脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

憂鬱と役不足と最強の戦国大名について

http://www.hiroburo.com/archives/50674831.html
可愛いは正義!


 無理したつけが翌日ではなく二日後に祟るようになってきました。もう若くねーな。

見ヨ龍神天翔ケテ逆・鱗・必・殺!稲妻ヲ呼ブ!

憂鬱+書道

備忘録 - 脱積読宣言

憂鬱
 心配事があって気が塞いでいること。憂結。(『大漢語林』より引用)

書道
 毛筆を用いて文字を巧みに書く技芸。書法・入木道とも。初めは中国の書風、特に王羲之*1の書法が模範とされた。書跡は木簡・写経・写本などに残る。やがて平仮名(女手)が発達。藤原行成*2により日本的な書風、和様が完成。その後は行成の世尊寺流をはじめ諸流が栄えた。江戸時代には寺子屋(手習塾)が発達して御家流が普及。明治以後は中国の碑文に学ぶものなど諸家が輩出、学校教育にも取り入れられ、書き方・習字・書写と呼ばれた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 憂鬱の字は「憂」はちょっと油断すれば馬鹿に縦に伸びて全体の調和を台無しにするは、「鬱」は「鬱」でべったり潰れてしまうわと非常に書きづらい嫌な字です。それでいて、憂国出世こそが至上命題の漢詩においては当然のごとく、「憂」の字は頻出。何度この字をしくって数十分の苦労を無駄にしたか思い出したくもありません。
 そして、書道家の端くれとして、最近感じる憂鬱は、仕事が忙しく全然筆を握れてないこと………ではなく、ほぼ白紙の履歴書に少しでも箔を付けようと書いてしまった、「特技:書道」の一言の所為で、表書き担当にされてしまっていることです。筆ペン苦手なのに・・・賞状習字でも習いに行こうかしらん。

役不足

エマの脱走 - 脱積読宣言

役不足
1俳優などが、自分に割り当てられた役に対して不満を抱くこと。
2その人の力量に比べて、役目が軽すぎること。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 汚名挽回と並ぶ「正しくない日本語」の二大巨頭の一角。本当は全然間違った用法でないのも同じ。以下詳述。

 役不足とは本来上記の辞書的説明の通り、仕事が簡単すぎてやる気実力が出せない状況のこと。三国志で言う所の龐統の「十里の才に非ず」ってやつです。それが、いつの間にか、「私では役不足です」という謙遜の辞に頻用されるようになってしまった。なので、この謙遜の用法を駆逐しようと現在糾弾が行われている。というのが現状です。
 ここまでは何の問題も無いのですが、不味いのはその性急且つ不定見な排除方法。「役不足」の代替語に「役者不足」という洗練も周知もされてないみっともない言葉を持ってきたり、「(自分に挑んできた相手に向かって)お前じゃあ役不足だ。他と代われ」という正しい用法すら誤用認定されたりと、角を矯めて牛を殺すを地で行っています。
 汚名挽回とは違い、間違っているのは間違っていないのですが、もう少し丁寧に批判するべきでしょう。脊髄反射で揚げ足取ってると馬鹿がばれますよ。

問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?

問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?

最強の戦国大名

嵐の中で輝いて - 脱積読宣言

戦国大名
 応仁の乱以後の戦国争乱の中で国ないし郡規模の領域を分国(領国)として支配した地域政権の主催者。細川政元*3の将軍廃立(明応の政変)や北条早雲*4の伊豆侵攻が戦国大名登場を象徴する事件である。戦国大名の系譜を見ると、出自は守護(武田・今川・六角・大内・大友・島津)、守護代(上杉・尼子・朝倉・三好)、国人(伊達・松平・織田・浅井・毛利・長宗我部)、及びそれらの家臣(後北条・斎藤)と多様である。下剋上の世を反映して守護から生き残った割合は少なく、守護家出身でも家督争いや国人との戦争を経て支配権を掌握したものが多く、戦争の中から形成されてきたのが戦国大名である。彼等は、室町幕府から諸国の守護職を命じられた室町時代と異なり、「自分の力量を以って国の法度を申付け」国を治めている(今川仮名目録追加)という意識を持っていた。
 登場の背景には、広範に成立してきた加地子の収取権を集積した百姓が侍身分を自称し(地侍)、旧来の身分秩序を崩し、また幕府・守護の支配権が衰えて領主階級の土地所有秩序が崩れ、他領への侵略が横行していた社会状況があり、戦争を戦い抜く中で敵の所領を没収し、味方の武士に所領の宛行・安堵をすることで土地支配権を掌握し家臣団を形成していった。地侍は加地子得分や新恩を給与して積極的に家臣に取立て、彼等を寄子とし、一門・譜代などの重臣を寄親としてその指揮下に置く寄親・寄子制をとって機動的な軍事編成を行った。家臣の所領は貫高で統一的に把握し、それに比例して軍役をかけた。貫高を確定するために検地(指出検地)を行い、それに基づいて百姓の年貢高も定めるという貫高支配制を行った。検地により、加地子を把握して膨脹する家臣団を維持する経済的基盤とするなど、年貢増徴・農民支配強化・兵と農の身分編成を実現し、更に家臣の要求に応えて領土拡張戦を継続するとともに、領国と領民を侵略から守り、経済活動を保障する政策や法による支配を打出して公権力としての正当性を獲得した。城下町建設・田畠開発・鉱山開発などはそうした政策の一環であり、そうして権力基盤を拡大した大名は、領民を職能に応じて身分編成し、役(兵は軍役、百姓(農)は百姓役、商人は商人役、職人は細工役)を負担させるという、身分と役負担の体系を作り出した。これらの政策は豊臣政権の政策に影響を与えた。(『岩波日本史辞典』より引用)

最強
 一番強いこと。(『広辞苑 第五版』より引用)


 伊達・南部・佐竹・後北条・今川・武田・徳川・長宗我部・大友・龍造寺・島津。戦国を彩ったあまたの大名。戦国大名オブ戦国大名ズは誰だ!荒れるの必至の最強議論の始まり始まり〜。

 まず最初はこの人。「信長の野望」世代はこの人外せないでしょう。和製呂布上杉謙信。戦闘100は本家に勝るとも劣らない、いや関張のいない分それ以上の反則気味の無敵ぶり。何度倍以上の大軍団を彼一人の突撃で蹴散らされたことか。正直チートです。史実でもその戦闘狂ぶりは一切色褪せず、東で関東管領の大儀を掲げ、関東の覇王後北条に挑んでいたかと思えば、西では不倶戴天の怨敵本願寺一向一揆との大殲滅戦。人生の半分を戦場で過ごしたというのも誇大広告ではなさそうです。

 広島人としてはこの人を挙げないわけにはいかないでしょう。智謀の鬼毛利元就。わずか山城一つから、大内尼子の二大勢力を撃破。中国十数カ国を統べる超大大名へ。一人で切り取った国数ではこの人に敵う戦国大名はいない*5でしょう。その巨大さは本家吉川小早川の三家に分かたれても、それぞれがトップクラスの大大名であったほど。返す返すも隆元の早世と輝元の凡庸が惜しまれます。

 「戦国大名」の定義からは少し外れますが、個人技最強だったら間違いなくこの人。剣豪将軍足利義輝塚原卜伝直伝の一刀流免許皆伝は伊達じゃない。その最期も、松永久秀二条御所を襲撃されるも、足利累代の名刀を全て惜しげもなく足元に突き立て、刃こぼれのする度とっかえひっかえ、雲霞の如く群がる雑兵をあたるが幸い切り捨てた後戦死。という日本史死に様ランキング上位確定のかっこ良さ。足利将軍はみんな個性的だから大好きです。


 ここまで、諸々挙げてきましたが、やはり最強といえばこの人しかないでしょう。第六天魔王織田信長戦国大名と既成概念を全て破壊し、中世を終わらせた魔人。やはり、世の中なんでもトップを目指すなら、その枠組み自体を壊さないといけないんですね。教訓になります。

怒ル天河乃轟キガ如何ナ敵モ倒ス「力」ト成ラン!

 最強の戦国大名といえば、世間では武田信玄が頻出ですが、個人的にはその意見には賛同しかねます。今川上杉に加え、いくらかの織田信長を憂鬱に陥れたとは言え、結局は何もできないまま敗れているのが現実。北条に囲まれていたとはいえ、その支配国数は甲斐信濃駿河のわずか三カ国。最強を名乗るにはちょっと役不足、間違えた力不足ではないでしょうか。それもこれも三方が原の敗戦がトラウマの徳川家康による誇大広告の賜物です。実力の伴わない過剰宣伝で作られた虚像ほどみっともないものはありません。わかってますか?書道家武田双雲さん。

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帰ってきた今日の一行知識

毛利の両川は死ぬ程仲が悪かった。
だから「三本の矢の教え」なんて言わずもがなの教訓垂れる必要があったんすね。嗚呼仲良きことは美しきかな。
 

*1:琅邪臨沂の人。字は逸少。会稽内史。父曠。子に献之。通称「王右軍」「書聖」。行書体を完成させ、のちの書道家すべての源流となる。代表作:「蘭亭序」「喪乱帖」「集王聖教序」他。

*2:権大納言。正二位。父義孝、母源保光女。三蹟が一。一条朝四納言が一。道長の側近として摂関全盛を支える。書道家としても和様を完成させ、世尊寺流の祖となる。代表作:『権記』(日記)、「白氏詩巻」「本能寺切」(書作)他。

*3:管領右京大夫。父勝元、母山名熙貴女。通称:「半将軍」。明応の政変により細川京兆家の全盛時代を現出するも、後継指名に失敗。その家督争いに巻き込まれ、永正の錯乱にて暗殺。

*4:伊勢盛時。伊豆・相模の戦国大名。父伊勢盛定、母伊勢貞国女、養父伊勢貞道。今川家の家督争いの調停により、地歩を築き、長享の乱による関東の動乱に乗じて、伊豆・相模を平定し、戦国時代の端緒をつける。

*5:織田信長豊臣秀吉他近世大名を除く