脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物現代史6 毛沢東〜不世出の巨星』

痛いニュース(ノ∀`) : やくみつる氏、ポケモンGO利用者を「心の底から侮蔑します」 - ライブドアブログ
新しい文化を全く受容できない老害みたいなことは言いたくないんですが、最終便で帰って来た最寄駅で、スマホ片手にたむろする若者の群れを見てしまうとつい賛同してしまいたくもなります。


 トラトラトラ。お見合い一歩前進。問題なのは「あんな誠実な人なら・・・」の謎の好評価。いつまで馬脚を顕さずに演じ通せるでしょうか。


競馬進捗・・・H28収支-19940

SRWOGMD進捗

  • 第43話「冷たい世界(前篇)」フューリーと交戦中。トップエース:カルヴィナ=クーランジュ@ベルゼルート・ブリガンディ。

人物現代史〈9〉毛沢東 (1979年)

人物現代史〈9〉毛沢東 (1979年)

他是人民的大救星

毛沢東 Mao Ze-dong*1
 光緒十八(1893)〜西暦1976年。中国の政治家。中国共産党主席。字:潤之。湖南省湘潭県出身。
 湖南省立第一師範学校に入り、「5・4運動」時期、長沙で活動。1921中国共産党創立大会出席後、各地で労働運動を指導。'23.3全大会で中央委員。「5・30事件」後、湖南の農民運動に着目。'27「湖南農民運動視察報告」を発表。国共分裂すると、湖南・江西で蜂起して、井岡山地区に根拠地を樹立。'28朱徳*2軍と合流、紅軍第4軍を編成し、政治委員となる。以来、江西省を中心に活動し、'31中華ソヴィエト中央政府主席となる。国民党軍の包囲をうけ、'34長征。'35遵義会議で秦邦憲*3らの軍事路線を批判し、指導権を掌握。'35から陝西北部に根拠地を移し、抗日民族統一戦線を提唱し、西安事件後に第2次国共合作を成立させた。日中戦争が始まり、'37~'38「実践論」「矛盾論」「持久戦論」を発表した。'40「新民主主義論」を発表、理論面でも指導的地位を確立、'41整風運動を起こし、'45.7全大会で中央委員会主席に就任。'49「人民民主独裁論」を発表、中華人民共和国を建国し、中央人民政府主席となる。'53過渡期の総路線を提起、社会主義化の道を示し、農業集団化等を推進。'57講演「人民内部の矛盾」で社会主義社会での矛盾の存在を強調。'58人民公社化を含む大躍進政策をとる。その失敗のため'59国家主席劉少奇*4に譲る。大躍進政策の調整過程で、ソ連社会主義のコースをとる劉少奇らに対し、'63農村社会主義教育運動、また'66文化大革命を提起。'69.9全大会で実権派劉少奇訒小平*5らを排除し、毛・林彪*6体制ををうち立てる。'71林彪の反逆をおさえ、党中央委員会主席・中央軍事委員会主席(〜'76)。没後、文革をはじめとする毛沢東の指導への批判が顕在化し、'81党11期6中全大会でその「誤り」が公式に承認された。(『コンサイス外国人名事典 第3版』より引用)


 読破完了したとばかり思っていた人物現代史シリーズに抜けがあったのを発見したので数年ぶりに補完。取り上げられているのは、我らが毛沢東主席。「偉人」の伝記にありがちな個人崇拝のヨイショを廃して、中華人民共和国成立におけるソ連の影響力というテーマに絞って書ききっています。著者が進歩的文化人であるからして、毛主席への崇拝と同情は隠しがたいのですが、大躍進政策文化大革命の大惨事がボロボロ表沙汰になっている時期の本という事もあって、客観的事実で断罪せねばならないジャーナリストの本能と今更現実に戻れない左巻きの空想との相克に悩まされている姿が何とも微笑ましい一冊です。そんな斜めに穿った読み方しなくても中共成立史としてはよくまとまっているので入門書にどうぞ。

領導我們向前進

 スターリン・ポル=ポトと並ぶ近代世界三大虐殺者の一人毛沢東。赤いベールに包まれてその本性が詳らかになって無かったとはいえ、よくもまあ昔の進歩的文化人様はこんな大魔王どもを崇拝できたものです。そんなことやってるから、日本で反知性主義がはびこるんだ。グレートジャパンアゲインを掲げるなら、真のインテリの復権こそが唯一の王道と信じます。

東方紅(大型革命歌劇サウンドトラック)

東方紅(大型革命歌劇サウンドトラック)

帰って来た今日の一行知識

毛沢東の提唱で「害鳥」のスズメを駆除した結果数千万人が餓死した
害虫を食べる益鳥としての側面を無視した所為。しかもそもそもの駆除の動機が昼夜逆転生活の毛沢東が朝雀の鳴き声で眠れないからという身勝手なもの。流石人類史上最凶の虐殺者のやることは違いますね。

*1:二声 二声-一声

*2:第2代全人代常務委員長。字は玉階。四川省儀隴県の人。南昌蜂起を指導し毛沢東と合流。八路軍のち人民解放軍総司令官として、日中戦争及び国共内戦の勝利に貢献。中共建国後はNo2として毛沢東を支え続けた。

*3:博古。新華社責任者。28人のポリシェヴィキを名乗り、一時は中国共産党を主導。毛沢東に奪権されて後は、ジャーナリストとして活躍するも、志半ばで事故死。

*4:中華人民共和国第2代国家主席湖南省寧郷県の人。中国共産党に初期から参画し、理論的実務的リーダーを務めた。大躍進政策の失敗後、毛沢東の後を襲うも、文化大革命により失脚、非業の死を遂げた。

*5:国家中央軍事委員会初代主席。四川省広安県の人。フランス留学中に中国共産党に参加し、日中戦争国共内戦を通じて累進。大躍進政策の失敗を期に実権派のNo2として台頭するも文化大革命で失脚。周恩来の工作により復権するも第一次天安門事件で再び失脚。毛沢東死後再度復権し、独裁体制を確立。改革開放路線を推進した。

*6:周恩来内閣常務副総理。湖北省黄安県の人。南昌暴動に参加し、日中戦争国共内戦を通じて累進。毛沢東の重遇により、彭徳懐の失脚に伴い国防長官に就任。『毛主席語録』の編纂により文化大革命の端緒を作り、劉少奇の後継者に擬せられるも、林彪事件により横死。