東大教授「ゆとり社員はダメは嘘。企業が若手にスーパーマンを求める無い物ねだりが問題」【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】
人材不足に悩む人事の皆さんへこの名言を
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ。それがどういう意味であれ」byスヌーピー
色々書くネタはあるのですが、時節柄自重のやむなきに至り、結果深刻な枕不足に陥った為、mixiで拾ったバトンに挑戦。
ルール
みた人はコメ残して自分もやること。
絶対強制!!(^^)}OK?
タイトルは“別れた”“記念日”
●使用中のアドの意味は?
公称:ビートルズの「Paperback Writer」
実際:『R.O.D』の読子・リードマンのコードネーム。
●現在の着信音は?
電話:「ASH TO ASH」*1
メール:「紅の修羅神」*2
●現在の待受は?
デフォルトのまま
●自分の携帯で入力して一番最初にでてきた文字を書こう!!
あ:空いてます
か:勝手
さ:最終
た:助かります
な:なの
は:は
ま:松ヶ崎
や:ヤバすぎ
ら:来週
わ:私
を:を
ん:んで
*恋愛バトン*
《タイプ編》
髪型→ストレート
髪色→みどりなす黒髪
格好→フワフワゴテゴテしてないの
体型→完全な同族嫌悪ですが、デブ以外なら
性格→バカは嫌いだ
SかM→ドM。いじられてなんぼ。
《色々編》
*一途ってどう思う?
いつ如何なる時も俯瞰客観相対化できなきゃダメ
*チャラいってどう思う?
深い教養と常識をもっていて、それでいてわざと崩している人は心から尊敬します。物知らずは死ね。
*血液型気にする?
時候の挨拶、世間話のネタ程度には。
*mixi歴はどれくらい?
忘れた。当ブログは早6年目。
*名前の由来は?
mixi:『R.O.D』のナンシー・幕張のコードネーム
blog:名字で使われている異体字のおぼえ方
ここから先は質問は消してね!!
(メンド臭くなってきた充分なボリュームになったので中略)
では
正直に見た人全員やること!!
絶対だから(;゜Д゜)/
嘘つきは嫌い。見た人はコメ。
コメしてくれた人には質問送ります
時には逢いたくて時には忘れたくて
Janne Da Arc+パクリ
Janne Da Arc
日本のヴィジュアル系ロックバンド。但し現在は派手なメイクをやめヴィジュアル系からは離れつつある。所属レコード会社はavex(レーベルは、エイベックス内部レーベルのmotorod)。公式ファンクラブは『〜マドモアゼルなあなた達〜』。
1996.5.9現在のメンバーでの活動を開始。地元のライブハウス枚方BLOW DOWNで演奏していた。インディーズ時代には、X JAPANを意識したかのような派手なメイクをしていた。これは、Janne Da Arcの前身バンドの結膜炎がX JAPANのコピーバンドであったからという説があるが、yasu*3自身のインタビューによると、「バンドの恰好をヴィジュアル系っぽくすれば、ライブハウスの動員が増える」という魂胆と、もともとDEAD ENDの音楽性に大きく影響を受けていたことが理由である。you*4とkiyo*5はメイクをすることに抵抗感を持っていたため、yasuやka-yu*6と比べると比較的薄めのメイクで活動していたが、メジャーデビューの頃にはむしろ一番メイクにこだわるようになっていた。shuji*7はメイクに抵抗は無かったが、かといって好きではなかったと語っている。
'98.2.22初のワンマンライブ。'98.4初のミニアルバム『Dearly』をリリース。'99.2.22赤坂BLITZで二千人ほど動員するまでになる。ブレイクの一因は、テレビ番組『Break Out』に出演したことにあるが、同番組の出演する他のバンドとのオムニバス CDに参加することを拒否し、その代償として二枚のミニアルバム*8を「Break Out」のマーク付きで出す羽目になった。
'99.5.19シングル『RED ZONE』でエイベックスからメジャーデビューした。デビュー当時は「ヴィジュアル系バンドの最終兵器」という触れ込みだった。ヴィジュアル系の中でも、SIAM SHADE同様演奏力があるとして別格とされた。しかし、メジャーデビュー後、人気上昇と共にだんだんメイクが薄くなっていき、現在では一般的なヴィジュアル系のイメージはあまりない。*9本人達は、DVDの副音声等で「他の人に何言われようがずっと自分達はヴィジュアル系って言おう」と言っている。
メジャーデビュー当初の二年間はエイベックス方式の楽曲作成及びレコーディングに振り回され、セールスも散々な結果に終わるが、三枚目のアルバム『GAIA』から岡野ハジメによるプロデュースを受けるようになってから、人気が上昇する。ヴィジュアル系ということもあって、デビュー当時は、ファンの大半が女性だったが、「2002 tour GAIA」の頃から、男性ファンが増え始め、「tour 2003 ANOTHER STORY」でも更に増え、ついには、男性限定ライブ「男尻Night」を行うほどまでになった。2008現在では、男性ファンが5割近くを占めている*10。
2004.10テレビアニメ『ブラック・ジャック』のオープニングテーマとして「月光花」が使用され、知名度が上昇。累計30万枚を超える大ヒットを記録し、『ミュージックステーション』にも出演。
2005.9.14韓国でアルバム『JOKER』が発売され、海外進出も果たした。 '07.1.26オフィシャルサイト上で、現在のメンバーで結成10年を迎えた節目の新企画として、バンド活動と並行し、それぞれのソロ活動もしていくと発表した。
'07以降新作の音源やライブは行われておらず、現在のところ今後の活動についての具体的な公式発表もない状態が続いており、実質上活動休止中であるともいえる。*11(wikipediaより引用)
メンバー
- yasu:ボーカル担当。リーダー。
- you:ギター担当。
- ka-yu:ベース担当
- kiyo:キーボード担当
- shuji:ドラムス担当
パクリ
かっぱらい。盗み。不良の言葉。(『日本俗語大辞典』より引用)
ORANGE RANGEの「ロコローション」やKAT-TUNの「NEVER×OVER」とパクリ騒動の絶えないJ-pop業界。われらがJanne Da Arcにもその疑惑はあります。とは言え殆どがL'Arc〜en〜Cielの「LIES & TRUTH」と「Love is Here」とかGLAYの「ずっと二人で・・・」と「will〜地図にない場所」とかの曲調は似てなくないかも。ってレベルのものですが、信者の私でも擁護しずらいのが一つ。徳永英明の「BIRDS」と「月光花」。コード進行とか楽譜とか全くわからん素人でも、ああそっくりと思ってしまうレベルの似方。個人的には影響を受けるのは悪いことではないので、ポアロみたいに、あのアーティストからパクったと公言して欲しいんですが、大手レコード会社だと色々ややこしいんでしょうね。
- アーティスト: ジャンヌダルク,yasu
- 出版社/メーカー: エイベックス・トラックス
- 発売日: 2005/01/19
- メディア: CD
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富野
Groovin’ Magic - 脱積読宣言
わたしの上を通り過ぎて行ったガンダムたち - 脱積読宣言
富野由悠季
昭和十六(1941)年〜。アニメーション作家。神奈川県小田原市出身。本名:富野喜幸、別名:井荻麟。日本大学芸術学部映画学科卒業('63)。
1964虫プロ(漫画製作会社)に入社、すぐ手塚治虫*12の『鉄腕アトム』の脚本・演出を担当、デビューする。'67フリーとなり、CM制作や東京デザイナー学院講師をするが水に合わず、再びアニメに戻る。テレビシリーズ『海のトリトン』・『勇者ライディーン』・『ラ・セーヌの星』を監督し、注目される。自作の『無敵鋼人ダイターン3』・『機動戦士ガンダム』・『伝説巨人イデオン』・『戦闘メカ・ザブングル』・『聖戦士ダンバイン』・『重戦機エルガイム』を次々に監督。この間『機動戦士ガンダム』を映画化と活字化、『伝説巨人イデオン』をソノラマ版で刊行。その後『機動戦士Ζガンダム』(全5部)・『リーンの翼』(全6部)を刊行。ロボットアニメ一筋に描き、その根底に人間愛が流れる。'82由悠季と改名。また井荻麟の筆名で主題歌の作詞も行う。小説の他、自伝的著書『だから僕は…』がある。(『漫画家・アニメ作家人名事典』より引用)
誰が呼んだか禿御大。『機動戦士ガンダム』から『機動戦士Vガンダム』までの約15年間ロボットアニメのみならず、日本アニメ業界全体の先導役を務めた手塚・宮崎と並ぶ日本アニメ界の巨人。奇矯な発言と虫プロやジブリのような自前の制作会社を持たないこと、そして受賞歴の乏しさから、今一大家って扱いをしてもらいきれない可哀相なお方ですが、その偉大さは隠れようのないもの。最近こそそうでないですが、『スーパーロボット大戦』が殆ど『スーパートミノ大戦』*13になってしまっているのなどその証左。トミノ語と呼ばれる独特のセリフ回しやオーガニック的な謎パワーなど後世への影響も絶大で、皆殺しのトミノから白トミノまで作風を自在に使い分けられる才能には素直に嫉妬します。新訳Ζの大ゴケで多少けちのつきましたが、まだまだ元気に後進を罵りまくって欲しいものです。
- 作者: 富野由悠季
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2010/02
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豊臣秀吉+悪事+戦国時代
豊臣秀吉
天文五(1536)*14〜慶長三('98)年。豊臣秀吉政権の主権者、関白。織田信秀*15の足軽木下弥右衛門*16の長男。尾張国愛知郡中村出身。幼名:日吉丸、通称:藤吉郎。
1550家出して今川家の臣松下之綱*17に仕え、'53織田信長*18の草履取となり次第に重用される。'66墨股城築城に功を立て、'70頃武将の地位を得、羽柴姓を称する。信長の朝倉・浅井戦に活躍し、'73近江の浅井氏滅亡後その旧領を与えられ、'76長浜に築城する。'77中国平定の主将となり、播磨・備前・美作・因幡の毛利氏属城を攻略する。'82備中高松城を包囲中に本能寺の変が起こり、直ちに毛利氏と和睦して兵を返し、山崎の戦いで明智光秀*19を滅亡させる。清洲会議で織田信忠*20の子三法師(秀信)*21を織田家の家督に推し、織田(神戸)信孝*22・柴田勝家*23と対立。'82従五位下近衛権少将。'83賤ヶ岳の戦いで勝家を破り、次いで信孝を滅ぼし北陸を平定し、'83従四位下参議。'84尾張国小牧・長久手に織田(北畠)信雄*24・徳川家康*25と戦ったが、のち和睦する。'85紀伊の根来・雑賀衆を討ち、また四国の長宗我部元親*26を屈服させる。'85内大臣、次いで藤原姓を称し従一位関白となる。'85大坂城が完成。五奉行を置き公武を統轄する体制を作る。'85豊臣姓勅許。'86太政大臣。'87九州征討軍を出し薩摩島津氏を征し、'90後北条氏を滅亡させ、奥州を平定して全国を統一する。'90関白を辞して養子秀次*27に譲り、太閤となる。'87以後朝鮮・明国征服を策し'92朝鮮へ出兵(文禄の役)したが、李舜臣*28率いる朝鮮の水軍の活躍や民衆の抵抗にあい戦局は不利となり講和を図ったが不調、'97再度派兵(慶長の役)する。'98実子秀頼*29の将来を案じつつ苦悩の裡に没した。信長の事業を継承発展させ、大名の減封・転封を強行して専制権力の確立に成功。また都市豪商との提携・貨幣統一・兵農分離・太閤検地・石高制などの施行によって幕藩体制の基礎を作った。その豪奢遊楽の気質が桃山芸術を開花させた。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)
悪事
良くない行い。また、悪い事件。(『広辞苑 第五版』より引用)
戦国時代
15世紀後半から16世紀後半までの約100年間で、中世から近世への移行期に位置する時代。始期・終期には諸説がある。始期は、応仁の乱が始まった応仁元(1467)年説が一般的だが、細川政元*30が将軍足利義稙*31を廃して義澄*32を擁立、北条早雲*33が伊豆に侵攻し堀越公方*34を逐った明応二('93)年説もある。終期は織田信長が足利義昭*35を擁して上洛した永禄十一(1568)年説が一般的だが、義昭追放・幕府滅亡の天正元('73)年説、安土築城の天正四('76)年説、或いは豊臣秀吉が全国を統一した天正十八('90)年説がある。
戦国時代は下剋上と戦争の時代で、古代・中世の権威や権力が没落し、地侍や商人ら新興勢力が台頭した。全国統一政権は存在せず、各地に戦国大名が登場して領国支配を展開した他、山城の国一揆や加賀の一向一揆などの一揆が国や地方を支配した。その位置づけをめぐっては、後期封建制や純粋封建制制への過渡期とする説が古くからあり、それを批判して在地領主制の最高の発展段階としての戦国大名領国制説・荘園制最終段階説も出された。近年は、従来の時代区分に囚われずに近代社会の始期と位置づける村町制説が提唱された。(『岩波日本史辞典』より引用)
秀吉の悪事とは、っていうと、某国の皆さんが得々と壬申丁酉の倭乱での蛮行を語って聞かせてくれそうですが、それは無視するとして、挙げられるのは、家臣からの召し上げを含む女関係の乱脈ぶりに、秀次事件での理不尽にして苛烈な仕置きに文禄・慶長の役の失策などが挙げられるでしょうか。女性問題はご愛嬌とすれば、両方とも公私の懐刀秀長と利休を失って以降のもの。特に利休などは秀長死後三成の讒言を妄信して自ら誅殺してる辺り、如何に秀長の存在が大きかったかを物語ります。晩年の秀吉は耄碌したとよく言われますが、それは逆説的に秀吉伝説の立役者は秀長にこそあったことを示すのだと思うのはファンの贔屓目でしょうか。
なお、表題の戦国時代に於ける秀吉の悪事についてですが、一般的に戦国時代の終わりとされる天正元年は秀吉が浅井の旧領を与えられて本格的に歴史の表舞台に立ったばかりの頃、最大限に長くとっても秀長存命中の天正十八年で「耄碌」する前。無理に探すとすれば、中国攻略戦での凄惨な攻城戦や本能寺の変後の主家からの政権簒奪になるのでしょうが、どちらも戦国乱世に於いては誉められこそすれ責められる謂れのない日常茶飯事。秀長存命中の戦国時代には、色こそ好めど悪事と言挙げするほどのことなき英雄であったと言えるでしょう。つくづく大和大納言の早逝が惜しまれます。
この都会でも愛は叶うさと
戦国時代が何故今もこんなに愛され輝いているのか?その答えは江戸300年の太平で積み上げられた分厚い二次三次創作の蓄積にこそあると私は考えます。ジャンヌを始めとしたアーティストたちのちょっとしたアイディア借用を悪事と糾弾する世の風潮も、創作者たらんとする人間に劣化コピーで終わらないよう忠告する富野御大の衷心もよく理解できますが、一つの物語を深化させるには先人からの本歌取り上等の伝承文学こそが最良でしょう。もし、数多の戦記文学や先行歴史小説で作られた虚像を無視して史実だけに準拠して太閤秀吉の英雄譚を書けといわれれば、誰がそれをなしえるでしょうか。昨今の著作権重視の風潮には真っ向から逆らうことになりますが、ブンガクは国民全体の共有財産。パクリだなんだと狭量な事を言わずに集合知を用いた二次創作でサーガに発展させましょう。それこそが創作者の本懐だとは思いませんか?
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- 出版社/メーカー: ユニバーサルJ
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帰ってきた今日の一行知識
韓国でのネットゲームの隆盛は海賊版の氾濫のおかげ
即効コピーされて廉価版出されるので、パッケージソフト販売が採算成り立たないレベルにまで市場が縮小した為、ゲーム業界が総力を挙げてネットゲーム開発に取り組んだ結果が現在の繁栄に繋がったのだとか。災い転じて福となるというかなんというか、かの国はいちいちやることが斜め上ですね。
*1:『スーパーロボット大戦A』ラミア=ラヴレステーマソング
*2:『スーパーロボット大戦 COMPACT 3』フォルカ=アルバークテーマソング
*3:代表作:「Re:birth」・「20+∞Century boys」・「眠り姫」(歌手、Acid Black Cherry名義)他。
*4:代表作:「シルビア」、「OASIS」、「explosion」(作曲)他。
*5:代表作:「NEO VENUS」、「Destination」、「WILD FANG」(作曲)他。
*6:代表作:「桜」、「GUILTY PAIN」、「So Blew」(作曲)他。
*7:代表作:『ジャンヌダルクshuji直伝 Pleasure of Drumming』他。
*8:『Resist』('98.12)及び『CHAOS MODE』('99.3)
*9:yasuは自身のソロでやや派手なファッションに回帰した。
*11:しかし活動休止や解散を明確に表明したこともない
*12:代表作:『ブラック・ジャック』、『火の鳥』、『ジャングル大帝』他。
*13:主要シリーズ参戦作品中富野監督作品の割合。『無印』:5/9、『第2次』:5/11、『第2次G』:6/13、『第3次』:7/16、『EX』:6/15、『第4次』:10/24、『F』:9/26、『α』:9/32、『αDC』:9/33、『α外伝』:8/27、『第2次α』:6/22、『第3次』:6/32、『Z』:7/22、『第2次Z破界編』:7/34。計:100/316。
*14:天文六(1537)年とも
*15:那古屋城々主。三河守。父信定、母含笑院殿。「尾張の虎」の異名を取る武勇で尾張国内で勢力を伸張。隣国の今川氏との抗争の最中に病死。
*16:昌吉。織田信秀の足軽組頭として活躍するも戦傷により帰農。出自や生業には異説が多い。
*17:遠江久野藩初代藩主。石見守。父長則。頭陀城主として今川氏に臣従。今川氏滅亡後は一時徳川家康に仕えるも、過去の縁から秀吉に召し出された。
*18:山城の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。「尾張の大うつけ」と揶揄される幼年期を過ごすも、弟信行との家督争いに勝利し、同族を駆逐し尾張統一を成し遂げた。桶狭間の戦いで虎口を逃れて以降は、美濃併呑・将軍義昭擁立など快進撃を続け近畿一円に勢力を伸張。二度に亙る信長包囲網も打ち破り天下布武を目前に迫るも本能寺の変にて横死。
*19:惟任。亀山城々主。日向守。父明智光綱、母お牧の方、養父明智光安。最初朝倉氏に仕え、義昭と信長の会盟を斡旋。その功により信長に仕えた。比叡山焼討や京都経営で活躍し織田四天王の筆頭として累進するも、本能寺の変で謀反。信長弑逆には成功するも秀吉の中国大返しなどにより政権奪取には失敗し、山崎の戦いで敗死。
*20:岐阜城々主。左近衛中将。父信長、母生駒氏。旧名:信重。武田氏攻略戦に功あり、信長の後継の座を確固たるものとするも、本能寺の変で横死。
*21:岐阜の大名。権中納言。父信忠、母徳寿院。本能寺の変後、清洲会議で秀吉に擁立され織田家々督を継承するも、豊臣政権の成立成熟に伴い勢力は漸減。関が原の戦いで西軍に属した為、高野山に追放。
*22:岐阜城々主。侍従。父織田信長、母坂氏、養父神戸具盛。伊勢中部の豪族神戸氏を継ぎ、近畿各地の戦いに従軍。四国征討では大将となったが渡海前に本能寺の変に遭遇。中国大返しを成功させた秀吉などの近畿の諸勢力を糾合し復仇を果たすも、清洲会議では家督継承に失敗。柴田勝家と提携し秀吉に対抗するも、賤ヶ岳の戦いで勝家を喪い賜死。
*23:北ノ庄城々主。修理亮。父勝義。当初は信行派として信長と対立するも後臣従。「瓶割り柴田」の異名をとる武勇で織田四天王の一角として活躍。本能寺の変後、織田政権運営の主導権を秀吉と争うも賤ヶ岳の戦いで敗死。
*24:大和宇陀松山藩初代藩主。内大臣。父織田信長、母生駒吉乃、養父北畠具房。旧名:具豊→信意。伊勢の名族北畠氏の名跡を継ぐも、生来の暗愚から信長には冷遇される。本能寺の変後、家康と提携により秀吉に挑戦し小牧・長久手の戦いを有利に進めるも家康に独断で降服。
*25:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。織田・今川両氏の人質として幼年期を過ごす。桶狭間で今川義元が横死後は独立し三河を回復。織田信長や武田信玄との同盟により遠江に進出。武田征伐及び本能寺の変後の混乱に乗じ旧武田領を吸収し、秀吉と並ぶ一大勢力となるも、小牧・長久手の戦いで臣従、関東移封となる。秀吉死後、関が原で三成との後継争いに勝利し、徳川幕府を開闢。大坂の役で豊臣氏を滅ぼし、政権を磐石なものとした。
*26:土佐の大名。侍従。父国親、母斎藤祥鳳。姫和子と揶揄される柔弱な幼少期を過ごすも、長じては鬼和子、更には土佐の出来人と称えられる英雄となる。本能寺の変の混乱に乗じて四国統一に成功するも四国攻めを招き、秀吉に降服臣従、土佐一国を安堵された。
*27:豊臣。関白。左大臣。父三好吉房、母日秀、養父宮部継潤→三好康長→豊臣秀吉。旧名:信吉。数少ない一門衆との一人として秀吉に寵愛され、雑賀攻めや四国攻めでも武功を挙げ豊臣政権内で重きを為した。子の無い秀吉の養子となり関白職を継承するも、実子秀頼の誕生により疎まれ謀反の嫌疑をかけられ失脚賜死。
*28:이순신。李氏朝鮮三道水軍統制使。字は汝諧。漢陽乾川洞の人。父貞。文禄の役で水軍を率い活躍するも讒言により失脚。慶長の役勃発に伴い復権し、再度日本水軍を苦しめるも露梁海戦で戦死。
*29:豊臣。摂津の大名。右大臣。父秀吉、母淀殿。父秀吉より豊臣政権を継承するも、関が原の戦いにより実権は徳川家康に奪われる。以降も大坂に二重公儀体制と呼ばれる特殊な政権を護持するも、大坂の役により滅亡。
*30:管領。右京大夫。父勝元、母山名熙貴女。明応の政変により義澄を擁立し政権を掌握。半将軍とも呼ばれる権勢を誇るも永正の錯乱にて横死。
*31:室町10代将軍。権大納言。父足利義視、母裏松重政女、養父足利義政。旧名:義材→義尹。義尚の夭折に伴い将軍職を継承するも、明応の政変により下野。大内義興に擁立され復権するも畠山高国と対立し再度阿波に出奔し客死。流れ公方と揶揄される流浪の生涯を送った。
*32:室町11代将軍。左近衛中将。父足利政知、母武者小路隆光女、養父足利義政。旧名:義遐→義高。明応の政変で細川政元に擁立され将軍就任するも、前将軍義稙を擁する大内義興に逐われ、朽木にて客死。
*33:盛時。相模の戦国大名。父伊勢盛定、母伊勢貞国女、養父伊勢貞道。奉公衆として幕府に出仕。今川氏親の外戚として今川家の家督争いに介入。東海道に地盤を得、堀越公方家の内紛に乗じて南関東に進出、伊豆・相模両国を領するに至った。
*34:足利茶々丸。2代堀越公方。父政知。素行不良により廃嫡されるも、継母と弟を誅し公方に就任。旧臣の支持を得れぬまま、伊勢新九郎の介入を招き下野。復権を果たせぬまま賜死。
*35:室町15代将軍。権大納言。父義晴、母慶寿院。旧名:義秋。織田信長に擁され将軍就任。信長の専横を排さんと信長包囲網を企図するも武田信玄の急死により頓挫追放。鞆に亡命政権を樹立し、第二次信長包囲網を指揮するも各個撃破され失脚。