脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

大竹危険球と日ハムと日本書道について

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51076001.html
これは心の底から願いたいです。個人的に七英雄四魔貴族はゲーム史上最高の敵役でした。嗚呼、少年の日の思い出よもう一度。


 あーつーいー。

若さみなぎる情熱は かわした瞳にあふれてる

大竹危険球

Cry for the Earth - 脱積読宣言

大竹寛
1983.5.21生まれ。埼玉県出身。183㎝85㎏。投手。右投右打。背番号17。
浦和学院高校(1999-2001)→広島東洋カープ(‘02〜)
通算成績:試合104完投3勝利23敗北31セーブ17勝率.426投球回数408.2三振367自責点221防御率4.87
‘06成績:試合30完投2勝利6敗北13勝率.316投球回数157三振110自責点86防御率4.93

危険球
 投手の投球が打者の顔面 、頭部、ヘルメット等に直接当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は試合から除かれる。頭部に直接当たった場合でも、審判員がその投球を危険球とまではいえないと判断したときは、警告を発し、その後どの投手であろうと再び頭部に当たる投球を行ったときは退場とする。危険球とは、打者の選手生命に影響を与える、と審判員が判断したものをいう。(「日本プロ野球機構アグリーメント」第39条より引用)

 この日の試合のことですね。大竹のすっぽ抜けのストレートがバントの構えの二岡のバットに当たってのど仏を直撃、悶絶退場。二岡ご愁傷さま。で終わりの場面でしたが、球審は非常の大竹危険球退場宣告。結果的に二岡撃沈とは言え、明らかな自打球*1での負傷でこのジャッジはこれぞジャンパイアと言うべきものでしょう。しかし、結果は完全な逆効果。いつ捕まるか冷や冷やもんの「悪い日」の大竹から磐石を誇る中継ぎ陣にチェンジで防御は完璧。打線も当然の如くこの一件で奮起して見事なサヨナラ。藪をつついて蛇を出すの典型のような勧善懲悪物語でしたとさ。なお翌日のサンデーモーニングでのねちねちぐちぐちとしたこの事件のリプレイは見物でした。だからアンチ巨人はやめられない。
 
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日ハム

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宮島さんの神主がおみくじひいて申すには - 脱積読宣言

日本ハムファイターズ
 日本ハム球団株式会社。パシフィック・リーグの一つ。戦前のチームの一つであるセネターが、1947東京急行電鉄に買収され球団名を東急と改めた。’48大映と合併して急映フライヤーズ、’49大映と分かれ東急フライヤーズとなる。’54東映となり、’62初優勝、日本選手権も獲得する。’73売りに出た東映を不動産会社日拓ホームが引き取り、球団名も日拓ホームフライヤーズとなる。’74日本ハムファイターズと改名し、’81優勝、上位チームを維持している。ニックネームのファイターズは、一般公募の中から「ファイトで新たなスタート」ということで決められた。(『球技用語事典』より引用)

 広島に生を受けた時点で、カープファンになる以外の選択肢を持たなかった私ですが、数年前カープの弱さに嫌気が射したパリーグにも興味を持った際、ファンになろうと決めたのがこのチームでした。日本ハム=西崎で止まってしまっていた私が何故このチームを選んだかと言うと、折りしも本拠地北海道移動と新庄移籍が決まり、勢いがあってそこそこ弱いチームだったのが、決め手でした。それがまさか日本一にまでなってしまうとは、新庄の生まれ持った「星」は小泉前首相にも比肩するもののようです。
 スターと主軸と中継ぎエースが去り、今年は開店休業かと思いきや、絶望的な貧打こそ隠せないものも、エースダルビッシュと抑えの切り札MICHEALを中心とした磐石の投手陣で首位を快走中。往年のカープ黄金時代を思い起こさせます。嗚呼、早くカープ日本ハムみたいな大復活してくれないかなー。

北海道日本ハムファイターズ・ヒルマン監督セレクション

北海道日本ハムファイターズ・ヒルマン監督セレクション

書道+日本

備忘録 - 脱積読宣言

書道
 毛筆を用いて文字を巧みに書く技芸。書法・入木道とも。初めは中国の書風、特に王羲之*2の書法が模範とされた。書跡は木簡・写経・写本などに残る。やがて平仮名(女手)が発達。藤原行成*3により日本的な書風、和様が完成。その後は行成の世尊寺流をはじめ諸流が栄えた。江戸時代には寺子屋(手習塾)が発達して御家流が普及。明治以後は中国の碑文に学ぶものなど諸家が輩出、学校教育にも取り入れられ、書き方・習字・書写と呼ばれた。(『岩波日本史辞典』より引用)

日本
我が国の国名。我が国の国名として、現在「ニッポン」か「ニホン」かを定めてはいないが、教科書では「ニッポン」としている。(『大漢語林』より引用)

 王仁が漢字を伝えたのに端を発する日本書道。本家中国の圧倒的支配を脱し、独自の道を完成させたのは意外と遅く、摂関時代の藤原行成まで下ります。有名な三筆は所詮各人の個性が独自性を持っていたに過ぎず、中国の書風の追随に過ぎない、というのが個人的な見解です。
 さて行成が完成し、後世世尊寺流と呼ばれることとなった、和風書道の本流は、飽くまで公家の必須教養にとどまりました。結果。鎌倉室町期には武家で流行した禅宗様が猛威をふるい、形式形骸化を極めます。江戸時代に入り、寺子屋の教育を通じ庶民も書道を学び始めますが、儒教の支配化で漢字書道は唐風一辺倒、辛うじて仮名書きでオリジナルを保ちますが今一元気はありません。明治に入ると、日本に亡命してきた楊守敬らの影響で古典回帰の機運が盛り上がり、和風漢字書道は殆どかえり見られなくなってしまいました。
 そして、現代。年功序列を極める日展が漢字で本場中国に対抗できるわけもなく。相田みつを風の調和体や石川九楊を旗手とする前衛書道が鼻息荒く独自性を主張していますが、正直どちらもイロモノの域をでていません。つくづく日本はメインカルチャーに弱い民族のようです。

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誰が鳴らすかあの鐘は

 日本の書道界は現在間違いなく袋小路に迷い込んでいます。ワープロの普及で底辺の減少は最早歯止めのしようもなく。頂点は頂点で権威主義の権化のような連中の跳梁を防ぐ術もなく。たまに活きのいい若手が出たと思えば、完全に危険球なイロモノ。書道界も早く日ハムのように実力と華を兼ね備えた若手が台頭してくれますように。
 そんな絶望の海に漕ぎ出した某友人Y君、ダルビッシュまでとは言わないので、せめて大竹位の活躍は期待していいですか?

北海道日本ハムファイターズ公式球団歌「ファイターズ讃歌」

北海道日本ハムファイターズ公式球団歌「ファイターズ讃歌」

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*1:斜め下から跳ね上がる明らかな跳弾での直撃。こんなホップするストレート投げれるなら、もっと活躍しとるわい。ってのがカープファンの本音だったでしょう。

*2:琅邪臨沂の人。字は逸少。会稽内史。父曠。子に献之。通称「王右軍」「書聖」。代表作:「蘭亭序」「喪乱帖」「集王聖教序」他

*3:権大納言。正二位。父義孝、母源保光女。三蹟が一。一条朝四納言が一。代表作:『権記』(日記)、「白氏詩巻」「本能寺切」(書作)他。