脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史1〜東アジアの動乱と倭国』

http://haters.doorblog.jp/archives/1729715.html
春麗ブランカの二択。何をかをいわんや。


 銀座にお遣い中、信号が変りそうになったので走り出したら、見事に人の鞄にひっかかって*1ド派手なダイビング。えらい恥をかいたのと、何故か左の中指の付け根を負傷*2。だから銀座なんてオサレな街は嫌い*3だ。

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頼ること頼られることそこから力は生まれる

倭国
 1-7世紀に日本列島に形成された国家及びその国際的呼称。日本の前身。
 3世紀後半に姿を消した倭国が再び登場するのは4世紀後半のことである。その間に倭国内で進行していたのは前方後円墳の全国的な拡大である。3世紀の邪馬台国を中心とした倭国の政治連合は卑弥呼*4の共立と卑弥呼による諸国の統合という二面性を持つものであった。定型的な前方後円墳の伝播の意味するものは、その二面性な政治連合の全国化である。外から入手する鉄資源その他の分配を目的として各地の首長は政治連合に参加し、王を共立する。その供給地の伽耶諸国をめぐって、倭国朝鮮半島新興国家である百済と同盟し、高句麗新羅と軍事的に対立した。そのことは石上神宮の七支刀銘文から推定される。銘文に見えるのは共立された王が軍事指揮権により首長に対する統属関係を強めた「倭王」の存在である。倭王の権威が軍事指揮に依存することから、高句麗・広開土王碑文の伝える倭軍の敗北の結果として、新しい王は統属の基盤を中国王朝との外交に求めることになる。宋朝に対する倭の五王の遣使・入朝の目的は、将軍号の獲得にあった。倭王の要請した「安東大将軍」は高句麗王の将軍号に対抗したものであり、「使持節・都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事」とは、資源供給地の伽耶諸国の確保の為に新羅のみならず、百済に対しても軍事権を行使する権限である。一方、倭王は共立基盤である有力首長に対しても「平西」以下の将軍号を自ら仮授し、承認の除正を求めることで統属関係を形成している。その統属関係の形成を倭国内で実践したのが稲荷台古墳の「王賜」銘の鉄剣や、銘冒頭に「治天下・・・大王世」を号した江田船山古墳大刀のような刀剣の分与である。
 478武*5の上表した遣使を最後に、倭国は柵封体制から離脱する。この中国王朝の権威からの自立は、それまでに形成した倭国内外での政治・軍事体制を基にした、倭国内での共立からの自立でもある。5世紀後半のワカタケル大王の時点で目指された中国王朝からと国内諸勢力からとの二重の自立が定着するのは、磐井の乱や継体*6・欽明*7期の内乱を克服した6世紀中葉以降である。欽明の和風諡号アメクニオシハルキヒロニハは、クニ=首長に対するアメ=王権の優位を表し、ワカタケル大王の「治天下」を実現したものといえる。中国王朝の権威に代る自前の支配理念のアメを中核として、王権の正統性を記す系譜と、その支配の正当性を語る神話的物語を制作する。『隋書』はアメタラシヒコという倭国の君主号と倭国内の地方官としてのクニ(国造)の存在を伝える。600アメを体現し、君主としてクニに降臨する神話的なアメタラシヒコを称し、更に'07隋の「日没処天子」に対して「日出処天子」と称することで、倭国の王の二重の自立は完成する。(『岩波日本史辞典』より引用)

 皆大好き吉川弘文館の傑作シリーズ『戦争の日本史』シリーズを1巻から読破してやろうと読み始めたはいいものの冷静に考えれば、古代は完全に専門外でちんぷんかんぷん。挙句に、今回は舞台のほとんどが朝鮮半島なので、人名地名の難易度が限界突破。日本史系の読み物でここまで苦戦するのは久しぶりな気がします。専門の中世史とはアプローチの方法論が微妙に違うのも違和感の原因かしら。
 そんなロートルの嘆き節はさておいて、内容は三国遺事や旧唐書などの大陸系文献を駆使した実証的研究。右な方にとっては、三韓征伐の勲ががん無視、左な人には、百済大和王権への朝貢の指摘と左右どっちにとっても不愉快な歴史観の提示は硬骨の学士さまを思わせて好印象。まあ、その分物語としての面白みには欠けますが。その他印象的なのはやはり2000年の昔から変らぬ日本人の外交下手。現地の暴走と内地の事なかれ主義による外交方針の迷走は最早日本のお家芸。日本人は大人しく鎖国してるのが一番です。

誰かのために時には背伸びさえして

 切っても切れない腐れ縁の朝鮮半島との外交史の第一幕は、壬那日本府失陥という最悪な展開で幕を下ろしました。しかし、正直白村江の敗戦ですっぱり朝鮮半島から縁を切ったその後の方が、倭から日本へと雄飛を遂げれている気がします。彼の国の法則と言ってしまうのは、ハン板的思考が過ぎますでしょうか。とまれ、日本は大陸に野心を燃やすと結局碌なことはないってのは間違いない歴史の教訓。無理な背伸びはせず身の丈にあった鎖国政策を満喫しましょう。ガラパゴスだっていいぢゃないか。

CHOICE

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帰ってきた今日の一行知識

「倭」の字の原義は「なおやかな女性」
そこからの派生で「従順に従う」*8とか「遥か遠く」*9とか「醜い」*10の意味になってます。「矮」の通字と解釈しての蔑称ととるのはどうも江戸期の国学者の被害妄想だったようで。むかしから「日本」の国際イメージは大和撫子だったんですね。

*1:一歩目を踏み出した瞬間軸足の膝にビジネスバッグの角がクリーンヒット。

*2:打撲か捻挫か上手く拳が作れません

*3:渋谷や赤坂なんかも同じ理由で好きになれません。新宿池袋なんかの猥雑さや浅草日暮里辺りの下町風情は大好きなんですけどね。

*4:邪馬台国女王。祭祀王として邪馬台国に君臨し、魏と国交を結んだ。

*5:雄略天皇。第21代天皇。和名:大泊瀬幼武尊。父允恭天皇、母忍坂大中姫。兄安康天皇の死に伴う継承戦争に勝利し、専制王権を樹立。吉備氏の乱を平定し国内を統一した後、朝鮮半島にも進出した。

*6:第26代天皇。和名:男大迹王。父彦主人王、母振姫。応神五世孫として越前を統治していたが、武烈天皇の死去に伴い、近畿に進出し大和王権を奪取するも、磐井の乱などの地方豪族の反抗に苦しめられ続けた。

*7:第29代天皇。和名:天国排開広庭尊。父継体天皇、母手白香皇女物部尾輿蘇我稲目らの輔弼を得て国内を安定させるも、外では百済の滅亡や任那日本府の失陥などで朝鮮半島への影響力を失った。

*8:女性の性質からの派生

*9:くねくねと曲がった道」というイメージからの派生

*10:まっすぐでない