脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『日本の名著9 慈円・北畠親房』

 皆さん今晩は。一週間のご無沙汰いかがお過ごしだったでしょうか。毎年恒例の終わりかけのインフルエンザに感染してしまい、十日ほど更新する気力が湧きませんでした。謝罪はしますが、賠償には応じれませんので、悪しからず。なお、うつしてくれやがりました両名は、謝罪はいいので賠償してください。

 ところで、先週末風邪を押して参加した飲み会で、読者の方から、最近飛ばしすぎ、との苦情をいただきましたが、取り繕わない私本来の芸風はこれなので、諦めてください。随所に散りばめてある小ネタの七割以上ににやりとできる方は、早急に連絡下さい。友達になりましょう。
 とはいえ、最近看板に掲げた「歴史書中心の読書録」が誇大広告以外の何者でもなくなりつつあるので、初心に戻って、バリバリの歴史書愚管抄』『神皇正統記』のレビューをお届けします。*1それでは今回も飛ばしますので、最後までお付き合い下さい。

日本の名著 (9) 慈円・北畠親房 (中公バックス)

日本の名著 (9) 慈円・北畠親房 (中公バックス)

窓に置いた加湿器を強くしてる午前二時

愚管抄

 鎌倉前期、慈円が著した史書。国初から承久の乱直前までの歴史を述べているが、保元の乱以後、慈円の同時代史に詳しい。巻1・2が皇帝年代記、巻3〜6が歴史の叙述、巻七は総論という3部から成る。歴史の道理を究明しようとした点で注目される

 偉そうなこと言っちゃいましたが、読んでんのは現代語訳なので、自慢できません。しかも訳してるのが、お偉い学者先生様なので、文章的には見るべきところはありません。注釈で引用されている原文を見る限り、典型的な古代末期の雅やかな文体で味わい深そうなのですが、流石にこの時代の古文を片手間では読めないので、長期入院でもする羽目にでもなったら挑戦してみたいです。
 時代背景説明も兼ねた総論。作者の慈円源頼朝と提携した九条兼実の弟であり、天台座主でありながら武家との親交の深い人物です。『愚管抄』は承久の変直前に後鳥羽上皇に計画の翻意を促す為書かれた書であり、記述も歴史観もその目的に沿った形で構成されています。全体を貫くキーワードは日本史でも暗記させられたように「道理」であり、臣下に名宰相がいれば、政治は彼に任せるべきであり、現在の現状を鑑みても、執権北条泰時は名君であり、「天皇様御謀反」の暴挙に出るのは、世の理に反していると説きます。そのため全体のトーンは諦観的で、当時の公家の無常感が強く感じられます。結局この本が何の抑止力にもならなかったのは皆さんご存知の通りですが、千年の時を経て、無力な啓蒙の書は、偉大な歴史書へとその姿を変えるのでした。
 内容は単調な歴史記述が続くだけで、感想の書きようがないので、教科書が教えない面白エピソードを一つ。保元の乱は一言で言えば、崇徳・後白河両帝の家督争いなのですが、仲違いした理由というのが、非常に面白いのです。彼らの曾祖父白河上皇が、自分の寵妾(藤原璋子)を孫の鳥羽(崇徳・後白河の父)にお下がりで譲ったのですが、譲り渡された際既に妊娠していた(このときの子が崇徳)ので、鳥羽は崇徳を「叔父子」と呼んで、忌み嫌いました。それならそれで、生前から後白河を後継者指名しておけばよかったものを、当時の後白河は「今様狂い」のバカ殿*2で有名だったので、二の足を踏む*3うちに鳥羽が死んでしまい、保元の乱へとつながるのです。ちょっといじればすぐにでも昼メロのプロットになりそうな醜聞ではありませんか。歴史は繰り返すとはまさにこのことです。ちょっと詳しく調べれば、歴史はこの類の小ネタで満載です。歴史=暗記としか考えないのは人生の損失でしょう。単語帳を棄て、原本にあたって、自分だけのトリビアを手に入れましょう。

神皇正統記

 

南北朝期の歴史書。著者北畠親房。暦応二/延元四(1339)年、後村上天皇の即位した年の秋に常陸国小田城(管理人注、現在の筑波付近)で執筆された。執筆動機について、後村上天皇の為とする説と、東国の結城地親朝らに日本のあるべき姿を説く為とする説がある。後村上に至る皇位継承を正統とする立場から歴代天皇年代記が論述され、正統天皇の血統と現実の皇位継承の不一致が儒教的政治思想によって説明されている。

 前項が大概冗長になったので、手短に。っていっても書いてある内容は『愚管抄』とほぼ同内容で、承久の変〜南北朝の争乱期は天皇家の影が非常に薄かった時期でもあり、加筆部分に目ぼしい記事はありません。両統迭立の由来など、歴史学的には非常に貴重な記事なのですが、読み物としてはあんまり面白くできないので、スルーします。とはいえ後醍醐の父後宇多帝の過剰なまでの持ち上げっぷりは、スポンサーへのリップサービス感満載で微笑ましいです。
 記載事項事態は大同小異とはいえ、目的が違えば、内容も捻じ曲げられるのが世の常、世相と作者のイデオロギーを反映して、檄文調の情熱的な記述が目立ちます。世の中が有為転変し、例え一時皇威が地に堕ちても、必ずや「正統な」王の元で復活の時が訪れる。というのが要旨で、時に悲憤慷慨し、時に欣喜雀躍する忙しい本に仕上がっています。南朝が全体に追い詰められ、自身も籠城中に書かれた作品なので、空元気を張る必要があったのでしょう。それと後の歴史を知って『神皇正統記』を読むと王権の不滅性への楽観が非常に物悲しく感じられます。先の大戦といい、日本人が無理に頑張ると碌なことにならないようです。漢文の似合う「男性的」な時代より、やまと言葉の似合う「手弱か」な時代の方が、平和で怠惰な日本人らしくていいのではないでしょうか。

逢えないscene早送りして

 見ての通り、いつの時代も歴史は政治に従属します。唯一不偏の「正しい」歴史など理系の合理主義の空想の産物に過ぎず、各時代毎にそれぞれの事情に拘束された「正しい」歴史があるのみです。もし「正しい」歴史が存在しうるとしたら、それは各人が己の信念と知識によって構成した自分なりの物語になるはずです。繰り返します、歴史を暗記するだけで終わらせては人生の損失です。数千年の時をかけて数百億のエキストラと数万人の英雄によって紡がれた人類最大の秘宝、その長大なサーガはどんな小説も足元に及ばぬボリュームとクオリティを持っています。人に与えられた歴史を鵜呑みにするのではなく、自分だけの世界にたった一つの「歴史」を紡いで見てください。きっとそれはどんな物語よりもあなたの心の支えになるでしょう。あなたに信じたい歴史はありますか?

 明日から実家に戻るので暫くネット環境から離れます。また一週間程更新が滞ると思いますが、忘れずにチェックしに来て下さい。
 それでは、あっという間のお時間でした。来週も絶対にSee You Againお休み、バイバイ。

今日の一行知識

WorldやSpaceの訳語に世界や宇宙を当てるのは厳密には間違い*4
中世の人の目に「世界」はどのように移っていたのでしょうか。

*1:極端から極端に走るのも仕様です

*2:今様とは当時の流行歌のこと。今で言うロックやヒップホップと言ったところでしょうか。このバカ君が成長しては清盛・頼朝を手玉にとる古狸になるのですから、やはり若いうちは遊び倒した方がいいのかもしれませんね。

*3:崇徳と後白河の他に早逝した腹違いの兄弟(近衛帝)がおり、そちらを後継者にする予定だったようです。ちなみに後白河は崇徳と同腹。なんだかんだ文句いいつつ可愛がっているところをみると、璋子は相当いい女だったんでしょうね。

*4:世界・宇宙は本来仏教用語で、「トキ」(世・宇)と「ソラ」(界・宙)を包含する立体的四次元的概念。少なくとも現在の様にこの瞬間の「太陽系第三惑星」や「天の川銀河」だけを現すような、狭い用語ではない。詳しい話は手近の坊さん捕まえて問い詰めて見てください。僕じゃあこれ以上無理です。