脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『太平記 一』

ぺぺねた。 さくらパパ 「赤城大臣のような事務所経費の問題は、民主党も多分やっていると思います」
痛いニュース(ノ∀`) : 丸川候補中傷で炎上した民主党議員秘書の石田日記が復活。「お詫び…なーーーんてね!そんなこと書くわけないじゃんw」 - ライブドアブログ
選挙も終わって、僕らの民主が帰ってきた。


 自民が歴史的惨敗を喰らった今回の参院選。不死鳥の如く蘇りかけてた旧自民の亡霊退治にはちょうどいいのですが、その結果民主が爆勝してしまったのが気がかりです。安倍にはさっさとおとなしく退陣してもらって、次の総理には抵抗勢力や民主などの売国勢力の駆逐に着手してもらわねばなりません。その為にも麻生タン早く挙兵してくださいまし。

日本古典文学大系〈第34〉太平記 1

日本古典文学大系〈第34〉太平記 1

暗闇から聞こえる君の声の中に たったひとつ見つけた真実

太平記
 南北朝の動乱を描いた歴史文学。全40巻。南北朝期に書き継がれ、遅くとも室町初期には成立。その段階的成立は、内容の段落にも対応し、第1部(巻1〜11)は後醍醐天皇*1の即位(1318)から鎌倉滅亡まで、第2部(巻12〜21)は、建武政権の崩壊から後醍醐天皇の死まで、第3部(巻23〜40)は、観応の擾乱から足利義満*2の登場(’67)まで(現存は巻22を欠く)。後醍醐天皇の一代記として作られた物語が、足利政権下で改訂・増補され、武家政権の確立史の性格を強めていったと思われる。作者には小島法師*3や恵鎮*4など多数が考えられており、本書を批判した『難太平記』など、文学・芸能史は勿論、後世の歴史認識に多大な影響を与えた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 『平家物語』ならまだ話も広がりもするが、『太平記』と言ったって「名前は知ってるけど・・・」って反応の返ってきがちな、微妙な知名度の本作。個人的には抹香くさい平家より、文章も洗練されてる太平記の方が好きなのですが、あまり賛同してもらえた試しがありません。江戸・戦中期にいらん手垢がつき過ぎてしまっているのが敗因でしょうか。膨大な登場人物がそれぞれの武勲を誇る羅列式の展開で統一したストーリーラインを見出しがたいのは確かですが、その分一話ずつをバラバラに少しずつ読むには最適です。平安時代の惰弱で文法もメタメタな作品を教科書にするより、わかりやすく読みやすいこの時代の戦記モノこそが古典の王道だと思うのですが、世の国語教師の皆さんはいかがお考えでしょうか。

きっと届いてるだろう 時空の彼方で 君を呼んでる奴の叫びは

 七生報国のスローガンや道徳教科書必須科目の「楠木正成・正行親子涙の別れ」の所為で、戦後は本気で冷遇されまくってる『太平記』もそろそろ再評価してもいいんでないでしょうか。『太平記』完無視の弊害は、南北朝及び室町時代知名度の極度の低下という形で現れています。歴史観源平合戦のあと戦国時代に直結してしまう若者のなんと多いことでしょうか。歴史教育の健全化を謳うなら、近現代史の瑣末な歴史認識の違いに拘泥するのではなく、『太平記』の復権をこそ成し遂げてほしいものです。以上元南北朝史専攻の国史学生の愚痴でした。

RISING FORCE

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*1:第96代天皇。諱は尊治。父後宇多帝、母談天門院。建武の親政。代表作:『建武年中行事』他。

*2:室町3代将軍。太政大臣。父義詮、母紀良子。金閣を創建。南北朝を統一。

*3:熊野修験道の山伏か。児島高徳と同一人物説あり。

*4:円観。法勝寺住持。円頓戒を修了。元弘の変に参加。