脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物現代史8 ホー・チ・ミン〜不倒の革命家』

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アンリミテッド・サガ。無駄に複雑なゲームシステムはサガシリーズお家芸ですが、流石にこれは斬新過ぎました。フィールドの移動方法がノーヒントでは分からないというのは何というか色々論外な気がします。


在京十年にして初の春の古書即売会@みやこメッセ参戦。遠方からの出店もあって品揃えは充実してましたが、やっぱ古本市は露天が好きだなっと。
 以下戦利品。


SRWZ進捗

  • 第15話「見えない明日へ」スカルムーン連合軍乱入。トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン

人物現代史〈8〉ホー・チ・ミン (1979年)

人物現代史〈8〉ホー・チ・ミン (1979年)

枯葉散る夕暮れは来る日の寒さをものがたり

ホー=チ-ミン Ho Chi Minh
 1890-1969。本名:Nguyen Tat Thanh(阮必成)、初期の別名:Nguyen Ai Quoc(阮愛国)。ヴェトナムの革命家。ヴェトナム民主共和国初代大統領。
 革命的伝統を持つゲアン省の愛国的学者*1の家に生まれ、1911祖国解放の道を求めて渡仏。ロシア革命の影響下にマルクスレーニン主義に近付き、'20フランス共産党に入党、『ルーパリア』紙主筆として活躍。'24コミンテルン大会に出席。'25広州でヴェトナム青年革命同志会、'30香港でインドシナ共産党を結成。'41帰国後ヴェトナム独立同盟(ヴェトミン戦線)を創設、総蜂起の準備を指導、'45.8革命の勝利を導く。'45.9ヴェトナム民主共和国独立を宣言。'45-'54抗仏救国の長期戦線を指導。この間、'51ヴェトナム労働党結成と共に党中央委員会主席に就任。'54ジュネーヴ休戦協定後は北部の社会主義建設と祖国再統一の闘争を指導、特に'65-'68アメリカの北爆に抗する人民戦争の先頭に立った。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)

 ベトナム独立の父、ホー小父さんこと、ホー・チ・ミン共産主義国の独裁権力者にも関わらず、賄賂を取らず粛清を行わなかった、私利私欲とは無縁の仏のような人格者。まこと、人間的には非常に魅力的な人だったのでしょうが、いかんせん、そんな人の伝記が面白いわけもなし。地味・知識不足・人名判別困難のトリプルパンチで読了意欲を面白い位に削いでくれやがります。作者が、ベトナム戦争取材経験のあるジャーナリストというのもマイナスポイント。過度のベトナムへの思い入れが鬱陶しいことこの上ありません。ベトナム戦争を直接経験した腐れ左巻き団塊の世代が駆逐されない限り、客観的で読み応えのあるベトナム近現代史というのは望めないのでしょうか。

まるで忘却のぞむように止まる私を誘ってる

 最近お年を召した方と多く話をさせていただいているのですが、実体験というものがどれだけ本質の理解の障害になるのかを痛感させられています。皆様自身が経験したことだけが真実と思い込み、群盲象を撫でるの故事を地で行く事態となっています。確かに実際体験しないと分からない空気というのはありますが、それ以上に体験に呪縛される危険性の方が遥かに大きくはないでしょうか。第三者による客観的評価。歴史学に於いてもこの重要性は変りません。当事者の皆さん色々言い訳したくなる気は良く分かりますが、経験が歴史に昇華されるその日まで大人しく黙っていて下さい。過去にいつまでもしがみ付くなんて隣の半島人みたいな下品な真似は控えましょう。

恋人よ

恋人よ

帰ってきた今日の一行知識

ベトナム戦争アメリカ軍は民主的な軍隊を目指し、情報公開を進めた所為で、大規模な反戦運動を引き起こした
戦争の悲惨さが過度に報道されたのが、モラトリアムな若者達の自己防衛本能に火をつけたようです。何事もやり過ぎは禁物。

*1:グエン・シン・サク。ビンディン省ビン・ケ県副知事。