脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『日野富子』

 Juliette[ジュリエットオフィシャルホームページ]
 強い女はお嫌いですか?

 はい。お久しぶりです。阿呆のように忙しい日々が続いておりますが、我らがカープの開幕勝利に浮かれてエントリーしてしまいました。
 まず言い訳から、二週間放置してたのには理由がありまして、忙しいのに加えて、折からの新刊ラッシュで、同時平行で五冊ほど読んでたらちっとも読み終わらないんでやんの。という笑えない話がありまして、てゆーかこんなサイトやってるんだから、ちいとは計画的に読めよ、といういい教訓を学びました。とはいえどれも読了の気配もないので、昔に読んで、感想書きにくいんで放置してた奴を引っ張りだす事にしました。上手く書けたら拍手御喝采では以下ネタバレ注意

日野富子―闘う女の肖像 (中公新書 (771))

日野富子―闘う女の肖像 (中公新書 (771))

もしも愛ならまがい物ね

永享十二(1440)〜明応五(96)年。将軍足利義政の室、義尚の生母。初め男子に恵まれず夫義政は異母弟義視を養嗣子としたが、義尚を産むと伊勢貞近ら将軍側近が義尚を支持し、応仁の乱で義政・義視の決裂に至る。富子が山名宗全を頼って応仁の乱を起こしたという説は軍記「応仁記」の創作。義尚の将軍襲職後これを補佐し、文明九(1477)年応仁の乱終結交渉の中心となるが、京都七口に関所を立てて私腹を肥やすなど悪評も多い。義尚没後、義視の子義材(義稙)の将軍襲職を助けたが、のち細川政元と結び、明応三(1493)年義材を廃して義澄を将軍にする明応の政変を決行する。

 義政の嫁さんで、息子可愛さで応仁の乱を招き、息子が親離れすると、金に週執着するようになった日本有数の悪女。というのが一般的な評価でしょう。しかし、それは実像なのでしょうか。日本史上でも有数のグデグデっぷりを誇るこの時代、女の細腕に全ての責任を丸投げするのは酷ではないでしょうか。
 
 前置き終わり。本自体の総評から。女性の伝記にはよくある欠点なのですが、無理に恋する乙女にしようとしすぎているのが鼻についてしょうがありません。旦那が死んだ時の社交辞令を過大評価しすぎじゃないでしょうか。この人は旦那も息子も自分の立身保身の道具に過ぎない超現実主義者にしか見えないですけどどうなんでしょうか。

 次いで生涯について。生まれは足利将軍家の正妻を独占する日野家の生まれで、生まれながらに将軍の妻となることを運命付けられていました。とは言え、祖母泉阿娘と義満の爛れた関係*1でしばしば陰口を叩かる血筋でもあり、この複雑な家庭環境が彼女の人間不信を育んだ気がします。
 成長し義政室となっても順調には行きません。富子入室以前から義政の寵愛を欲しい儘にしていた今参局が彼女の前に立ちはだかります。しかし、世間の恨みを買ったか、三魔*2と呼ばれ権勢を極めた今参局も富子の女児を呪い殺した嫌疑を掛けられ、失脚します。安定したかに思える彼女ですが、順風は吹きません。男児が生まれるのを待たず、典型的駄目人間な旦那義政が引退したがり始めます。それから以降は皆さん知っての通り、完全に職場放棄し銀閣寺に隠遁した宿六に代わり、東軍西軍を渡り歩き事態収拾に尽力します。とどめにあれほど目をかけた息子も酒に溺れ早死にするなど、最後まで男運とは縁が無かったようです。
 最後に守銭奴の噂の弁護。旦那も息子も無能の極みな現状では、太腕女房奮闘記が始まるしかないわけで、時代の転換期にありがちな理不尽な過小評価の犠牲になっている気がします。荘園制の完全崩壊に伴う朝廷の財政難を救ったのは他ならぬ彼女です。当時本格的に流通し始めていた銭に着目し、いち早く蓄銭に努めたのは、慧眼を讃えるべきでしょう。

避けて通れぬ甘い罠に

 雌鶏が鳴けば家が滅びるなどという腐れ儒家の戯言に耳を貸さず、彼女には正統な評価が与えられるべきでしょう。もちろん愛に生きに愛に死んだ悲劇のヒロインとしてではなく、動乱の時代を泳ぎきった一流の政治家として。

 三ヶ月以上前に読んだ本を思い出しながら感想書くってのは、思いのほかしんどいものでした。なお今後の更新ペースは、おそらくカープの勝敗次第となります。あまり連勝連敗の繰り返しにならないことを願うばかりです。それでは明日も更新できますように。

今日の一行知識

女性で初めて切腹したのは今参局
世情が乱れれば、女が強くなるのは今も昔も変わらないようです。

Beauty & Stupid/Squeeze  it

Beauty & Stupid/Squeeze it

YouTube

 

*1:夫資康死後に義満と関係を通じ、娘康子の成人後には娘を義満に嫁がせている。

*2:有馬(元家)烏丸(資任)お今(今参局