脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1743990.html
「20歳過ぎて左翼思想にはまってる奴は知能が足りない」の典型例。


 『第二次スーパーロボット大戦OG』クリア。結構なボリュームにも負けず、いつも通り一か月でクリアできてしまったのは、師走の社会人としてどうかと思う。以下感想箇条書き。

  • ヒュッケバインシリーズがリアルバニシングしたせいで、リアル系の汎用機の不足が深刻。特にリョウトが不憫でならない。
  • OGシリーズ全体の欠点ですが、固定BGM持ちのボスが多すぎて後半のボス戦に爽快感が欠ける。
  • 一部の例外を除いて、敵味方ともに真面目な軍人さん揃いなので、物語の進行が微妙に単調。
  • ミチルはんが盛大にすべってはる気がすんのは気のせいでしょうか?
  • 前作のフォルカ@ヤルダバオトほどのバランスブレイカーじゃあないにせよ、アクセル隊長@ソウルゲインとかイング@エグゼクスバインとかの無体っぷりは結構ヤバい。
  • 新人さんと一線級とで声優の力量差が如実に。特に、まんまアルトだった気もしますが、中村悠一氏のジョッシュはかっこよかった。
  • OG2と外伝で微妙に成長してる所為で、負け犬アイビスからの覚醒シークエンスがかなり中途半端に。
  • MX時代の冷遇っぷりを知る身としては、ヒューゴ・アクアコンビがしっかり「主人公」やってるのに涙を禁じえません。
  • 修羅勢がでてこないのはともかく、エクサランスが最後までレスキューのままとは思わなんだ。
  • 粗製濫造のオカマキャラに食傷気味なところへ、夏喃のあのキャラは結構新鮮でよし。


SRWOGⅡ進捗

  • 2周目第5話「デモン・ハック」デモンゴーレムと交戦中。トップエース:マサキ=アンドー@サイバスター

応仁・文明の乱 (戦争の日本史 9)

応仁・文明の乱 (戦争の日本史 9)

中途半端な優しさは黙って握りつぶしゃいい

応仁・文明の乱
 応仁元(1467)〜文明九('77)年に展開した内乱。室町幕府の全国支配を崩壊させた。
 嘉吉の変後、交互に管領となった細川勝元*1畠山持国*2は幼い将軍に代わり幕政を主導したが、互いに激しく対立。’54細川勝元は岳父の山名持豊*3と結んで畠山氏の内乱に介入、畠山氏は持国の実子義就*4方と勝元の与党義富*5・政長*6兄弟方とに分裂した。'59斯波義敏*7堀越公方足利政知*8援助の出陣命令に背いて失脚、'61政知の重臣渋川義鏡*9の子義廉*10が斯波氏を嗣いだが、義鏡が失脚した為将軍足利義政*11の側近である政所執事伊勢貞親*12・蔭涼軒主季瓊真蘂*13は義敏の復権を策した。義廉と親しい山名宗全は貞親らの背後に勝元ありと判断、貞親及び畠山政長を陥れて反撃しようとし、畠山義就と提携した。この提携は日野富子*14足利義尚*15を産む以前に成立していた(『応仁記』の説明とは逆)。貞親は義政が弟の義視*16を継嗣としたことに反発し、'65富子が義尚を産むとその乳人となって義視排斥を企図した。'66.8貞親らは義敏の家督回復を発令させたが、宗全らに義視暗殺計画を糾弾されて'66.9.6失脚(文正の政変)。宗全らはこの間に畠山義就を挙兵させて年末に京都に招き、'67.1義廉が畠山政長管領職を、義就が畠山氏の家督をそれぞれ奪い、'67.1.18上御霊社に布陣した政長を破った(上御霊の戦い)。これを見て勝元も戦争を決意、'67.5.26大乱の火蓋が切られた。室町御所に拠る細川方を東軍、御所西方の宗全邸に拠る山名方を西軍と呼ぶ。京都市街は秋までに灰燼に帰し、'68勝元は義廉に対抗して東軍の管領となり、足利義視は貞親の復権を嫌って西軍に移り将軍格となる。東西両軍は東幕府・西幕府の形を取り、互いに敵方の領国の撹乱を図るが戦局は膠着した。'73勝元・宗全が死ぬと宗全の外孫政元*17細川氏を継いで細川・山名は講和するが諸将は戦闘を続行した。'73義尚が将軍職を継ぐと日野富子が義尚を補佐し、'76大内政弘*18足利義視と和睦交渉を進め、’77.11.11西幕府は解散した。乱後、守護大名の在京原則が崩れて幕府の軍事力は著しく縮小、幕府は所領紛争の解決能力を失う。寺社・公家も甚大な被害を受けた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 足利義教将軍就任から明応の政変までの動乱の室町中期を応仁の乱を主題に描く本作。室町時代の終焉と戦国の開闢を知らす戦鐘として位置づけられがちな応仁の乱を、義教時代の負の遺産を義政が処理し損ねた結果に起こった室町時代の典型的な内乱が大規模になったものであり、戦前戦後で大きな価値観政治体制の変化は起きてないという見解はなかなか新鮮。特に関東で長引く享徳の乱こそが、幕府にとって最大の政治課題であり、応仁の乱もそれの解決に伴う矛盾噴出の一環であるって視点は今後の室町時代理解の基本となるものでないでしょうか。もうちょっと、足利成氏を評価しましょう。
 とまあ研究書としては一級の出来なのでしょうが、読み物としてはこの時代の死ぬほど複雑な集合離散の軌跡をわかりやすく解説できているとは到底いいがたく、正直かなり難渋するでしょう。最低でも足利・畠山・斯波の主役陣の家系図が頭に入っていて、それに加えて細川・山名・上杉位は推奨って事前要求知識はかなり困難なものがあります。ぶっちゃけ、太平記も含めて室町時代の戦記が全くはやらないのはこの政治力学図の異様な複雑さが原因だと思います。みんなもう少し自重しようよ。

殴りつづけろ見えない壁をぶち壊すんだ

 室町時代もかくやと思わせる、ここ数か月の日本政界の醜い政党乱立と野合の嵐。維新とみんなを除いてきっちり総崩れしてくれたのは善哉というべきなのですが、我らが望んだ政界再編がこの体たらくかと思えば物悲しいものもあります。極端から極端に走る日本人にはどんな弊害のあろうとも中選挙区制の安定とそれを補完する派閥政治こそがあってるのではないのでしょうか。まだまだ日本人には二大政党制は荷が重すぎます。身の丈にあった政体こそが国家安寧の基です。

帰って来た今日の一行知識

平安時代室町時代にも終末論は大流行していた
永承七(1052)年の末法思想、百代目の天皇の百王説、1999年7の月のノストラダムスの大予言、そして今年のマヤのカレンダー。日本人っつーか人類はどうしてこうも終末論が大好物なんでしょうか。まあメメント・モリの教育にはいいんでしょうけどね。

*1:室町幕府管領。武蔵守。父持之、母京極高光女。山名宗全との提携により畠山持国を逐い管領就任するも、持国の死後は宗全と対立。東軍の大将として応仁の乱を戦った。

*2:室町幕府管領。左衛門督。父満家。結城合戦への従軍拒否により義教に疎まれ逼塞するも、嘉吉の乱に伴い復権。義勝死後義政を擁立するなど幕政を掌握するも宗全と提携した勝元との対立により失脚。

*3:室町幕府侍所頭人。右衛門督。父時熙、母山名氏清女。法名:宗全。山名氏の惣領として室町幕府の重鎮として活躍。嘉吉の乱平定の功によりその勢威は頂点に達し、隠居後も女婿の細川勝元を後援するなどして幕政に隠然たる影響力を保持した。その後、日野富子の依頼により義尚の後援者となり西軍の大将として応仁の乱を戦った。

*4:河内守護。右衛門佐。父持国。旧名:義夏。従弟の義富・政長と家督を争い、将軍の寵を失い河内に下向。日野富子の後援により復権し、政長方を襲撃し応仁の乱の口火を切った。

*5:父持富。伯父持国に子がなかったため、後継者に擬せられるも、嫡子義就の誕生により失脚。細川勝元との提携により復権するも、将軍義政に赦免された義就の上洛により大和に下向。勝元の後援により再復権なるも間もなく病死。

*6:室町幕府管領。左衛門督。父持富。兄義富の病死に伴い家臣団により擁立。細川勝元との提携により管領に就任するも、山名宗全に擁立された義就と応仁の乱を巻き起こした。戦後も管領職を確保するも、その専横を憎まれ、明応の政変により戦死。

*7:越前守護。左兵衛督。父斯波持種、養父斯波義健。先代義健の夭折により分家より家督を継ぐも実権はなかった。足利政知救援の命に乗じて実権奪取を狙うも失敗し失脚。大内氏の後援により復権後、細川勝元と提携し応仁の乱を戦った。

*8:初代堀越公方。左馬頭。父義教、母少弁殿。鎌倉公方足利成氏の暴走を掣肘する為に、新公方として鎌倉に下向するも実権は奪えず、堀越公方として伊豆に留まった。

*9:室町幕府関東執事。右兵衛佐。父義俊。足利政知の補佐として関東に下向。その後、上杉持朝との対立により失脚。

*10:室町幕府管領。左兵衛佐。父渋川義鏡、母山名氏。斯波義敏重臣連に排斥された為家督を継承するも、大内氏の後援を受けた義敏の逆襲により失脚。山名宗全を頼り応仁の乱を戦うも、乱中に朝倉氏に実権を奪われた。

*11:室町8代将軍。左大臣。父義教、母日野重子。旧名:義成。細川勝元畠山持国らに擁立され将軍就任。後嗣問題により応仁の乱を誘発、政治への情熱を失い東山に隠棲し、世間の混乱を他所に東山文化を花開かせた。

*12:室町幕府政所執事。父貞国、母蜷川親俊女。義政の寵愛を受け、幕政を壟断した。武衛騒動への介入で周囲の反感を買い文正の政変で失脚するも、応仁の乱勃発により復権

*13:鹿苑院蔭涼軒主。義政の側近として幕政に介入。官寺の禅僧の人事権を一手に握るなど権勢を揮うも文正の政変により失脚。

*14:足利義政正室従一位。父重政、母北大路禅尼。子に足利義尚。実子義尚を将軍に就任させる為、山名宗全を後援人に指名し、応仁の乱を誘発した。乱中乱後、政治への関心を失った夫に代わり幕政を壟断、蓄財に努めた。

*15:義熙。室町9代将軍。右近衛大将。父義政、母日野富子応仁の乱の果てに将軍就任。乱により失墜した幕府権威再興に尽力するも、長享・延徳の乱に陣没。

*16:権大納言。父足利義教、母日野重子、養父足利義政。兄義政に子がなかった為、後継者に擬せられるも実子義尚の誕生により後継者争いが応仁の乱に発展。乱後失脚するも、義尚死去に伴う息子義材の将軍就任により復権、大御所として日野富子と角逐した。

*17:室町幕府管領右京大夫。父勝元、母山名熙貴女。明応の政変で政権を掌握し、半将軍とも呼ばれる権勢を揮うも、永正の錯乱で横死。

*18:周防守護。左京大夫。父教弘、母山名熙貴女。応仁の乱に西軍として参加し戦功を挙げ累進。少弐氏との抗争に勝利し、周防・長門豊前筑前4カ国の守護として西国の有力者として君臨した。