)』

鯉速@広島東洋カープまとめブログ : 広島黒田、球界最高年俸6億円で更改 歴代3位タイ
まさかカープが金満球団の仲間入りするとは。


 前略。ようやく自分にも直属の部下が出来ました。目端の利く好青年で自分にはもったいないことこの上ないんですが、贅沢言うと、セクハラの誘惑に戦わなければいけない可憐な美少女の方がよかったなあ。


SRWBX進捗

  • 2週目第30話「銀河に響く歌声」バジュラと交戦中。トップエース:ミスマル=ユリカ@ナデシコYユニット。

不意に音を立てて忍び寄る憧れに似た空気

文永・弘安の役
 元寇・蒙古襲来とも。文永十一(1274)年と弘安四('81)年の2度にわたる蒙古(元)の侵攻事件。当時は文永・弘安の異国合戦とよばれた。
 フビライ*1(世祖)の命で、1274.10蒙古軍1万5000・高麗軍8000は忻都*2洪茶丘*3金方慶*4を将として、対馬壱岐ついで肥前筑前の沿岸を侵し、'74.10.20博多湾から上陸。集団戦で九州の御家人を中心とする日本軍を圧倒し、大宰府に迫ったが、夜に入り船にもどったところで暴風となり、1万3000人を失い撤退した(文永の役)。'81夏には、忻都・洪茶丘の率いる4万の東路軍が高麗の合浦をたち、'81.6.6博多湾に入ったが、石築地に拠る日本軍に上陸を阻まれ、いったん壱岐沖に撤退。阿塔海*5・范文虎*6の率いる旧南宋軍主体の江南軍10万と平戸沖で合流し、'81.7.27肥前鷹島沖に移動したところ、'81.閏7.1暴風雨におそわれ、数千の軍船・数万の軍兵が波にのまれた。さらに日本軍の鷹島沖での掃討戦により、本国に帰り得たのは4分の1にすぎなかった(弘安の役)。この合戦は、幕府政治の面では、得宗専制を加速させ、西国の荘園・国衙領の住人の動員によって幕府権力の西国への浸透をもたらした。また、御家人は恩賞不足に対し不満をもち、合戦後も続いた異国警固番役の負担に苦しんだ。一方暴風雨を神威の現れとみる日本神国観を定着させた。(『ワイド版角川新版日本史辞典』より引用)

 鬼才網野善彦の描く鎌倉時代後期史。下巻は弘安の改革から建武の親政開始まで。無理に上下巻に分けた所為で、元寇のゲの字も出てこない完全無欠の表題詐欺になってますが、「徳政令」の一語で矮小化されがちな元寇以降の鎌倉時代史を政治・文化両面から詳細かつ面白く描き出してくれています。しかし、網野氏の著作の特徴で、読んでる間はとても面白く知的エンターテインメントを堪能できるのですが、読後に全く何の印象を残さないのはいいんだか悪いんだか。知的興奮は得たいけど無用の虚学に貴重なメモリー割けないという贅沢な方には最適ではないでしょうか。

願いよ叶えたまえ心よ通いたまえ

 松本清張といい司馬遼太郎といいこの人といい、一昔前の大家の皆様はどうしてこう読んでて知的な楽しみ方はできるけど読後感はさっぱりなんでしょう。当時の世相というか、知識教養へのニーズが伺えます。まあ現在の教養=ヲタクなイメージもいかがなもんかと思いはするんですが。

侵略 ?the ChariotsVII ? (「銀装騎攻オーディアン」主題歌)

侵略 ?the ChariotsVII ? (「銀装騎攻オーディアン」主題歌)

帰ってきた今日の一行知識

穢多(エタ)の語源は餌取(エトリ)
馬喰なんかと同系統の職種が元だったんですね。片や馬喰町と地名で残ってんのと比べてえらい違いだ。

*1:Qubilai。モンゴル帝国第5代大ハーン。父トルイ、母ソルコクタニ・ベキ。モンゴル帝国大ハーンの兄モンケの下で中国総督として東アジアに基盤を確立。兄の死後大カーン位を継ぐも内紛により帝国は分裂した為、大元ウルスを建国。南宋を滅ぼし、高麗を征服し中華帝国を建設した。

*2:元朝征東元帥。三別抄の乱を鎮圧し、二度にわたって日本に来寇するも撃退された。

*3:俊奇。高麗東征都元帥。唐城の人。父福源。三別抄の乱の鎮圧に功あり、日本攻略の主将に任じられるも二度にわたって敗走。三度目の侵攻を企図するも果たせず病死。

*4:忠烈。高麗都督使。安東の人。父孝印。三別抄の乱の鎮圧に功あり、日本攻略の主将として活躍。二度にわたる大敗も忠烈王の信は揺るがず累進した。

*5:元朝左丞相。父ブカ。南宋攻略に功あり累進。江南軍総司令官として弘安の役に臨むも大敗失脚。ナヤンの叛乱で功あり復権

*6:元朝江南軍司令官。南宋の武将として元の侵攻に抵抗するも降服。江南軍の司令官として日本侵攻の先陣を任せられるも惨敗。その際、残存兵を見捨てて帰国した罪により後年死刑。