読者様は神様です。先日http://d.hatena.ne.jp/himaeda/20060213
の一行知識について、あひる氏より疑義が呈されましたので、これを幸いと一本ネタをでっち上げてみたいと思います。
まず辞書で調べると国史大辞典(本文控えるの忘れてました、後日追記します)では、「中世から近世初頭にかけては左脇腹から右脇腹にかけて切り、鳩尾に刀を指して真下に切り下げるという形式が定着した」という記述でした。傍証として『切腹介錯次第』(中井勲『切腹』より孫引き)に
先ず三方を引きよするを一とし、剣刀を取りて戴くを二とし、左の脇へ立つるを三とし、臍の上まで引くを四とし、右脇へ引付くるを五とし、十文字に立つる処を六とし、半分引下ぐるを七とし、下迄引付くるを八とし、剣刀を右膝へ納むるを九とす
とあります。原本に当たってないので省略しますが、中世期の軍記物での切腹は多くこの形をとります。(ex.『富樫記』)ただ私の記述と相違するのは、咽喉をつく余力も残らないのか、刀を口に銜えるかもしくは胸に当てるかしてそのまま前に倒れこみとどめとするのが一般的なようです。
ではあひる氏の指摘が誤まりかというとそうではなく、『フンク=ワグナー標準参考百科大事典』(千葉徳爾『切腹の話』より孫引き)に
短刀を抜いて腹の左脇に突き立て静かに右の脇まで引切り、僅かに右上方へ切り上げる。最後に彼の友人または一族の誰かが、剣で切腹した者の首を切落して介錯する
とあります。では何故このような相違が出たかというと、行われた時代の相違によるもので、この形式の切腹の方が古い時期によく見られます。(ex.『義経記』での佐藤忠信)詳しくは後述しますが、この形式は本来内臓を掻き出すという行為が後に続き、上述の十文字形式と違い、とどめの一撃を入れないのが特徴です。(なので上記事典の記述は江戸期以降の形式化した切腹と最初期の切腹を混ぜ合わせた形式だと思われる)
さて大分話がとっ散らかってややこしくなってきましたので、千葉徳爾『切腹の話』を参考に体系的にまとめてみたいと思います。近世以後の個別具体的な事例はあひる氏が紹介されているサイトに詳しいのでそちらをご覧下さい。http://busino-ikuji.hp.infoseek.co.jp/seppuku.htm
切腹の歴史
さて記録に残された最初の切腹は『播磨国風土記』の淡海の神が最初です。伝承上の人物を除けば、永延元(988)年に藤原保輔が検非違使に包囲された際、腹を切り内臓を掻き出したが死に切れず、数日後獄中で死亡したというのが最初の例のようです。このように当初は内臓を掻き出すという形式が一般的でしたが、人間よく出来たもので、腹を切った位では死に切れません。その為とどめの一撃をくれる必要が出てきたのですが、はらわたを引っ張り出した上でそんな余力が残っているはずもなかった為、比較的苦痛の少ない*1十文字切りへと変化したものと思われます。更に切腹が単なる自死の手段から最期を飾るセレモニーへと深化して行くに従い、見苦しく死に損ねる失敗の可能性を減らす為に、確実に止めをさす介錯人が必要とされるようになったのでしょう。ここにきて他に楽に死ねる手段がない場合の代替案としての切腹が、人生最後の大見得きりへと質的進化を遂げ、現代知られる非合理性の塊になったのでしょう。
オマケに江戸以降の動向。侍が野蛮な武装集団から近代的役人へと移行するに伴い、切腹の儀式化は歯止めがきかなくなり、一文字切り→腹に刺すだけ→短刀に手を伸ばした瞬間斬首→扇腹へと退化していきます。幕末になると、維新志士たちが腐敗した旧政権へのアンチテーゼとして復古主義をとり、ハラキリ文化が大輪の華を咲かせます。(上記サイトはこの頃の時代を主に取り上げているようです)明治期以降は侍とともに切腹も完全に美化された空想上の御伽噺になってしまいます。未だに自殺手段に切腹を選ぶ人は多いようですが、実存をなくした過去の遺物を持ち出すのは無意味な自己満足に過ぎないのではないかと思えてなりません。
切腹の文化的背景
いい加減長くなってきましたので、手短に纏めたいと思います。まず先人の見解から。エンサイクロペディア・ブリタニカ「切腹はその死に当たって苦痛に堪える勇気を示す形式である」異人さんらしい合理的解釈です。新渡戸稲造「自己の潔白あるいは赤心の表明形式である」真面目な意見ありがとうございます。しかし両方とも西洋合理主義に縛られすぎてる気がします。切腹研究家中康弘通「自己の肉体に加虐することでよろこびを覚える心理、サディズム・マゾヒズム・エロティシズムなどを満足さしめる行為の一つ」行き過ぎです。当人の心理は確かにそうかもしれませんが、もう少し社会学的意義も考えて欲しいです。千葉徳爾「獲物の内臓を神に捧げるという原始宗教の発展形態」社会学的過ぎませんか。
というわけで、今ひとつ満足の行く説明に出会えなかったので、私見を少々。例によって資料的裏付けに乏しい戯言なので真に受けないで下さい。私は切腹とは、死に臨んで深い恨みを残した者は世に害を為す悪霊となるという怨霊信仰*2に基づく行動だと思います。今わの際に出来るだけ苦しみ死んでゆくことにより、怨霊としての霊格を少しでも高め、恨み骨髄の仇敵に祟りを為そう、そんな心情が当初はあったのではないかと思います。憎悪の手段だったはずの苦痛が、克己の手段に転用され、お上品で観念的な武士道の形成に利用されたのではないかと考えます。儒教に縛られ聖者になってしまった江戸のお侍さんより、下品で野蛮で生命力の強い戦国以前の武士の方が魅力的だと思うのは私だけでしょうか。
まとめ
嗚呼疲れた。最後までお付き合いいただいた読者の皆さんありがとうございます。正直こういう風にネタ出しされての文章の方が書いてて楽しいので、よろしければ今後もどしどしツッコミをよろしくお願いします。
参考文献
- 作者: 日本風俗史学会
- 出版社/メーカー: 弘文堂
- 発売日: 1994/03/01
- メディア: 単行本
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- 作者: 千葉徳爾
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1972/08
- メディア: 新書
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