脱積読宣言

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『本能寺の変の群像〜中世と近世の相剋』

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金が欲しけりゃ働きましょう。


 桜に雪は非常に風流なのですが、何もそんな日にガス止まらんでも。ああ暖かい風呂に入りてえ。


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本能寺の変の群像―中世と近世の相剋

本能寺の変の群像―中世と近世の相剋

And if I could be king, Even for a day

本能寺の変
 天正十(1582)年六月二日明智光秀*1が京都の本能寺に織田信長*2を襲った反逆事件。本能寺は四条西洞院*3にあった法華宗寺院。
 信長は、備中高松で毛利方と対陣する羽柴秀吉*4救援の為、1582.5.29安土を発し本能寺に入った。信長に出陣命令を受けた光秀は'82.5.26近江坂本を発し丹波亀山に入るが、'82.6.1深夜1万余の軍勢を率い本能寺を囲んだ。織田軍は諸方面に出陣しており、無防備状態の信長は自刃に追い込まれ、長男信忠*5二条御所で死んだ。(『岩波日本史辞典』より引用)

 世に溢れる本能寺の変解説本の一冊。けばくていかにも遊んでそうな外見に似合わぬ清楚で芯の通った中身が出色。実に派手で外連味溢れる題材を実に堅実で骨太の議論をしています。時々暴走して陰謀論染みたこといっちゃうのはご愛嬌。
 内容は本能寺の変の黒幕は足利義昭だった論。京都追放後も室町幕府は崩壊せず、旧勢力の代表として隠然たる影響力を行使し続けた。信長はそれに反抗し新たなる「天下」観を構築しようとしたが、果たせず義昭の命を受けた惟任日向の凶刃に斃れた。という筋書き。幾度もの苦難に負けず旧秩序の復権に尽力する名君として描かれる義昭が非常に新鮮。本能寺の変をメインテーマにしつつも、織田政権の展開と豊臣政権の誕生を丁寧になぞってくれているので、戦国末期〜安土桃山前期の近畿政治史の入門にも役立ちます。兼続だの慶次だの幸村だのの傍流にばかり浮気せず、偶には王道ど真ん中にがっぷり四つに組んでみるのもいいんじゃないでしょうか。

Till then I'd be a fool, Wishing for the day...

 坂本竜馬暗殺犯に並ぶ日本史二大ミステリーの一角本能寺の変の黒幕。学術的には議論のしようのないつまんない「答え」のでてしまってる前者に比べ、未だ確たる学説の固まっていないこれは最高の知的ゲーム足りうると個人的には思っているのですが、意外と人口に膾炙してないこの話題。皆さんも一度挑戦してみてはいかがでしょうか。なお個人的意見では、固いところでは光秀単独犯で動機は天下簒奪、ちょっと冒険して朝廷黒幕の動機は旧秩序の維持と言ったところ。いやそれは違うと言ってくださる方、是非議論しましょう。一晩くらいは付き合えますよ。
 

チェンジ・ザ・ワールド

チェンジ・ザ・ワールド

帰ってきた今日の一行知識

安土城天守閣はない
あるのは天主閣。縈見寺といい第六天魔王の自称といい織田信長は本気で神になろうとしてたのかもしれませんね。

*1:惟任。征夷大将軍。日向守。父明智光綱、母お牧の方、養父明智光安土岐氏に仕えるも滅亡後、朝倉氏に士官。義昭を信長に紹介したのを縁に織田家に転籍。京都支配や延暦寺焼討などで功を上げ、織田四天王の筆頭格として累進。本能寺の変で信長を弑し、一時は征夷大将軍に任じられるなど、新政権の樹立を策するも、山崎の合戦にて敗死。

*2:近畿の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。「尾張の大うつけ」と呼ばれる奔放な幼年時代を過ごすも、弟信行との家督争いに勝利し、尾張を統一。桶狭間の戦い今川義元を返り討ちにしたのち斎藤氏との抗争に勝ち抜き美濃・伊勢を制圧。義昭を擁立し近畿を勢力下に置くも、のち義昭と対立し、二度に亘る信長包囲網に苦しめられるも勝利し、「第六天魔王」を自称する中世秩序の破壊者として君臨。覇道の中途で本能寺の変にて横死。

*3:現在は寺町通御池下る

*4:豊臣。関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母大政所、養父近衛前久織田信長に重用され、織田四天王の一人として累進。本能寺の変後山崎の合戦にて復仇を果たし、以後の織田家中でのイチシアチブを握った。柴田勝家織田信雄らに勝利し、徳川家康を臣従させたことにより、独自の豊臣政権の道を拓く。以後国内統一を果たし、次いで大陸進出を図り朝鮮征伐を断行するも果たせず病死。

*5:岐阜城主。左近衛中将。父信長、母生駒氏。信長の後継者に擬され、信長の代官として各地を転戦。武田征伐では総大将として出陣し、武田氏を滅亡に追い込みその名声と地位を確固たるものとするも、本能寺の変にて横死。