脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『纏足物語』

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サガシリーズ全般。植松伸夫とイトケン最高。個人的にDQあんま好きになれないのはすぎやまサウンドが性に合わないからです。音楽は偉大だ。


 日本の夏、選挙の夏。自民党にはもう何も期待できない、かといって民主党はかなり無謀な大博打、勿論その他は大論外。いずれも丙丁つけがたい熾烈な戦いが始まります。さあ、どいつに投票してくれよう。


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  • 第22話「『来訪者』を守り抜け?」地球製スペイダーズ合流。トップエース:ドモン=カッシュ@ゴッドガンダム

纏足(テンソク)物語 (東方選書)

纏足(テンソク)物語 (東方選書)

艶やかな嬌態に燃えて血織り交ぜる黒い風穴

纏足
 中国女子の畸形的な小足の称。女子が4・5歳の時、足の拇趾を除いた4趾を内側に曲げ、布で緊縛して発育を防ぎ、小さい沓を無理に履かせて作る。その子が痛みに耐え兼ねて泣くから、多くは母が近親の婦人に頼んでやらせた。
 この風は唐末から五代の頃(900前後)に起こったものらしく、宋末の張邦基*1の『墨荘漫録』には、ただ近世に起こるといい、元末の陶宗儀*2の『輟耕録』には、五代南唐の後主李莘*3(937-978)が愛妃の足を縛って新月の状と為し、金蓮の台上で舞わせたことを記している。その風が宋以後拡がったが、それは女子の行動の自由を奪い、またその可憐な姿が男性の興味を惹いたからであり、元代に流行したことは、宣教師オドリコ*4の紀行に見えている。明を経て清初に禁じたこともあるが止まなかった。しかし、華北に纏足者が多くて華南及び貧者に少なく、また清末には天足会などが出来て廃止運動が盛んに行われ、終に清朝の滅亡後に全く廃れた。(『新編 東洋史大辞典』より引用)

 烈海王氏曰く、「元々我が国民は闘・食・性などの本能に根ざすものを追求する執念は他国の追随を許さない。」な漢民族な皆さんが、到達したフェティズムの極地。約2千年ほど遅れを取っている我ら日本人には全く理解の出来ないその神秘の世界を解説してくれた本。事例紹介とか個別具体例が多くて、多少全般的な理解は困難となっていますが、蠱惑の纏足世界に引きずり込まれること間違い無しです。あの熟成された臭いが最高とか、足を覆う布を恥ずかしげに解く姿は堪らないとか、小さな足を口一杯に咥える快感は他の何物にも変えがたいとか、どうして自分は今まで小足の魅力に気付かなかったのだろうかと、自身の無知に暗然とさせられます。まあ、人によっては胸糞悪くなるかもしれませんが。
 儒教の女性抑圧の暗黒面の象徴との理解だけで片付けられがちな纏足の旧習ですが、そこには宋代以来中華民族1000年の叡智と執念が込められています。支那の嘲るべき蛮習とばかり蔑んでないで、一度真正面から向かいあうのもいいのではないでしょうか。もしかすれば、そこには新たな萌えの新世界が待ってるかもしれませんよ。

澱みから忌み事は生まれ痼り残すそれは人の性

 団子頭にチャイナ服に「〜アル」な語尾。少し食傷気味というか春麗で頂点を極めてしまった感すらある、中国っ娘の世界。そこに新たな一石を投じる為にも纏足の導入は意外とありなんではないでしょうか。少なくとも人民服や辮髪よりは真っ当ではないかと。クリエイターの皆さん是非御一考下さいまし。

百鬼繚乱

百鬼繚乱

帰ってきた今日の一行知識

「逸品」は9段階評価でいうと下から三番目の呼称*5
なんだ広告屋の皆さんて意外と謙虚だったんですね。誇大広告しか能がないのかと思ってました。

*1:代表作:「侍児小名録拾遺」、「陳州牡丹記」他。

*2:代表作:「書史會要」、「説郛」他。

*3:南唐第3代皇帝。字は重光。父蓂、母鍾氏。旧名:従嘉。宋の攻撃を受け敗北、南唐を滅亡に導く。政治的には無能であったものの、作詞に優れ、父と共に「南唐二主」と称される

*4:Odorico da Pordenone。フランシスコ派宣教師。東方布教に従事し、中国に3年滞在。旅行記を残す。

*5:上から神品・妙品・仙品・珍品・清品・艶品・逸品・凡品・贋品