脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『歴史文化セレクション 信長と石山合戦〜中世の信仰と一揆』

未定なブログ 「障害者」→「障がい者」→「友愛者?」 新表記を大阪・吹田市が導入方針
これで「友愛」の語も放送禁止へ。鳩山首相残念でした。


 さらば江戸川。たった三ヶ月の滞在でしたが、第三の故郷と思える場所になりました。I'll be back。また来るよ。


SRW Z進捗

  • スペシャルモード第47話「俺達の行き先」カイメラ隊と交戦中。トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン。

ギリギリDead line 下手すりゃ No Surviver

石山合戦
 元亀元(1570)〜天正八('80)年の織田信長*1石山本願寺一向一揆との戦。
 信長の矢銭徴収や石山退去要求によって両者の関係が悪化し、1570.9.12本願寺が挙兵した。本願寺顕如*2は各地の一向宗門徒に決起を促し、浅井氏・朝倉氏・武田氏ら時々の反信長勢力と同盟を結んで反攻した為、畿内・東海・西国に亘る戦となり、和睦と戦争が繰り返された。'76.4石山籠城戦が開始され、信長は補給を支える雑賀衆毛利水軍と戦うが、信長軍に裏切りが相次いだ。'80.閏3本願寺が勅命講和を呑んで終結。それまでで最大の一向一揆を屈服させたことで、信長の天下統一は一挙に現実化した。(『日本史広辞典』より引用)

 信長の覇道に立ち塞がる最大の障壁一向一揆。彼らとの血で血を洗う十年戦争。石山合戦とはそういう信長にとって最大の試練だった訳なんですが、桶狭間や長篠などの他の戦いに比べて知名度やフィクションへの登場頻度に欠けます。これは一重に本願寺側のタレントの欠如によるものでしょう。中々坊主や百姓ではヒロイックサーガは作りにくいんですかね。
 そんな石山合戦の推移と背景を丁寧に描写し、意義と後世への影響を丹念に描いているのがこの一冊。華々しい槍働きとか英雄達の悲愴な最期とかは期待できませんが、中世から近世への教団組織の変質の画期となったこの一戦。真宗教徒たるもの必読の一冊でしょう。

暗闇の彼方ヒカリを追い駆けろ

 日本史上ほぼ唯一の大規模宗教戦争たる石山合戦。一応紛いなりにも真宗門徒としては、信長の非道を怨むべきでしょうが、個人的には本願寺側の節々に見え隠れするマルクスの「宗教は阿片」との名言もかくやと思わせるカルト的傾向の方が気になります。やはり宗教にはある程度の距離をおいて接する必要があるのかも知れませんね。

帰ってきた今日の一行知識

浄土真宗曹洞宗親鸞道元の死後一度は人気が無くて消滅しかけた
当時は時宗臨済宗の全盛期。それに押されて規模縮小を余儀なくされてたのを立て直したのが、蓮如と瑩山紹瑾とのこと。池田大作大先生様におかれましては、何か対策とっておられるのでしょうか。他人事ながら心配です。

*1:尾張戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。尾張の大うつけと蔑まれながらも、家督争いに勝利し、尾張を統一。桶狭間の戦い今川義元を滅ぼし虎口を逃れて以降、美濃制圧、足利義昭を擁して上洛と破竹の勢いで近畿を制圧。実質的な室町幕府の後継者となった。信長包囲網を打ち破り国内に敵なしとなって以降は第六天魔王を自称し、中世の旧秩序の破壊に邁進するも、覇道の半ばで本能寺の変にて惟任光秀の凶刃に斃れた。

*2:本願寺第11世門主。諱は光佐。父証如、母庭田重直女。京の公家や幕府要人との縁戚を背景に寺勢を拡大、朝廷・幕府より富貴と讃えられる本願寺の全盛期を現出した。織田信長畿内進出に対抗し、二度の信長包囲網に参加し、十年の長きに亘る石山合戦を戦い抜くも時勢には抗せず敗北。信長の軍門に降り、続く秀吉政権でも圧迫を受け寺勢は縮小、彼の死後に本願寺は東西分裂した。