http://guideline.livedoor.biz/archives/50970898.html
ごめんなさい。テレビ神奈川さまの良心回路は正常に作動してました。
待望の麻生氏戴冠ならず。やはり理想郷はユートピアに過ぎませんでした。
どうにかこうにか吹き過ぎてここでもう一と殷盛り
益州
益州
1、州名。前漢武帝*1の時、全国を十三部行政区画に分かつや、今の四川省地方を益州とし、刺史をしてこれを部せしめ、後漢時代には上 (四川省広漢県)を益州刺史の治処とし、後それを成都に徙した。三国蜀漢以後これに依り、北周に至って廃された。
2、郡名。前109前漢武帝が設置せる郡。その管轄区域は大体今の雲南省で、諸 池(今の雲南府付近)を治県として二十四の属県があったが、後漢時代には永昌郡が分置されてその疆域が縮小され、三国蜀漢に至り、諸葛亮*2の南征以後、改めて建寧郡とした。
(『東洋歴史大辞典』より引用)
「臣亮白す。先帝創業未だ半ばならずして中道に崩殂せり。今天下三分して益州は疲敝す。・・・」の出師表の一節で有名な益州。皆大好き蜀漢の領土です。個人的には益州攻略の下りが劉備陣営のエピソードでは一番好きなので、思い入れも一入です。劉璋陣営のイブシ銀の名将たちに史実に近い知的な張飛兄ィと渋い役者の競演がをかもし出すなんとも名状しがたい味わい。正直関羽・孔明の贔屓の引き倒しコンビが出てこないだけでもグッと舞台が締まります。
しかし、冷静に考えると孔明さん。辺境の一州だけで良く天下三分と嘯いたモンです。やっぱり孔明は軍師というより、一種のプロデューサーに近いですね。バブル期の日本に生まれてたら、小室や秋元なんて輩の出る幕は無かったかもしれません。
永倉新八
永倉新八
天保十(1839)〜大正四(1915)年。剣豪。松前藩江戸定府取次役長倉勘次次男。幼名栄治。1846剣術修行を始め、神道無念流岡田十松*3の門に入り、’56本目録、更に北辰一刀流坪内主馬*4の師範代となり、その間に近藤勇*5らと知り合う。'63近藤らと浪士隊の結成に応じ、脱藩して参加。京都においては新撰組二番隊組長として名を馳せ、特に池田屋の討ち入りでは奮戦する。'68新撰組瓦解後、江戸松前藩邸に逃げ込み、'70松前に帰り、藩医師杉村松柏*6の婿養子となり、杉村義衛を名乗る。'82-'86樺戸集治監の剣道教師の後、小樽で町道場を開いて、悠々自適の生活をし、小樽に没した。(『幕末維新人名事典』より引用)
際立ったエピソードも撃墜歴もなく、個性派揃いの新撰組の中では、今二つくらい地味で目立たない彼ですが、当時には沖田や斎藤・吉村を差置いて、新撰組最強を謳われた程の傑物です。試衛館の食客という半譜代半外様の出自と専横を極める近藤との折り合いの悪さが、今ひとつクローズアップされ難い原因でしょうか。因みに、現在の新撰組英雄譚は永倉の美化の入りまくった回想を子母沢寛が好き勝手に脚色した『新撰組始末記』が底本となっております。語り部というポジションも彼の活躍が目立たない原因かも知れませんね。
因みに私が好きな永倉のエピソードは、「時代は既に大正、老境に入った永倉が映画館でチンピラに絡まれた際、眼光一閃戦意を喪失させた」というものです。こういうカッコいい爺様には憧れますね。
足利義満+小ネタ
足利義満
延文三(1358)〜応永十五(1408)年。室町幕府3代将軍。足利義詮*7の長男、母は石清水八幡宮検校全法寺通清の娘紀良子*8。法名道有のち道義。1366後光厳天皇*9から義満の名を賜り、'67父の死により10歳で家督を継ぎ、左馬頭に任ぜられる。'68将軍職を継ぎ、管領細川頼之*10の補佐を受け、'78京都室町に花の御所を営む。'92南北朝合一を成就し、また土岐・山名・大内など有力守護を制圧して、幕府権力を確立した。その間、内大臣・左大臣・院別当・准三后、'94太政大臣となり、武家としては未曾有の栄進を遂げた。'94将軍職を子の義持*11に譲り、出家。しかしその後も自らは太政大臣として実権を握る。紀伊・伊勢あるいは南都北嶺、また東国には富士を、西国には厳島参詣など、遊覧に事寄せて、実は国内鎮撫に意を用いた。'97京都北山に別荘として北山第(金閣)を建て、北山殿と称された。1407夫人日野康子*12を後小松天皇*13の准母と為し、'08北山第に天皇の行幸を迎える。一方、'01明の冊封を受け臣礼を取る形で倭寇を鎮圧して、貿易の発展に努めた。花押は武家様から次第に公家様を使用する傾向にあった。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)
ねた
(「種」を逆さ読みした隠語)
1、新聞記事などの材料
2、犯罪の証拠
3、道具。特に手品などの仕掛け
4、料理などの材料
(『広辞苑 第五版』より引用)
半世紀の長きにわたった南北朝分裂を収拾し、北山文化の清華を極めた英雄義満。世間一般では『一休さん』でのどこか憎めない将軍様のイメージが強いでしょうが、実際には灰汁の強いエピソードの多い豪傑です。そんな彼の珠玉の小ネタ集をどうぞ。
喜び過ぎず悲しまずひとつひとつに躊躇う
益州で天下三分の夢を追い続けた諸葛亮、勤皇佐幕の大義名分を最後まで信じ続けた永倉新八、皇位簒奪の中途に斃れた足利義満。三人とも自身の生涯の野望こそ半ばで潰えるも、後世に語り継がれる文化的遺産を遺したという共通点があります。諸葛孔明の出師表、杉村義衛の『新撰組顛末記』、源道義の金閣寺。功成り名を遂げるも後には何も残せない成功者の人生よりも、どんな小さな小ネタでもいいので、後世に残る何かを遺す人生こそが、男子の本懐と信じます。願わくはこの駄文だらけのサイトがそうなりますように。



