脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

ニンジャ!摩天楼キッズ

[三題噺]カープ2006年度契約更改と御巣鷹山真田十勇士について

http://2tunes.blog42.fc2.com/blog-entry-54.html
我が身一つですらしょっちゅう電柱や壁に肩ぶつける空間把握能力皆無の人間に免許渡す方が悪い(逆ギレ)


 先週末に帰省。高校時代は毎日のように登った山を久々に訪れ、息も絶え絶えの満身創痍で登頂成功。体力落ちたというか老けたなぁ俺。


SRWZ進捗

リアルな社会はじき出されて妖怪になったシュールなやつら

カープ+契約更改+2006

crosswise pt2 - 脱積読宣言
MEDICAL BODY - 脱積読宣言
更新サボリ - 脱積読宣言
縮小更新 - 脱積読宣言
2006-11-03 - 脱積読宣言

広島東洋カープ
 NPBセントラル・リーグの球団。広島県を保護地域とし、広島県広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。
 親会社を持たない(マツダカープと関連してはいるが会社としての球団への経営参加はしていない)市民球団として結成されたという、他の球団と比較して特異の歴史を有する。現在は松田家による同族経営となっている。(wikipediaより引用修整)

契約更改
 プロスポーツ選手のチームや企業などとの所属契約が一定期間経過して切れる時に、改めて所属先と契約を交わすこと。一般にプロ野球に関して用いられる言葉である。(wikipediaより引用修整)

広島東洋カープ 2005-2006永久保存版

広島東洋カープ 2005-2006永久保存版

御巣鷹山

WINGS - 脱積読宣言

御巣鷹山
 高度1639m。群馬県多野郡上野村神流川源流にあり、1985日本航空123便が南南東の尾根に墜落、524人が犠牲となった。墜落地点は御巣鷹の尾根の急峻斜面、追悼の為の登山道が作られた。(『日本山名事典』より引用)

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)

真田十勇士

HOLY BLOOD - 脱積読宣言

真田十勇士
 安土桃山時代の武将真田幸村*1に仕えて武勇を顕したという10人の勇士の総称。猿飛佐助*2霧隠才蔵*3三好清海入道*4三好伊三入道*5穴山小介*6海野六郎*7筧十蔵*8根津甚八*9望月六郎*10由利鎌之助*11の10人。この内、由利鎌之助・三好青海入道・根津甚八などの名は、『真田三代記』や「大坂夏陣図」などにも見受けるが、「真田十勇士」としての武勇伝の数々は全て「立川文庫」による創作である。1914その第四〇編として刊行された『猿飛佐助』の爆発的人気が、「真田十勇士」の原型を生んだ。それまでの講談にないスケールの大きさと、奇想天外な面白さで読物としての楽しさを満喫させ、実際の講釈師の芸にまで影響を与えたことは注目に値する。(『日本史大事典』より引用)

風雲急なり大阪城 真田十勇士総進軍 [DVD] STD-111

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ホラーの極みは人間かもね

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帰ってきた今日の一行知識

日本航空123便が墜落したのは高天原山の尾根
間違えて御巣鷹山と報道されて気付いたのがすっかり定着しただった為にわざわざ墜落地点を「御巣鷹の尾根」と命名して辻褄合わせたとのこと。今更ゆうことでもないですが、地名ってのは適当にきめられてるモンなんですね。

*1:真田家家臣。左衛門佐。父昌幸、母山手殿。旧名:信繁。秀吉の寵愛を受け、関ヶ原の合戦では父と共に西軍で参戦。敗戦後は高野山でに蟄居を余儀なくされるも、大坂の役で豊臣方にて参戦。冬の陣での武功により、夏の陣では軍師格の待遇を受けるも時すで遅く、奮戦空しく家康の本陣を目の前に戦死。

*2:真田家家臣。父鷲尾佐太夫。戸澤白雲斎に師事し、甲賀流の忍術を極め、「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。

*3:百地三太夫に師事し、伊賀流忍術を極め、「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。

*4:政康。三好家家臣。父政長。「三好三人衆」の一人として永禄の変などを起こし、室町幕府最末期の近畿の覇権を握るも信長に破れ失脚。信長死後は秀吉に仕え、大坂の役まで忠節を尽くす。その活躍により後世「真田十勇士」の一人に擬せられる。

*5:政勝。三好家家臣。父政長。三好氏の一族衆として活躍するも、信長入京後は早くから彼に臣従し、信長死後は家康家臣に転身、天寿を全うした。後世「真田十勇士」の一人に擬せられる。

*6:真田家家臣。父信光。「真田十勇士」の一人として数々の武功を立て、大坂夏の陣で幸村の影武者として戦死。

*7:利一。真田家家臣。父輝幸。「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。

*8:真田家家臣。父虎秀。火縄銃の名手で、「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。

*9:真田家家臣。貞盛。その正体は浅井井頼とも。「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。

*10:真田家家臣。爆弾製造の名手で、「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。

*11:基幸。真田家家臣。真田氏宿敵として何度も昌幸父子を干戈を交えるも、後臣従し「真田十勇士」の一人として数々の武功を立てる。