脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

井崎脩五郎とクーデターと主水佑について

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ここまで似せる気ないといっそ清々しいですね。特にアニキ。


 今日の病状報告。ようやく鼻づまりが治って、洟が出るようになりました。もうちょっとで治るかな。
 今宵の御題。「井崎脩五郎」「クーデター」「主水佑」。たまには脈絡がほしいなあ。

ナンダカンダと すったもんだの世紀末

井崎脩五郎

走れ走れディープインパクト - 脱積読宣言

井崎脩五郎
 競馬評論家。【ホースニュース社広報部部長。】昭和二十二(1947)年生まれ。本名布目健二。長野県上伊那郡出身。明治大学商学部除籍。'67馬社(現ホースニュース社)入社。長らくデータ整理係をしていたが、'77頃よりユニークな競馬エッセイ、「馬」紙の「データ作戦」の一点予想などで人気が出る。'83フジテレビ系「チャレンジ・ザ・競馬」、'87からは同「スーパー競馬」の解説者として活躍するほか、「噂の!東京マガジン」などバラエティ番組にも出演。(『現代評論家人名事典 新訂第3版』より引用。【】内は管理人追記。)

 軽妙な解説と競馬エッセイで著名な氏。どんな競馬本を読んでも氏の名が上げられてるほどの有名人です。かろみにみちた読みやすい文章と適度な解説で競馬をやらない人でも面白く読める本を書くので是非一読下さい。ただ間違いなく競馬場に行きたくなりますので、意志薄弱な人は要注意。

読む競馬 (双葉文庫)

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クーデター

最強○×計画 - 脱積読宣言

クーデター coup d'Etat(仏)
 急激な非合法手段に訴えて政権を奪うこと。通常は支配層内部の政権移動をいい、革命と区別する。1799年にナポレオン1世が、1851年にナポレオン3世が敢行した類。(『広辞苑 第五版』より引用)

 最近では九月のタイのタクシン首相追放事件が記憶に新しいですが、個人的にはクーデターといえば'91年のソ連のクーデターが真っ先に思い浮かびます。折りしも8/19は妹が喘息で入院しており、その日は母の誕生日だった為、「私の誕生日には碌なことが起こらん*1」との慨嘆が忘れられません。

 思い出話だけではなんなので、日本のクーデター事情について。世界史は専門外なので省略。ナポレオン一族がクーデターの天才らしいっすよ。
 広義のクーデターだと大化の改新明応の政変八月十八日の政変そして明治維新が成功例にあたりますが、狭義の定義「議会政治というものが政治運営のあり方とされている時代にそれに違反した政変」*2に当てはまるものといえば、昭和維新が挙げられます。これは三月事件から二・二六事件に至る軍部の過激若手将校による国家革新運動のことです。君側の奸を除き、天皇親政を実現すべし、というこの運動は当初こそ、右左の過激派が提携した大規模なものでしたが、三月事件・十月事件が未遂に終わると、相沢事件などを経て、次第に軍部内の統制派皇道派両派のイニシアチブ争いに矮小化してしまいます。日本における最初で最後の軍隊の武装蜂起の二・二六事件も後一歩で議会の制圧も可能なところにまで迫りながら、御輿に担ぐはずだった昭和天皇の懐柔失敗により脆くも瓦解。これこそ、どんな勢力も最終的な権威の拠り所は天皇に帰するという日本の特色を表しているのではないでしょうか。

主水佑

君の名は - 脱積読宣言

主水司
 令制で宮内省にに属する官司。訓は「もひとり(転じてもんど)のつかさ」。水・粥・氷室などを管掌した。伴部の水部、品部の水戸が所属し、水部の負名氏として鴨県主が知られる。長官の主水正は鎌倉時代以降、清原氏が占め、山城・大和・河内・丹波の氷室と氷室田を支配した。(『岩波日本史辞典』より引用)

 必殺シリーズ中村主水で有名な主水の名ですが、正で従六位上、佑で正八位下という位階の低さからか、「主税(ちから)」「采女(うねめ)」などとともに、中下級武士の名乗りに頻出します。「もんど」の読みは飲用水を表す古語「もひ」と「取る」の語がくっついて無茶苦茶に訛ったものです。正直どういう理由でこう訛るのかさっぱり分かりません。
 肝腎の主水佑ですが正八位下相当の定員一人の役職で、主水司の次官を表します。正式な職掌めんどくさくて調べてない今一定かではありませんが、少なくとも中世以降は正の清原氏に主水司領を牛耳られ、碌な仕事は残っていなかったようです。官位が低すぎて古代中世の任官者はめんどくさくて以下略不明ですが、近世以降の任官(自称を含む?)者は以下。板倉重矩*3・板倉勝喜*4・板倉勝氐*5・孕石元泰*6・鍋島茂里*7他多数*8

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訳もわからずに らんまらんまで 日が暮れる

 アイス職人だった主水佑が武士の名乗りの典型になったので分かるように、武官と文官の一致というか、平時における武官の急速な文官化が日本史の特色です。しかし、現在の日本は如何にと見渡せば、文官の牛耳る世界となってしまっています。戦前の教訓と言えば聞こえがいいですが、大正時代の「軍人差別」が昭和維新のクーデターを招き、軍部独裁の道を開いたことを知らないのでしょうか。軍人を差別し、つんぼ桟敷に置くことは、完全なる自殺行為だと思います。平和を望むのならこそ、武官に頭を下げ、軍事の教えを乞い、対策を練るべきではないでしょうか。無防備都市宣言なぞという脳天気な空論ではなく、核武装論議こそが平和への近道だと私は信じます。
 戦争の議論すらしないできない現状は滅亡へとまっしぐらに向かっているように感じます。ノドンに焼かれるか、人民軍に蹂躙されるかこの国を待つ運命はどちらでしょうか。願わくばこの予想が、井崎脩五郎氏の予想の如く的外れなものでありますように。

今日の一行知識

「君子豹変す」はいい意味。
「君子は豹の皮の模様がはっきりしてるように、過ちを改めて善に移ることが鮮やかである」*9が本来の意味。これが「正しい日本語」の槍玉に挙げられないのは何ででしょうね。

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*1:数年後のことになりますが、父方の祖母が亡くなったのも8/19でした。他にも母方の祖母の命日と妹の誕生日とが一緒など我が一族の女性陣の記念日は被る傾向にあるようです。

*2:尾鍋輝彦『クーデター〜その成功と失敗の分析』「序論〜クーデターの条件」より引用

*3:父重昌。老中・京都所司代

*4:父勝興。庭瀬藩五代藩主。

*5:父勝喜。庭瀬藩六代藩主。

*6:今川・武田家家臣。

*7:父石井信忠、養父直茂。佐賀藩執政。

*8:途中で気力が尽きたので結局Wiki頼りです。一度機械検索になれると、手動検索は出来なくなりますね。

*9:『大漢語林』より引用。出典は『易経』革の部「上六、君子豹変。小人革面。征凶。居貞吉。象曰、君子豹変、其文蔚也。小人革面、順以従君也。(上陰:指導者層の人々も面目を一新して立派になり、庶民も志を改めて君主に従うようになる。しかし粛清を強行すれば凶。革命の成果を固く守り、体制の維持を図れば吉。象に拠ると、《君子豹変とはその文蔚たるなり。》小人革面とは、物事の順序の通り主君に従うことである。)」とのこと。《》内は現代語訳できませんでした。誰かご指導ご鞭撻下さい。