脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『応仁の乱』

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51288062.html?1234
よく言った。レッサーパンダの方が安くて可愛いぞ。


 実家帰省中、喰っちゃ寝で5キロ太りました。

応仁の乱 (岩波新書 青版 873)

応仁の乱 (岩波新書 青版 873)

Uターン禁止のONE WAY STREET

応仁・文明の乱
 1467-'77にかけ展開した内乱。室町幕府の全国支配を崩壊させた。嘉吉の変後、交互に管領となった細川勝元*1畠山持国*2は幼い将軍に代わり幕政を主導したが、互いに激しく対立。’54細川勝元は岳父の山名持豊(宗全)*3と結んで畠山氏の内乱に介入、畠山氏は持国の実子義就*4方と勝元の与党義富*5・政長*6兄弟方とに分裂した。'59斯波義敏*7堀越公方足利政知*8援助の出陣命令に背いて失脚、'61政知の重臣渋川義鏡*9の子義廉*10が斯波氏を嗣いだが、義鏡が失脚した為将軍足利義政*11の側近である政所執事伊勢貞親*12・蔭涼軒主季瓊真蘂*13は義敏の復権を策した。義廉と親しい山名宗全は貞親らの背後に勝元ありと判断、貞親及び畠山政長を陥れて反撃しようとし、畠山義就と提携した。この提携は日野富子*14足利義尚*15を産む以前に成立していた(『応仁記』の説明とは逆)。貞親は義政が弟の義視*16を継嗣としたことに反発し、’65富子が義尚を産むとその乳人となって義視排斥を企図した。’66.8貞親らは義敏の家督回復を発令させたが、宗全らに義視暗殺計画を糾弾されて’66.9.6失脚(文正の政変)。宗全らはこの間に畠山義就を挙兵させて年末に京都に招き、'67.1義廉が畠山政長管領職を、義就が畠山氏の家督をそれぞれ奪い、'67.1.18上御霊社に布陣した政長を破った(上御霊の戦い)。これを見て勝元も戦争を決意、'67.5.26大乱の火蓋が切られた。室町御所に拠る細川方を東軍、御所西方の宗全邸に拠る山名方を西軍と呼ぶ。京都市街は秋までに灰燼に帰し、'68勝元は義廉に対抗して東軍の管領となり、足利義視は貞親の復権を嫌って西軍に移り将軍格となる。東西両軍は東幕府・西幕府の形を取り、互いに敵方の領国の撹乱を図るが戦局は膠着した。'73勝元・宗全が死ぬと宗全の外孫政元*17細川氏を継いで細川・山名は講和するが諸将は戦闘を続行した。'73義尚が将軍職を継ぐと日野富子が義尚を補佐し、'76大内政弘*18足利義視と和睦交渉を進め、’77.11.11西幕府は解散した。乱後、守護大名の在京原則が崩れて幕府の軍事力は著しく縮小、幕府は所領紛争の解決能力を失う。寺社・公家も甚大な被害を受けた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 名前だけは有名でも実態となるとなかなか知ってる人の少ない応仁の乱の解説本。岩波らしく人民だ階級だの単語が頻出で実に味のある一冊です。応仁の乱前後の状況を国人層の台頭ので全てを説明しようとしている感がうかがわれ、多少牽強付会の気もします。社会背景としての国人層の勃興がクローズアップされすぎて、肝心の応仁の乱にいたる政治動向が軽視されているのではないでしょうか。とりあえず全般的に説明不足なので予習してから読まないと痛い目見ます。

走り続けろ地獄で笑う女神と踊れ!

 応仁の乱が終わると一気に戦国動乱の時代まで約100年間が丸々すっ飛ばされて語られることの多い室町後期ですが、この時代は実はドロドロぐちゃぐちゃの政治陰謀劇の宝庫で、お好きな人にはたまらない時代となっています。未だ研究や物語化の蓄積の十分になされてないこの時代、誰かこの鉱脈をほっくり返してくれませんか?手垢のつきまくった戦国や幕末なんかよりよっぽどいい素材だと思いますよ。

疾風になれ

疾風になれ

*1:摂津守護。右京大夫。父持之。応仁の乱東軍大将。

*2:河内守護。左衛門督。父満家。嘉吉の変に乗じて勢力伸長に成功するも後継指名に失敗し、分裂を招く。

*3:侍所頭人。右衛門督。父時熙、母山名師義女。応仁の乱西軍大将。

*4:伊予守。父持国。旧名:義夏。畠山氏家督を巡り政長と対立。応仁の乱の長期化の元凶。

*5:父持富、養父畠山持国。通称:弥三郎。子の無い持国に後継指名を受けるも後持国に実子が誕生したため、家督紛争が勃発。渦中で病死。

*6:山城守護。尾張守。父持富。守護領国制の導入を強行、山城国一揆を誘発。明応の政変で横死。

*7:越前守護。左兵衛督。父持種、養父斯波義健。家臣団の内訌を抑えきれず名門斯波氏の没落を招く。

*8:初代堀越公方。左兵衛督。父義教、母少弁殿。鎌倉公方として下向するも、現地の抵抗に遭い入国叶わず、堀越に独立政権を建て、関東を牽制。

*9:関東探題。足利政知随行して武蔵国に下向。

*10:尾張守護。左兵衛佐。母山名氏、養父斯波義健。応仁の乱で西軍に属すも領国越前・尾張ををそれぞれ守護代の朝倉・織田両氏に奪われ失脚。

*11:室町第8代将軍。左大臣。父義教、母日野重子。妻に日野富子。旧名:義成。銀閣寺を創建。応仁の乱を惹起。

*12:政所執事。伊勢守。父貞国、母蜷川親俊女。分一徳政制を発明し幕府財政の建て直しに成功。

*13:俗姓:上月。叔英宗播に師事。日記に『蔭涼軒日録』。義教期以降幕政を牛耳るも文正の政変で失脚。

*14:足利義政正室。父重政、母北小路禅尼。応仁の乱で義政が政治に意欲を失うと替わって幕政を主導。

*15:義煕。室町第9代将軍。内大臣。父義政、母日野富。子。通称:「緑髪将軍」。幕府権力回復に燃えるも六角征伐に苦戦し在陣中に夭折。

*16:権大納言。父義教、母日野重子、養父足利義政。子に義稙。法名:義尋・道存。応仁の乱後大御所として日野富子と対抗。

*17:管領右京大夫。父勝元、母山名煕貴女。通称:「半将軍」。明応の政変で幕政を牛耳るも永正の錯乱にて暗殺。

*18:周防守護。左京大夫。父教弘、母山名煕貴女。雪舟ら文化人の保護に尽力。文化の都山口の基礎を築く。