脱積読宣言

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『関ヶ原合戦〜戦国のいちばん長い日』

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カッケー!相撲カッケー!!


師走です。先生と呼ばれるほどの馬鹿大層な身分ではないはずなのに何でこんなに急がしいんでしょうか。

関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日 (中公新書 (642))

関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日 (中公新書 (642))

僕らは行く 最後の戦場へ 手を取り合い 誓い合って

関ヶ原の戦い
 慶長五(1600)年九月十五日徳川家康*1率いる東軍(9万)と石田三成*2率いる西軍(8万)との美濃関ヶ原での合戦。天下分け目の戦とも呼ばれる。豊臣秀吉*3の死後、豊臣政権の中にあって大きな力を持つようになった家康を政権から排除する為、石田三成らが毛利輝元*4を大将に担ぎ挙兵。この時、家康は上洛要求を拒んだ上杉景勝*5を攻める為諸大名を動員し下野小山に在陣。西軍挙兵の報を聞いた家康は、軍を返し福島正則*6浅野幸長*7黒田長政*8らを先発させ、自らは9.1に江戸を発ち14美濃赤坂に着陣。翌朝始まった戦闘は西軍にいた小早川秀秋の寝返りを機に東軍優位に展開し、同日昼過ぎ東軍勝利に終わった。西軍の将三成・小西行長*9らは捕らえられ10.1に京都で処刑。戦いの後、家康は大津城に入り、ついでに9.27に大坂城に入った。この戦いの結果、天下は家康のものとなり、その地位は揺るぎないものになった。(『岩波日本史辞典』より引用)

 両軍あわせて十五万。用いられた鉄砲実に数万丁。ヨーロッパにおいてはクリミア戦争まで実現されなかった大規模近代戦闘。権謀術数渦巻く日本史上最大の合戦を見逃すな。

 文章は可もなく不可もなく程度ですが、題材そのものが面白いので二重丸です。歴史系新書の常で説明不足は否めませんので、予習は忘れずに。
 というわけで、関ヶ原の合戦の推移を以下記述。備忘録程度なので、不親切間違いはご勘弁あれ。


 前史はすっとばして合戦当日。長久手の戦いで野戦日本一を自称するようになった家康によって、関ヶ原におびき出された西軍。しかし鶴翼の陣にて待ち受ける西軍優位は動かず。東軍は事前の調略の成功に全てを賭ける。
 合戦の火蓋を切ったのは東軍。事前に先鋒を命じられていた福島正則だったがそれをよく思わぬ武将が二人。松平忠吉*10とその後見役井伊直政*11が一番槍は徳川直参が、との信念と野心を胸に朝靄の関ヶ原を進む。しかし、霧に霞む赤備えを目聡く見つけたるは福島軍の名将可児才蔵*12。結果、突如巻き起こる先陣争い。両軍いずれも譲らず扇の要宇喜多秀家*13軍と交戦開始。
 こうして始まった大戦のマッチアップは以下の通り*14。中央部:宇喜多秀家VS福島・井伊・松平の一番槍組、小西行長VS筒井*15・田中*16織田有楽斎*17・古田*18・戸川*19ら有象無象組、大谷吉継*20VS藤堂*21・京極*22左翼:石田隊前衛の蒲生郷舎・島左近*23VS黒田・竹中*24加藤嘉明*25いづれも士気練度に勝る西軍有利。しかし西軍で真面目に戦っていたのは以上の四隊のみ。

 以下サボリ組みの動静。

  • 島津惟新*26・豊久*27・・・左翼石田隊の隣の超激戦区に布陣するも、完全にやる気なし。積極的に動かず、敵味方関係無しに近づく者全てを追い払う武装中立を戦場のど真ん中で実行する強心臓。
  • 毛利秀元*28吉川広家*29安国寺恵瓊*30長宗我部盛親*31・・・右翼南宮山に布陣の大部隊。家康本体の背後を襲える絶好の位置を抑えるも、黒田長政と通じた前衛広家が山の出口を塞ぐ積極的傍観。黒幕恵瓊・総大将代官の秀元・外様最強硬派の盛親らを死兵化させるMVP並みの大活躍。
  • 小早川秀秋*32・・・大谷隊右の中央最右翼の松尾山に布陣。西軍に属するも欠片も信用されず大谷隊を監視役に付けられる体たらく。結果動くに動けずおろおろしてる間に、堪忍袋の緒を切らせた家康が松尾山に最後通告の一斉砲撃泡を食った秀秋は大谷隊の背後に殺到。

 結果、小早川隊の裏切りが張り詰めた合戦の帰趨を決定付ける一撃に。吉継の与力の朽木*33・脇坂*34他四隊も連鎖反応的裏切りを決定し、大谷隊壊滅。吉継は秀秋を呪いながら戦死。一度崩れた戦場のバランスは二度と戻らず西軍瓦解。昼過ぎには東軍の勝利が確定。

今こそ立ち上がれ 運命の戦士よ

 結論。吉川広家はもう少し評価されるべき。西軍総大将たる毛利家の両川が東軍勝利の決定打とはなんという歴史の皮肉でしょうか。

 なんど見ても関ヶ原は燃えます。これに比べれば戦国期の他の合戦なぞ地方予選に過ぎません。紙幅の関係ではしょりましたが、中央の関ヶ原以外にも、沼田での真田親子*35VS徳川秀忠*36軍、東北での上杉VS最上*37VS伊達*38の三つ巴の泥沼領地争い。九州に目を転じれば中央の騒乱のどさくさに九州を制覇し再び戦国の世を招かんとする黒田如水*39と御家再興の最後の望みを託す大友義統*40。それを迎え撃つは西軍に属する島津龍伯*41立花宗茂*42鍋島直茂*43ら九州最強軍団。と時代のフィナーレにふさわしい絢爛豪華な戦国絵巻。是非一度この汲めど尽きせぬ智将猛将の競演をご堪能ください

今日の一行知識

企業が春先から新卒者を内定で囲い込むことを「青田刈り」というのは誤用。
「青田買い」が正解ですね。「青田刈り」は攻城作戦*44の方です。尤も某巨人のように刈ってしまっている企業も多そうですが。皆さんも焦って自分を安売りしないようにしましょう。

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*1:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名松平元康。

*2:五奉行の一。治部少輔。父正継、母岩田氏。幼名佐吉

*3:太閤。関白。父弥右衛門、母大政所。旧名木下藤吉郎羽柴秀吉

*4:五大老が一。権中納言。父隆元、母内藤興盛女(大内義隆養女)

*5:五大老の一。中納言。父長尾政景、母仙桃院、養父謙信。旧名長尾顕景

*6:賤ヶ岳七本槍が一。権中納言。父正信、母豊臣秀吉の叔母。幼名市松。

*7:和歌山藩初代藩主。左京太夫。父長政、母浅野長勝女。

*8:福岡藩初代藩主。筑前守。父孝高、母照福院。

*9:肥後の大名。摂津守。父隆佐、母マグダレーナ。洗礼名アウグスティン。

*10:清洲藩主。左近衛権中将。父徳川家康、母西郷局、養父家忠。家康の四男。関ヶ原の合戦では島津豊久を討ち取る戦功を挙げる

*11:徳川四天王が一。兵部大輔。父直親、母奥平親朝女。「井伊の赤備え」で有名。

*12:吉長。斎藤義龍柴田勝家明智光秀豊臣秀次福島正則前田利家福島正則に仕えた武将。「笹の葉才蔵」「槍の才蔵」の異名を持つ。

*13:五大老が一。中納言。父直家、母円融院。

*14:左が西軍。右が東軍

*15:定次。上野藩主。父順国、母織田秀子。

*16:吉政。柳川藩初代藩主。父重政。旧名長政。洗礼名パルトロメヨ。

*17:長益。利休七哲が一。父信秀。

*18:重勝。松阪藩初代藩主。父重則。

*19:逵安。

*20:敦賀の大名。刑部少輔。父盛治、母東殿。別名吉隆。三成の親友。

*21:高虎。津藩初代藩主。左近衛権少将。父虎高、母多賀盛。

*22:高知。宮津藩初代藩主。父高吉。

*23:清興。筒井氏→石田三成に使えた武将。別名勝猛。「治部少に過ぎたるものの二つあり 島の左近と佐和山の城」の狂歌で有名。

*24:重門。岩出山藩初代藩主。父重治、母安藤守就女。『豊鑑』の作者。

*25:賤ヶ岳七本槍が一。左馬助。父教明、母堀部氏

*26:義弘。島津十七代当主。左近衛権少将。父貴久、母雪窓夫人。旧名忠平・義珍。「鬼義弘」の異名を取る

*27:佐土原領主。父家久、母樺山義久女。関ヶ原の敵陣突破の退却戦で戦死。

*28:長府藩初代藩主。右京大夫穂井田元清、母妙寿院、養父輝元。

*29:岩国藩初代藩主。民部少輔。父元春、母熊谷信直女。

*30:伊予の大名。父武田信重

*31:土佐の大名。父元親。

*32:岡山藩藩主。権中納言。父木下家定、養父羽柴秀吉→隆景。旧名羽柴秀俊。通称「金吾中納言

*33:元綱。高島藩初代藩主。父晴綱。

*34:安治。賤ヶ岳七本槍が一。中務少輔。

*35:昌幸・幸村

*36:徳川二代将軍。太政大臣。父家康、母西郷局。

*37:義光。山形藩初代藩主。父義守。

*38:政宗仙台藩初代藩主。権中納言。父輝宗、母義姫。通称「独眼竜」

*39:孝高。羽柴四天王が一。勘解由次官。父職隆、母明石宗和女(小寺政職養女)。旧姓小寺。通称官兵衛。洗礼名ドン・シメオン。

*40:豊後の大名。左兵衛督。父義鎮、母奈多夫人。洗礼名コンスタンチノ。

*41:義久。薩摩の戦国大名修理大夫。父貴久、母雪窓夫人。

*42:柳川藩初代藩主。左近将監。父高橋紹運、母宋雲院、父道雪。「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と並び称される名将。

*43:竜造寺家家老。左衛門大夫。父清房、母竜造寺華渓。

*44:城周辺の田んぼの稲穂をまだ青いまま刈り取って、籠城している兵士の志気を下げる作戦。信長以前の兵士はごく一部の高級将校以外は兵農兼業だった為、かなりの効果が見込めた模様